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2012.9.2「イエスを喰らう」

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聖書箇所 ヨハネ6:51-60
51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」52 すると、ユダヤ人たちは、「この人は、どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるのか」と言って互いに議論し合った。53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。58 これは天から下って来たパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」59 これは、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。60 そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」


 先日、実家に帰省した折、父から数枚の写真を渡されました。今から20年以上前、敬和のフェスティバルで私が演劇に出演していたときのものです。(写真を見せる)
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 ほとんど心霊写真です。このとき、フェスティバルの演劇部門のチーフを任されたのはよかったのですが、まったく脚本が決まりませんでした。脚本ができないと、稽古と言っても、発声練習くらいしかすることがないのです。毎日屋上にのぼって、みんなで「あえいうえおあお〜」とか叫んでいました。そんな私を見て、敬和のある先生が「ひかりごけ」という戯曲を紹介してくださいました。

 しかしいざその戯曲を紐解いてみると、とんでもない内容でした。人肉、つまり人の肉を食べるという話だったからです。太平洋戦争末期、冬の北海道沖で軍用船が座礁します。船長以下、乗組員は何とか脱出するのですが、真冬の知床では、食べるものが何もない。洞窟に潜り込み、全員が日に日に衰弱していく中で、船長は決断します。生きのびるために、仲間の肉を喰らうしかない。この脚本のタイトルになっている「ひかりごけ」とは、人の肉を喰らった者は、首のまわりにぼんやりと浮かぶ青白い光を指します。この船長は、仲間の血をすすり、肉を喰らってでも生きのびなければならない、と仲間に言います。死んでいいのは、天皇のために命を捨てるときだけだ、と。
 そして船長の行動は暴走し、狂気へと向かっていきます。仲間の肉を食べることを拒絶して餓死寸前の仲間さえも、あと二、三日すればどうせ死ぬのだと吐き捨て、殺してしまうのです。乗組員は船長以外、みな死ぬか殺され、そして船長は救援隊に助け出されました。しかし彼がなしたことも明るみに出て、彼は裁判にかけられます。その時には彼も狂気から覚めており、仲間を喰らったことを悔いながら、死刑宣告も受け入れるのですが、最後に彼は驚きます。というのは、裁判所にいる判事、検事、弁護人、そして傍聴人に至るまで、首のまわりに青い光が浮かんでいたからです。この船長は生きるために確かに仲間を殺し、そしてその肉を喰らった。しかし戦争とは、その国のすべての者が、国のためと言いながらじつは仲間を殺し、その肉を喰らうことなのだという痛烈な批判をもって、この戯曲は終わっています。

 この脚本を初めてみんなで読み合わせしたときの衝撃は、いまだに覚えています。こんなのやりたくないと言った女子学生もおりました。そしてイエスの話を聞いていた弟子たちの衝撃はそれ以上だったでしょう。イエスは言われました。「人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちにいのちはありません」。最後の60節を見ると、この言葉に多くの弟子たちが失望し、イエスのもとを去っていったとあります。それほどまでにひどい言葉でした。特にユダヤ人にとって、血に触ることさえも大きな罪として教えられていましたので、その血を飲むなどとは到底受け入れられないことでした。なぜイエスはここまで言われたのでしょうか。誤解を招く、というレベルを越えています。しかし語った。語らなければならなかった。なぜか。救いというのは、彼らが考えているほど生やさしいものではないのです。動物のいけにえをささげることで罪が赦される?善行を繰り返すことで罪が帳消しにされる?そんなことはあり得ない。私たちすべての人間が抱えている罪を取り除く方法はただ一つ。「人の子の肉を食べ、その血を飲む」。あらゆる人間が嫌悪感を抱かずにはいられない、そのような言葉を用いてイエスは私たちがそこまでしても救われなければならないのだということを示されました。

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posted by 近 at 13:44 | Comment(0) | 2012年のメッセージ