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2012.11.18「あきらめなかった盲人」

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聖書箇所 ルカの福音書18章35-43節
 35 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。 36 群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。 37 ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、 38 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と言った。 39 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。 40 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。 41 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。 42 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言われると、 43 彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。

 数年前、「聖書を読んだサムライたち」という本が話題になったことがありました。新島襄、新渡戸稲造、福澤諭吉のほか、坂本竜馬を斬った今井信郎がその後回心して受洗したことなどが取り上げられていました。しかし実際のところ、明治期の教会の指導者たちは、ほとんどがサムライ出身でした。札幌でクラーク博士の感化を受けた内村鑑三はもともと高崎藩士の子供です。新渡戸稲造は盛岡藩、新島襄は上州安中藩、他にも植村正久、海老名弾正、金森通倫といった明治期の有名なクリスチャンたちは、ほぼみなが士族出身であったのです。いわゆる平民に属するのは、おそらく救世軍の山室軍平と、少し時代が下りますが賀川豊彦くらいではないかと思います。ですからこう言うことさえできるでしょう。日本の教会は、サムライによって作られたのだと。
 でもこれは、長い目で見れば悲劇でした。というのは、サムライの宗教であったゆえに、教会の担い手は民衆ではなく、一部のインテリにとどまったからです。比較しても仕方がないことですが、韓国では逆でした。宣教師たちは都市よりも農村へ伝道し、教会の担い手は貴族ではなく農民たちとなりました。日本の教会を指導した人々が元サムライであったことは、戦後も教会の中に「教会はこうあるべき」という空気を作り出したのではないかと思います。
 つまり、武士道に影響された教会です。救われた喜びをかみしめる礼拝ではなく、なぜかしかめっ面をして説教を聞く人々。罪人が神の御前(みまえ)に出られることは圧倒的な恵みであるはずですが、むしろ私たちの先輩はこう考えていたのかもしれません。「控え、控えい。神の御前(おんまえ)であるぞ」と。「公の祈り」という教会独特の表現が生まれ、まるでサムライがたしなんだ連歌のように洗練された祈りが要求される。罪は基督者として恥であり、常に礼儀をわきまえるのが基督者でなければならない、と。
 もちろん教会には秩序が必要であることは確かです。しかし自由の反対語が秩序ではありません。秩序と自由は共存できるもの、いやむしろお互いに補い合うものです。教会は、秩序の神であるキリストがいるからこそ、大きく口を開けて笑い転げていい所です。神が臨在される聖なる場所であることは事実ですが、それぞれの信者の心にも神は臨在されておられます。だったら今更何をかしこまる必要があるでしょうか。以前、ほんね病という言葉を紹介しましたが、本音もまた秩序の反対語ではありません。本音をぶちまけてまわりを傷つけずとも、神のことばが、私の知らない心の深みの深みまで探ってくれるのが教会なのです。そしてある盲人、他の聖書ではバルテマイという名前が明らかにされています。彼がイエス様に対して叫び続けた姿も、私たちに信仰とは何かと教えてくれます。彼は自分を救ってくれるのは神だけだと知っていた。だから「ナザレのイエスだと聞くと」、大声で叫び始めたのです。

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posted by 近 at 10:39 | Comment(0) | 2012年のメッセージ