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2012.6.24「まことの安息」

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本日の説教は、宣教区一斉講壇交換として、新発田キリスト教会の本間羊一牧師が語られました。本人の了解を得て、説教原稿及び説教映像を掲載いたします。

聖書箇所 出エジプト20:8-11
8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。10 しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も──11 それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
 
 今日は、新潟山形宣教区講壇交換で、こうして豊栄キリスト教会で皆様と共に礼拝を過ごせることを感謝致します。
 新発田キリスト教会は、宣教区レベル開拓教会、つまり新潟の諸教会で祈り支えつつ始めていこうという教会として、2003年にスタートしまして10年目となりました。今、礼拝は大人と子ども合わせて十数名、といったところです。小さな群れですが、最近嬉しいニュースがありました。祈っていただいている入院中の阿久津眞慈君、まだ1歳と数カ月、昨年6月に肺出血を起こし、脳にダメージが残って意識不明が続いていますが、最近、脳機能の検査を行った結果、入院当初は働きが無いと言われていた脳波が少しずつ回復しているとのお話であり、呼吸についても、まだ人工呼吸器の助けが必要ですが、以前より自発呼吸の回数も増えている、ということでした。このことについては新潟山形宣教区の皆様にも覚えてお祈りいただいております。豊栄の皆様からもいつも祈りと励ましをいただいております。この1950年より北欧系アメリカ人宣教師達が新潟各地で献身的に伝道し、新潟の幾つかの教会の産声があがっていき、60数年を経て、現在、新潟山形宣教区として12の教会があり、そこに互いに赦し合い、祈り合い、支え合う命の通った交流があることに、改めて、あたたかいものを感じているこのごろであります。

 今日は、十戒の第四戒、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」という戒めから、私たちの真の安息としての礼拝ということを覚えていきたいと思います。
「六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない」(出エジプト記20:10)
 神の民であるユダヤ人は、これを重んじ、守りました。日曜日から始まる一週間、日曜日から金曜日までの6日間は働き、土曜日を安息日として何もしない日として定め、神への礼拝をささげたのであります。ユダヤ教にとって安息日の礼拝は土曜日であります。
 長い歴史の中で、ユダヤ人たちはこの戒めを守るために、さらに様々な細かな規則を作り上げていきました。安息日には働いてはならない。それならばあれもしてはならない、これもしてはならない。たとえば、種まき、刈入れといった農作業、物の売り買い、火をつけること、食事の用意、900m以上の歩行、急病ではない病気のいやし、等は絶対に禁じられていました。最初の動機としては、大変真面目なものであったと思います。神の命令を正しく守っていきたい。
 しかしそうなると、いつしか、その決まりを守ること自体が重要となってしまい、おかしなことになっていく。それに対し、イエス様は強く批判をされたことが福音書に記されています。当時の民衆の指導者たちであったパリサイ人や律法学者とイエス様はしばしば論争をしましたが、その中でも安息日に関する論争は、「安息日論争」と呼ばれるほどに重要なものであります。ある安息日に、イエス様の弟子がお腹を減らし、道々、麦の穂を手で摘み取り、それを揉んで、そのまま食べたことがありました。当時の人としては普通の行為だったのでしょう。しかし、それにパリサイ人は目をつけ、安息日に刈入れをしていると批判しました。あるいは、ある安息日に、イエス様が病人を神の力によって癒されたとき、安息日に治療行為をしたと言って批判しました。神の戒めを破っているではないか、と。
 しかし、そのような時にイエス様は言われました。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日にも主です」(マルコ2:27)。
 パリサイ人たちは、安息日の規則を守るために神経質になりました。しかし、イエス様にとって、安息日とは人間に安息をもたらす日であったのであります。安息日のために人間がいるのではない。人間のために安息日がある。私たちのために神が安息日を設けてくださった。これは私たちも深く探られる思いがします。礼拝をささげることはとても大切です。しかしなぜそれが大切なのか。神がお命じなったことだから、確かにそれも一つの答えです。しかし、神がお命じなったから、ただそれを機械的に守る。礼拝にただ出席しさえすればよい。そこでとどまってしまうとしたら、私たちはパリサイ人と本質的にはどんぐりの背比べになってしまうのではないでしょうか。
 神のお命じなったこととして受け止めつつ、それは私たちのため、私たちの真の安息のために設けられた日なのだ。礼拝を大切にする生活は、私たちにとって大きな恵みなのだということを第四戒と共に心に繰り返し刻んでおきたいことであります。

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posted by 近 at 14:32 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.6.17「家庭から教会へ」

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聖書箇所 テトス1:5-9
5 私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした。6 それには、その人が、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、その子どもは不品行を責められたり、反抗的であったりしない信者であることが条件です。7 監督は神の家の管理者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、けんか好きでなく、不正な利を求めず、8 かえって、旅人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、9 教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。
 
 牧師というのは、ちょっと問題のある人たちの集まりです。初対面の牧師が会議に集まると、お互いにこんな質問を投げ合います。「○○先生の教会は、礼拝何人くらいですか」。礼拝が何人だろうが、別にいいじゃないかと思うのです。世には二人家族もいれば、十人家族もいます。でも真っ先に「何人家族ですか」と聞いてくることはまずないわけです。初対面の人に「何人家族」と聞いてくるのは、よっぼど家族にトラウマを抱えている人ではないかと思います。そして「近先生の教会」とか呼ばれるのも、私は好きではありません。うちには「豊栄キリスト教会」という立派な名前があるのです。これが「北区キリスト教会」とか「嘉山キリスト教会」だったら、たぶん泣きますね。ましてや「近先生の教会」とかいう名前で呼ばれたくはない。そして「○○先生の教会」と呼ばれるとき、何となく信徒の存在が無視されているような気がしてならないのです。

 パウロは、テトスに不思議な言葉を書き送っています。5節、「私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし」と。これは、何だか私たちが知っているパウロ像とは違うように思えます。パウロは常に教会を人と結びつけて語る使徒でした。しかし「仕事の整理」という言葉から思い浮かぶのは帳簿の山で、人ではありません。でも見落としてはならないのは、パウロがいう「仕事」とは、やはり人のことであるのです。彼がいう仕事、それはクレテの教会が自立するために、人々をみことばによって育てていくということです。パウロによって、それが一番心残りで、かつ真っ先に取りかかってほしい仕事でした。いったい、聖書を教えるよりも大切な仕事が、神のしもべにあるでしょうか。パウロがわざわざ「仕事」とテトスに書き送るからには、それは帳簿や請求書の束のことではありません。テトスよ、私が取りかかったように、あなたもみことばを正しく語ることに取りかかれ。そのために教える力のある長老たちを町ごとに任命し、クレテにある幼子のような教会を自立させていくのだ。それがこの5節に書かれてあることばです。

 今「自立」という言葉を使いましたが、現在では教会の自立と言うと、教会員が増えて外部からの経済的援助を受けずにやっていけるという意味で語られます。しかしもし教会の自立がそれだけだとしたら、とても悲しいことです。教会が自立するというのは、経済的に独立することではありません。信徒ひとり一人が、みことばを正しく理解し、それを生活の中で実践していくこと。そして問題が起きたときも、そのみことばを基準として対処していく力を身につけること、それが真の意味で教会が自立するということです。じつは人数的に、また経済的には豊かであっても、真に自立していない教会もあります。私が卒業した神学校の講師から聞いた話です。その講師が、地方の大きな教会に招かれて礼拝説教を語りました。彼はキリスト教教理の根本である「神、罪、救い」を聖書から紐解き、会衆に語りました。しかし説教後、ある役員がこう言ってきました。「先生、教理も大事ですが、求道者やはじめて来た方のために、もっと簡単で恵まれる話をしていただければもっとよかったのですが」。
 聖書の教理から離れて、いったい誰が救われるでしょうか。教理から離れて、愛や恵みを連発する説教は、人の心に感動を与えても、たましいに救いを与えることはできません。私たちが聖書の教えを難しいと言ってぼかすならば、教会は必ず病気になります。牧師の人柄、説教のおもしろさ、教会の雰囲気、人間関係、それらは教会に与えられた賜物でもあります。しかしそれだけに私たちが依存しているならば、決して自立した教会とは言えません。真の自立とは、信徒一人ひとりがこの聖書に語られている真理を自分の血、肉、骨として常に噛みしめて歩んでいるかどうかなのです。

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posted by 近 at 11:47 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.6.10「今日、救いがこの家に」

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聖書箇所 ルカ19:1-10
1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
 
<管理者より>
 今週の礼拝メッセージは、千葉みどり台教会牧師の板倉邦雄牧師がしてくださいました。また特別賛美として、私たち豊栄教会の賛美チームであるT-BREEZEが「ブルーリボンの祈り」をささげました。板倉邦雄牧師およびT-BREEZEのプロフィールを、週報より転載いたします。
板倉邦雄(いたくら・くにお)
 高校2年生の時に一枚のトラクトをきっかけに神を信じるようになる。高校卒業後、東京基督神学校(現・東京基督教大学大学院神学研究科)に入学。神学校卒業後、千葉市稲毛区に開拓伝道を開始する。開拓当時「羊会」という名称で始まった同教会は、現在は千葉みどり台教会として、今年9月に開拓40周年を迎える。またテレビ「ライフ・ライン」でも長年にわたりメッセンジャーを務めている。
T-Breeze(ティー・ブリーズ) 
 豊栄キリスト教会に集う有志によって結成された賛美グループ。毎月第4主日の午後、木南明子姉(同盟・五十嵐キリスト教会員)を賛美指導者として練習に励んでいる。T-BreezeのTは、「豊栄」の頭文字に十字架の「t」をかけ、賛美のそよ風がこの地を生き返らせる聖霊の息吹となるように、という願いをこめている。今日歌う「ブルーリボンの祈り」は、木南姉が拉致被害者の田早紀江姉の同名の手記からつくった歌である。拉致問題が一日でも早く解決することを願いながら、様々な場で歌い続けている。


posted by 近 at 17:00 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.6.3「主は与え、主は取られる」

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聖書箇所 ヨブ1:13-22
13 ある日、彼の息子、娘たちが、一番上の兄の家で食事をしたり、ぶどう酒を飲んだりしていたとき、14 使いがヨブのところに来て言った。「牛が耕し、そのそばで、ろばが草を食べていましたが、15 シェバ人が襲いかかり、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」16 この者がまだ話している間に、他のひとりが来て言った。「神の火が天から下り、羊と若い者たちを焼き尽くしました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」17 この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「カルデヤ人が三組になって、らくだを襲い、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」18 この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「あなたのご子息や娘さんたちは一番上のお兄さんの家で、食事をしたりぶどう酒を飲んだりしておられました。19 そこへ荒野のほうから大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、みなさまは死なれました。私ひとりだけがのがれて、あなたにお知らせするのです。」
 20
このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、21 そして言った。
  「私は裸で母の胎から出て来た。
  また、裸で私はかしこに帰ろう。
  【主】は与え、【主】は取られる。
  【主】の御名はほむべきかな。」
22
ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。

 昨年、私の出身教会である山の下教会へ行ったときのことです。ある信徒の方が私にこんなクイズを出してきました。「山の下にはあるけれど、豊栄にはたぶんないもの」。答えは、教会のテーマソングだそうです。何でも山の下はジョインというクリスチャンアーチストにお願いして作ってもらったとのこと。その場はへえ、いいですねえと答えましたが、帰りの車の中で、むう、くやしい。うちもほしい。しかし私は肝心なことを忘れていました。テーマソングならすでにあるじゃないか、と。「ブルーリボンの祈り」。もはや楽譜なしで歌えるほど、教会員が歌い続けております。今月の連合婦人会でも五十嵐教会と合同で特別賛美します。また突然で恐縮ですが来週板倉邦雄先生の前でもぜひささげていただきたいと願っています。
 勝手にテーマソングにしてしまいましたが、この「ブルーリボンの祈り」は、五十嵐教会の木南先生が、横田早紀江さんの本から作った歌です。今まで色々な所で歌わせていただく中、私自身はどちらかというと歌う方はみなさんにお任せしてもっぱら聞く側でしたが、この歌の中で、少し気になっていたところがありました。それは「苦しみのさなかに送られた聖書」から続く部分です。「ヨブは苦しみにあっても、決して神から離れなかった」。気になるのはこの言葉そのものではなく、「ヨブ」という言葉が歌を聴く人に伝わるだろうか、ということです。聖書を読んだことがない方々が、突然「ヨブ」という名前が歌に登場したときに、えっ、何それと思うんじゃないかと、今だから言えるのです。「今だから」というのは、最近早紀江さんの手記を読み返してみて、納得したのです。木南さんがあえて唐突と思われるような歌詞にしたのは、じつはそのとまどいそのものが、早紀江さんの感覚であった。つまりわかりやすい歌をではなく、早紀江さんの感覚、えっ、ヨブ?なにそれという戸惑いを、聞く人々はこの歌を通して追体験しているのだ、と。

 理由がわからないまま、めぐみさんが失踪した中、早紀江さんはめぐみさんの親友のお母さんであった眞保さんというクリスチャンから、聖書を読む会に誘われました。そしてその会のメンバーである岡田さんという別のクリスチャンから、彼女は文語訳の聖書を渡されて、「ヨブ記」を読むようにと何度も言われたそうです。なぜヨブ記?そもそもヨブって何?その戸惑いの中で、それでも早紀江さんはヨブ記から読み始めます。それは彼女の中に何を生み出したのでしょうか。手記の中にこう書かれています。
 今考えてもほんとうに不思議ですが、初めて、それも一人で聖書を読んだのに、すべてがピタッピタッと自分に当てはまるようで、みんなうなずきながら読めたのです。いい意味での大きなショックを受けた私は、事件以来初めて深呼吸ができ、久しぶりに空気がおいしいと感じました。ほんとうに苦しい毎日でしたから・・・・
(田早紀江「新版ブルーリボンの祈り」、いのちのことば社、140頁)


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posted by 近 at 19:26 | Comment(0) | 2012年のメッセージ