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2012.4.15「親が子どもにできること」

聖書箇所 マルコ10:13-16

13 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
14 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

 去年応接室に飾ってあったカレンダーが今頃になって気になっています。カレンダーそのものではなく、そこにあった絵が気になっているのです。フリッツ・フォン・ウーデというドイツの画家が描いた「子どもたちを我に来させよ」というものです。もう一度見たくなったのですが、年が明けたら応接室から消えていました。でも見たい。そこでインターネットの出番です。見つかりました。週報の表紙に印刷してあるのがそれです。みなさんもご覧になってみて、ある違和感に気づかないでしょうか。子どもたちの顔がちっともうれしそうじゃないのです。作者のウーデが、今日の聖書の物語からこの絵を描いたのはタイトルからして明らかです。しかし私たちがこの聖書箇所から連想する子どもたちと、ここに描かれている姿はずいぶんとかけ離れているようにも思えます。イエス様は子どもたちが大好き。そして子どもたちもイエス様が大好き。そんなイメージとどうも違うのです。

19 FRITZ VON UHDE LASSET DIE KINDLEIN ZU MIR.jpg

 しかしイメージという言葉から、私は改めて気づきました。聖書は、子どもたちを愛してやまないイエス様を描いています。でも子供たちもまたイエス様を愛している・・・・もしかしたら、それこそが聖書以外からすり込まれた、勝手なイメージではないのか。こんな不遜なことを考えてしまった後ろめたさを感じながら、あえて聖書を調べてみました。このマルコ福音書10章、その並行箇所であるマタイの福音書19章、ルカの福音書18章。そして発見したのです。どの聖書でも、子どもたちのほうからイエスに近づいたとはいっさい書いていない。いずれにおいても、子供たちは「連れてこられた」とあるのです。喜んで連れてこられたのでしょうか。いやいやながらでしょうか。どんな表情ででしょうか。そこらへんが一番大事だと思うのですが、聖書はあえて沈黙しているのです。

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posted by 近 at 19:27 | Comment(1) | 2012年のメッセージ