聖書箇所 ルカの福音書12章4-9節
4 そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。5 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。6 五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。7 それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。8 そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。9 しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。
先日、古本屋を散策している中で、懐かしい本のタイトルが目に入ってきました。「てぶくろを買いに」という新美南吉の童話です。なぜ「手袋を買いに」が心に止まったかといいますと、その日私が手袋を忘れて外に出て来てしまったからです。それはさておき、本を開きます。主人公はきつねの母子(おやこ)。ある冬の朝、狐のぼうやは、お母さん、目に何か刺さったと訴えるところから始まります。じつはそれは太陽の光が外の雪に反射しているものでした。生まれて初めて雪景色をみた狐のぼうやは、そのまぶしさをまるで目に何か刺さったように感じたのでした。
少しあらすじにお付き合いいただきたいと思います。お母さん狐は、坊やに言いました。それは雪よ。夜になったら町に行って毛糸の手袋を買いにいきましょうね。しかしいざ夜になり、町に近づくと、お母さん狐はがくがく震えてしまうのです。友達が人間に捕まってひどい目に遭わされたことを思い出し、一歩も歩けなくなってしまいます。お母さんは坊やの片方の手だけを人間の手に変えると、白銅貨2枚を握らせて、こう言いきかせました。「いい坊や、町へ行って、まるい帽子の看板がある家を探すのよ。それが見つかったらね、トントンと戸を叩いて、今晩はって言うの。そうするとね、中から人間が、すこうし戸をあけるからね、その戸の隙間から、こっちの手、ほらこの人間の手をさし入れてね、この手にちょうどいい手袋頂戴って言うのよ、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目よ」。「どうして?」と坊やの狐はききかえしました。「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないのよ、それどころか、つかまえて檻の中へ入れちゃうのよ、人間ってほんとにこわいものなのよ」。
この話の続きは、みなさんよくご存じでしょう。言われたとおりに帽子屋の扉をとんとん叩いた狐の坊や、扉の隙間から洩れた店の光があまりにもまぶしいものだから、間違えて狐のほうの手を入れてしまいます。しかし帽子屋の主人は白銅貨が本物だとわかると、そのまま子狐の手にぴったりの手袋を渡しました。戻ってきた坊やは母親に「人間は全然こわくないよ」と言います。そしてこの物語は母狐がこうつぶやくところで終わるのです。「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」と。
少し長く引用してしまいましたが、大人になってこの童話を読み返したときに、この母狐のことばがようやくわかりました。「人間はこわくて、悪い生き物」という思い込みにしばられている彼女は、じつは私たち人間の心そのものなのだと。先日のアルジェリアでのテロ事件は、みなさんも悲しい思いをもって受けとめられたでしょう。アルジェリアでのガスプラントに従事していた日本企業の関係者10名が犠牲になりました。イスラム原理主義の影響を受けた、アルカイダに関係しているテロ集団がその首謀者として公表されています。彼らは人質の首に爆弾をしかけて、みせしめに殺していったということも囁かれています。ある人は言うでしょう。イスラム原理主義ってイスラム教の一派でしょう。やっぱり宗教って怖いね、と。しかし自分が被害者になったわけでもないのに宗教って怖いねと簡単に言ってのける人の心もまた怖いと思います。いやむしろ、すべての宗教を十把一絡げにまとめてしまい、怖い怖いと避けて通る人の心のほうがテロよりもはるかに私たちの生活になじみのあるものであるぶん、危険さを感じます。「手袋を買いに」でソフトに描かれてはいるが、確かにそこに存在するのは、私たちを偽って食い物にしようとする、恐れの感情です。母狐は坊やに言います。私の友達が人間にひどい目に会わせられたんだよ、と。自分が当事者となったわけではない、しかし十把一絡げに「人間というのは恐ろしくて悪いやつなんだ」と思い込んでしまい、それを子供へと引き継いでいく。ただの童話を深読みしすぎと言われてしまうかもしれませんが、少なくとも新美南吉は狐が書きたくてこの童話を世に出したのではないでしょう。彼は人間を書いたのです。どんな人間にもある心の闇と壁が、小さな出会いを通して砕かれ、徐々に光さしていく、その希望を童話に託したのです。
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