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2012.4.8「我らが国籍、天にあり」

聖書箇所 ピリピ3:17-21
17 兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
18 というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
19 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

 キリスト教では、十字架で死んだイエス・キリストがよみがえった日をイースターと呼びます。キリストの復活は、クリスチャンもまた同じように復活するという希望であることから、イースターの日にはすでに天に召された人々を記念する日にもなっています。私たちの教会でも、午後には太夫浜霊園で佐藤敬子姉の納骨式を行い、また他4名の召天者をおぼえて礼拝をささげます。
 先週、今日の納骨式に備えて墓を見てきました。霊園に墓は数あれど、うちの墓ほどすばらしい墓はありませんね。親バカならぬ墓バカと言うのでしょうか。感動のあまり写真を撮り、週報の表紙に載せておいたほどです。さて、教会の目の前の道をひたすら北上していくと、競馬場インターを突きぬけて、20分もあれば太夫浜霊園に着きます。霊園のそばの交差点で信号待ちをしていたときに、ふと気づきました。交差点を右に曲がると敬和学園高校があり、緑色のチャペルが車の中からも見えます。そして交差点を左に曲がると、墓地への入口。そこでこんなことをふっと思ったのです。右に向かえば高校があり、そこでは若者たちがこれからの人生に希望をふくらませながら学んでいる。一方、左に向かえば墓地があり、数え切れないほどの墓に、死んでいった人々の人生が短く刻まれている。右と左、命と死、ここまで対立するものが近くに並んでいる光景に驚きました。それはまるで、右にいくか左に行くかで命と死が分かれてしまう、私たちの人生の象徴のように思えたのです。
 すべての人間は、人生の中で右か左かを選ぶ選択へと立たされます。進学や就職、結婚などはその例ですが、一番究極の選択は、いのちと死にかかわることです。聖書は言います。イエス・キリストを信じる者には永遠のいのちが与えられる、しかし彼を拒む者には永遠のさばきが待ち受けている、と。私は決して教会に来てくださった人々を脅かそうとしているのではありません。しかし、この墓誌に刻まれているひとり一人は、イエス・キリストを信じ、永遠のいのちの確信をもって天国へ凱旋していったのだということをおぼえてほしいのです。とくにご遺族の方々にとっては、あなたの知っている、その家族が選び取ったものから目をそむけないでほしいと思うのです。あなたの愛する人が、その人生をかけて選び取ったのがキリストなのだという事実を忘れないでほしいと願うのです。

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posted by 近 at 13:50 | Comment(0) | 2012年のメッセージ