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2012.11.25「拭きスジも残さぬまでに」

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※礼拝説教の前に、村上福音キリスト教会を訪問した三人の姉妹(片山姉、小山姉、笹川姉)の証しがありました。




聖書箇所 ヘブル人への手紙10章19-22節、ローマ人への手紙7章24、25節
19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。 20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。 21 また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。 22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。 25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

 今年のバザーの出品物をみんなで確認していたときのことです。ほこりをかぶった茶碗やお皿が結構あったのですが、バザー担当の姉妹からこんな注意がありました。「陶器や漆器は、ぬれたふきんでふいてしまうと、“拭きすじ”が跡に残ってしまい、売れ残ったときにオフハウスに買い取ってもらえなくなる。だから拭くときは乾いた布でふいてください」。そんな細心の注意の甲斐あって、今年のバザーの売れ残りはすべて買い取っていただけたという話ですが、私はふとこう思いました。私たちの生まれつきの心も、きれいにしたようでじつは拭きスジが残っているのではないか、と。

 これは聖書ではなく日本人の感覚に基づく話ですが、生まれたばかりの子供の心を純真無垢とたとえたりします。ところが大人になるにつれて悪いことをおぼえたり、心が汚れていってしまうと考える。その汚れた心をきれいにするために禅寺で座禅を組んだり、人によいことをしてあげたり、というのが日本人の信仰心でもあるわけです。つまり何が言いたいかというと、最初はきれいだったがだんだんほこりをかぶって汚くなってしまうのが心であって、それを修行や善行といった「きれいな水」できよめようとする、それが多くの人々の考えではないかと思うのです。しかし人がこれはきれいな水だと思っているようなよい行いも、じつはそうではないのだと言いたいのです。それは、時間が経ってみると白っぽい筋になって残ってしまうようなものに過ぎない。その時は「ああ、いいことをした」と思ってても乾くとかえって汚れが目立つようになってしまうようなものでしかない。その意味で、聖書はすごいことを言っているわけです。それは何かというと、「邪悪な良心」。「良心」って、良い心のことですね。心は目に見えませんが、イメージとして、80%位は汚れていても、(このパーセンテージは人まちまちですが)、20%くらいはその心の中に汚れていない、良い部分があって、それを私たちは良心と呼ぶわけです。

 ところが聖書は、その良心でさえ邪悪であるというのです。良心が邪悪であるというのは、あたまのてっぺんからつま先に至るまで、あなたにはいい所ありませんよ、全部汚れていますよと言われているのと同じです。そんなことはない、ボランティアやったり、優しい言葉をかけてあげたりしてます、いつも心をきれいな水でふいていますと言っても、あなた自身がはじめから邪悪だから全然だめですよ、と言われているのと同じです。実際、世の中では生まれたばかりの赤ちゃんのことを「罪のない子供」と言いますが、聖書はかえって「人は生まれながらに罪がある」とも言っています。遠い先祖であるアダムとエバが罪を犯してしまったから、すべての人間は生まれながらに罪を背負っているのだ、と。どちらが正しいのでしょうか。罪なしで生まれてくるのか、罪をもって生まれてくるのか。ただ赤ん坊がいつも泣き叫びながら生まれてくるのは、もしかしたら、自分が生まれたときにすでに背負っている、何かとてつもない重荷とかを彼らは知っているのではないかと考えることがあります。

 先ほど、三人の姉妹が村上教会を訪問した証しをしてくださいました。村上教会の牧師は宮本先生、で思い出したのですが、かの剣豪、宮本武蔵は風呂嫌いで有名でした。武蔵は子供の頃、何かの病気で頭のてっぺんに大きな腫れ物ができて、その跡がはっきりと残ってしまった。だから、当時の侍はみんな月代(さかやき)といって頭をキレイにそり上げていたのですが、彼は髪の毛を伸ばしてその傷が絶対に人の目に触れないようにした。そしてお風呂に入るとその頭の傷を見られてしまうので、絶対に風呂は入らない。手拭いをしめらして、体をふくだけ。その傷について知らない人が、「武蔵さん、くさいわあ。なんでお風呂はいらへんの」と聞くと、彼はかっと目を見開いてこう答えた。「身の垢は手桶の水で洗うことができるが、心の垢は洗えるものではない」。それを聞いて人々は、「さすが武蔵、言うことがそこらへんのお侍とはちがうわあ」となるのですが、ただ今でいうコンプレックスだったんじゃないかと思います。彼が剣の道に励んでいったのも、そのコンプレックスを跳ね返そうと必死に生きた結果だったのかもしれません。でも彼のことばは、それが本心かどうかは別として、一つの真理を教えています。それは、人の心の中には、どんな水でも洗い流すことのできない垢がこびりついている、ということです。

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2012.11.18「あきらめなかった盲人」

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聖書箇所 ルカの福音書18章35-43節
 35 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。 36 群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。 37 ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、 38 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と言った。 39 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。 40 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。 41 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。 42 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言われると、 43 彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。

 数年前、「聖書を読んだサムライたち」という本が話題になったことがありました。新島襄、新渡戸稲造、福澤諭吉のほか、坂本竜馬を斬った今井信郎がその後回心して受洗したことなどが取り上げられていました。しかし実際のところ、明治期の教会の指導者たちは、ほとんどがサムライ出身でした。札幌でクラーク博士の感化を受けた内村鑑三はもともと高崎藩士の子供です。新渡戸稲造は盛岡藩、新島襄は上州安中藩、他にも植村正久、海老名弾正、金森通倫といった明治期の有名なクリスチャンたちは、ほぼみなが士族出身であったのです。いわゆる平民に属するのは、おそらく救世軍の山室軍平と、少し時代が下りますが賀川豊彦くらいではないかと思います。ですからこう言うことさえできるでしょう。日本の教会は、サムライによって作られたのだと。
 でもこれは、長い目で見れば悲劇でした。というのは、サムライの宗教であったゆえに、教会の担い手は民衆ではなく、一部のインテリにとどまったからです。比較しても仕方がないことですが、韓国では逆でした。宣教師たちは都市よりも農村へ伝道し、教会の担い手は貴族ではなく農民たちとなりました。日本の教会を指導した人々が元サムライであったことは、戦後も教会の中に「教会はこうあるべき」という空気を作り出したのではないかと思います。
 つまり、武士道に影響された教会です。救われた喜びをかみしめる礼拝ではなく、なぜかしかめっ面をして説教を聞く人々。罪人が神の御前(みまえ)に出られることは圧倒的な恵みであるはずですが、むしろ私たちの先輩はこう考えていたのかもしれません。「控え、控えい。神の御前(おんまえ)であるぞ」と。「公の祈り」という教会独特の表現が生まれ、まるでサムライがたしなんだ連歌のように洗練された祈りが要求される。罪は基督者として恥であり、常に礼儀をわきまえるのが基督者でなければならない、と。
 もちろん教会には秩序が必要であることは確かです。しかし自由の反対語が秩序ではありません。秩序と自由は共存できるもの、いやむしろお互いに補い合うものです。教会は、秩序の神であるキリストがいるからこそ、大きく口を開けて笑い転げていい所です。神が臨在される聖なる場所であることは事実ですが、それぞれの信者の心にも神は臨在されておられます。だったら今更何をかしこまる必要があるでしょうか。以前、ほんね病という言葉を紹介しましたが、本音もまた秩序の反対語ではありません。本音をぶちまけてまわりを傷つけずとも、神のことばが、私の知らない心の深みの深みまで探ってくれるのが教会なのです。そしてある盲人、他の聖書ではバルテマイという名前が明らかにされています。彼がイエス様に対して叫び続けた姿も、私たちに信仰とは何かと教えてくれます。彼は自分を救ってくれるのは神だけだと知っていた。だから「ナザレのイエスだと聞くと」、大声で叫び始めたのです。

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posted by 近 at 10:39 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

2012.11.11「みことばと交わりの出会うところ」

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聖書箇所 申命記1章9-18節
 9 私はあの時、あなたがたにこう言った。「私だけではあなたがたの重荷を負うことはできない。 10 あなたがたの神、【主】が、あなたがたをふやされたので、見よ、あなたがたは、きょう、空の星のように多い。 11 ──どうかあなたがたの父祖の神、【主】が、あなたがたを今の千倍にふやしてくださるように。そしてあなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように── 12 私ひとりで、どうして、あなたがたのもめごとと重荷と争いを背負いきれよう。 13 あなたがたは、部族ごとに、知恵があり、悟りがあり、経験のある人々を出しなさい。彼らを、あなたがたのかしらとして立てよう。」 14 すると、あなたがたは私に答えて、「あなたが、しようと言われることは良い」と言った。 15 そこで私は、あなたがたの部族のかしらで、知恵があり、経験のある者たちを取り、彼らをあなたがたの上に置き、かしらとした。千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長、また、あなたがたの部族のつかさである。 16 またそのとき、私はあなたがたのさばきつかさたちに命じて言った。「あなたがたの身内の者たちの間の事をよく聞きなさい。ある人と身内の者たちとの間、また在留異国人との間を正しくさばきなさい。 17 さばきをするとき、人をかたよって見てはならない。身分の低い人にも高い人にもみな、同じように聞かなければならない。人を恐れてはならない。さばきは神のものである。あなたがたにとってむずかしすぎる事は、私のところに持って来なさい。私がそれを聞こう。」 18 私はまた、そのとき、あなたがたのなすべきすべてのことを命じた。
 人生の終わりが目の前に近づいてきたとき、人はまず真っ先に何を思い浮かべるでしょうか。地上に残していく愛する家族の顔。生涯かけて、自分が積み上げてきた幾多の業績。あるいは様々な所へ旅をして出会った光景。人によって様々でしょう。しかし人生の最後に真っ先に思い浮かべるものが、自分でも、ましてや自分の業績でもなく、自分を助けてくれた仲間たちであるような人生は、まことに幸せなものと言えるでしょう。人はこの世に一人で存在しているのではない。そして人は誰にも頼らず生きている強い存在でもない。日本には「おかげさま」という言葉があります。聖書から来た言葉ではありませんが、極めて聖書的な言葉です。すべてを良きにはかりたもう神が、最もふさわしいときに、最もふさわしい方法で、人々の助けを得させてくださったということだからです。最も必要なパートナー、あるいはサポーターを与えてくださった。今日のモーセの言葉からは、「御陰様で」という言葉が飛び出してきても不思議ではない、温かな気配が感じられます。
 モーセは、過去のことを知らない、新しい世代の前に立ち、この40年を振り返ります。自らの死も視野に入れた彼が真っ先に口にした思い出は何だったでしょうか。あなたがたの父が不従順の罪を犯したゆえに、この40年の遅れがあるのだという叱責だったでしょうか。いいえ、その前に彼が語ったことは、「私が一番苦しかったとき、私の重荷を背負ってくれたのはほかでもない、あなたがたの父なのだ」ということでした。私の心からの仲間、同胞(はらから)よ、あなたがたは、私の苦しみを分かち合い、重荷を肩代わりしてくれた者たちの子なのだ、という感謝が今日の聖書箇所からは響いてきます。

 ところで、申命記のこの箇所は、出エジプト記18章に書かれてある出来事を指しています。しかしそこを開くのではなく、モーセの半生も含めて、自分自身の言葉で紹介したいと思います。
 モーセが生まれたとき、エジプト人に殺されることを恐れた両親は、彼を葦の籠に乗せて川へ逃がしました。神のみこころにより、籠はエジプトの王女に拾われ、モーセはエジプト王家のひとりとして育てられます。しかしモーセは40歳の時、同胞イスラエル人を助けるためにエジプト人を殺してしまい、ミデヤン人のもとへと逃げ出しました。そこで彼はチッポラというミデヤン人女性と結婚し、そしてホレブで神に出会うまで40年間、羊飼いとして過ごしました。そして出エジプト記18章にはこんなことが書かれています。
 エジプトを脱出して二ヶ月後、彼ら総勢200万人と言われるイスラエル人たちは、シナイ山にとどまっていました。そのときチッポラの父で、モーセにとってはしゅうとにあたるイテロが彼らのところを訪問します。モーセとイテロは、親子水入らずの時を過ごすのですが、イテロはモーセの生活を見て驚くのです。というのは、200万の民が、あらゆる問題をモーセのところに持ってきます。モーセはそれを処理するのに一日中かかりっきりで、へとへとに疲れ果てていたからです。
 そこでイテロはこう助言しました。「モーセ、あなたひとりで200万の民すべての問題をさばけるはずがありません。あなたは、あなたにしかできないこと、つまり神の前に民のとりなしをするという霊的な仕事に専念すべきです。その他のことは、信頼できるリーダーを民の中から選んで、彼らにゆだねなさい。千人、百人、五十人、十人、それぞれにリーダーを立てて、小さな事件は彼ら自身にさばかせるのです」。
 リーダーシップの分与という点で、このことからも大変学ぶ所は多いのですが、申命記でモーセは別の視点からこの出来事を振り返っています。彼に助言を授けたイテロについて、申命記ではまったく触れていません。代わりに触れられているのは「あなたがた」という言葉です。9節、「私はあの時、あなたがたにこう言った。「私だけではあなたがたの重荷を負うことはできない」」。13節、「あなたがたは、部族ごとに、知恵があり、悟りがあり、経験のある人を出しなさい」。14節、「すると、あなたがたは私に答えて、「あなたが、しようと言われることは良い」と言った」。
 出エジプト記では、イテロの助言のもと、モーセがリーダーたちを選んだことが記録されています。しかしこの申命記では、モーセは提案者にすぎず、イテロについては触れられてもいない。大事なのは、実際にリーダーを選び、重荷を共に担ってくれたのは「あなたがた」だという視点です。これはとても大事な視点です。教会という神のからだを考えるとき、大切なのはリーダーシップそのものではありません。誰のためのリーダーシップなのか、ということです。

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posted by 近 at 19:26 | Comment(0) | 2012年のメッセージ

北区音楽祭

11/4(日)に新潟市北区文化会館の大ホールにて、北区音楽祭が開催されました。
教会員および求道者の有志で構成する賛美グループ「T-Breeze(豊栄の風)」が参加しました。
曲目
1. ブルーリボンの祈り(作詞作曲:木南明子)
2. 神の御子は(作曲:John F. Wade)=新聖歌95番1,2節
3. 荒野の果てに(フランス民謡)=新聖歌98番1,2節

posted by 近 at 14:00 | Comment(0) | 教会行事

2012.11.4「みことばをことごとく」

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聖書箇所 申命記1章1-8節
 1 これは、モーセがヨルダンの向こうの地、パランと、トフェル、ラバン、ハツェロテ、ディ・ザハブとの間の、スフの前にあるアラバの荒野で、イスラエルのすべての民に告げたことばである。2 ホレブから、セイル山を経てカデシュ・バルネアに至るのには十一日かかる。3 第四十年の第十一月の一日にモーセは、【主】がイスラエル人のために彼に命じられたことを、ことごとく彼らに告げた。4 モーセが、ヘシュボンに住んでいたエモリ人の王シホン、およびアシュタロテに住んでいたバシャンの王オグをエデレイで打ち破って後のことである。
 5 ヨルダンの向こうの地、モアブの地で、モーセは、このみおしえを説明し始めて言った。6 私たちの神、【主】は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。7 向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。8 見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、【主】があなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた地である。」
 昔、教会学校でやったクイズです。聖書の中に、読めば必ず長生きができる本があります。それは何でしょうか。答えはこの「申命記」です。申命記の最初に人、すなわちにんべんをつけてみてください。「命を伸ばす」となります。これはあくまでもクイズですが、確かに申命記は長生きの書と言えなくもありません。というのは、というのは、申命記の大きなテーマは、神のことばに従うことによる祝福だからです。そして『申命記』を敬遠するクリスチャンたちに思い出してほしい、ひとつの事実があります。それは、この『申命記』はイエス様の愛読書でした。新約聖書でイエス様が引用されているみことばは、圧倒的に申命記からのものです。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつ一つのことばで生きる」。イエス様が悪魔に真っ先に言われたこのことばも、申命記からです。申命記は、まさにその神のことばをひとつひとつ味わっていく人々の命を伸ばしてくれる「長生きの書」であると言えるでしょう。
 では、クイズではなく真剣に、『申命記』とはどういう意味でしょうか。申命記の「申」という漢字には「重ねて、繰り返して」という意味があります。重ねて命じられた記録、繰り返される命令、それが『申命記』という書名の意味です。申命記の内容は、レビ記や民数記といったその前の書と重なるところが少なくありません。なぜあえて同じことを繰り返し語らなければならなかったのか。それは、『申命記』はそれらを聞いていない、新しい世代に重ねて語られたからです。これには歴史的説明が必要でしょう。ここでイスラエル民族の歩みをまとめてみたいと思います。

 今から約3400年前、イスラエル民族はエジプトで奴隷として苦しんでいました。神は彼らをあわれみ、ひとりの指導者を立てて彼らを解放し、約束の地であるカナンへと導こうとされました。その指導者こそ、この『申命記』の語り手であるモーセその人です。あの有名な、紅海が二つに分かれてそこを進むという奇跡を体験しながら、彼ら数十万人のイスラエル民族はエジプトからカナンへと進んでいきました。エジプトからカナンへはどれだけの距離でしょうか。じつは直線距離で160キロくらいしかありません。彼らは砂漠を大きく迂回して進みましたが、それでも徒歩で三週間もあれば到達するはずでした。2節には、「ホレブから、セイル山を経てカデシュ・バルネアに至るのには11日かかる」とありますが、これは約全行程の半分です。しかし隣の3節を見ると、こう書いてあるのです。「第40年の第11月の1日にモーセは・・・・」。
 この40年は、エジプトを脱出してから40年です。一ヶ月もかからない距離を、彼らは40年かかったのです。なぜでしょうか。40年前、そのカデシュ・バルネアでイスラエル人たちは神に逆らい、罪を犯しました。そのさばきとして、その世代が生きている間は、決して約束の地に入れなくなってしまったのです。モーセもまた、約束の地に入ることはできないと神は言われました。40年の間に昔を知る者たちは世を去り、新しい世代がイスラエルに育っていきました。彼らは神が約束されたとおり、モーセの死と共にカナンへと向かいます。彼らが40年前と同じ過ちを犯すことがないように、みことばが余すところなく語られる必要がありました。それが、この『申命記』という記録の意味なのです。

 さて、この歴史を踏まえて今日の聖書箇所を読み返してみると、みなさんは不思議に思われるはずです。モーセは聴衆に向かって、「あなたがたはこうした」と40年前の出来事を語ります。しかし聴衆の世代は、そのことを知らない世代なのです。モーセが語っている出来事は、彼らの亡くなった親たちのやったことです。しかしモーセは、まるで彼らがその中心にいたかのように語ります。
 ・・・これが、歴史の中に生きるということです。過去の時代を指して、私はその時にいなかった、親や祖父のなしたことだ、私には関係ない。そのように言える者は誰もいないということです。これは、とくに日本人にとって心に刻まなければならないことでしょう。ナショナリズムの高まりの中で、中国、韓国に対する戦争犯罪は過去の出来事として受けとめられています。若い世代は、私には関係ないと言います。すでに賠償責任は果たしたはずだ、と。国として宣言した謝罪文についても、あれは無効だ、と言う者もいる。しかし忘れてほしくないのは、たとえ何世代経ったとしても、私たちは罪から目をそむけることはできないのです。戦争犯罪だけでなく、原罪という人間が抱えている生まれながらの罪もそうです。アダムとエバの罪がどうして私に関係あるのか。しかしすべての人間はこの二人から生まれた者であり、決してそこから逃れることはできません。逃げ出すのではなく見つめること。開き直るのではなく悔い改めること。その先にこそ、罪の赦しと永遠のいのちがあります。

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posted by 近 at 15:52 | Comment(0) | 2012年のメッセージ