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2013.3.31「墓をのぞいて見えたもの」

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聖書箇所 ヨハネの福音書20章1-3、11-18節
 1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。
 11 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。12 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。13 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。
序.
 今日は教会暦でイースターと呼ばれる日です。教会の一年の中ではクリスマスと並んで重要な日と言えるでしょう。しかしクリスマスが毎年12月25日と決まっているのに対し、イースターは何月何日と決まっていません。私たちが通常使っているカレンダーは太陽暦ですが、イースターは太陰暦に基づいて決められています。太陰暦による春分の後の満月の直後の日曜日、舌をかみそうなこの計算のもとでイースターがいつになるかが決められています。そのように複雑な計算によって決められるイースターですが、意味そのものは極めて単純です。イエス・キリストが墓の中からよみがえられた日。それがイースターに他なりません。救い主が死んでしまったという悲しみが、救い主は生きておられるという喜びへと劇的に変わった朝。それがイースターです。悲しみは喜びに、涙は笑いに、嗚咽の声は高らかな讃美へと変わった日、それがイースターです。私たちは今日、喜びをかみしめながらこのイースターを過ごしたいと願います。たとえ私たちがどんな疲れや痛みの中であえいでいたとしても、キリストの復活をかみしめていくとき、そこに喜びがわき起こっていくことを聖書は教えています。私たちもその喜びにともにあずかっていきましょう。

1.墓を覗けば
 11節、「しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた」。このマリヤはイエスの母マリヤではなく、マグダラのマリヤです。イエスを救い主と信じ、十字架での最後も見届け、墓に納められる所までも付き従った女性でした。安息日が明けて朝早く墓に来たものの、墓の入り口が開いてイエスの亡骸がなくなっているというショックに泣き悲しむ姿から、今日の箇所は始まります。マリヤはイエスの亡骸が見あたらないという悲しみのどん底に突き落とされました。空っぽの墓を見に来た弟子たちも帰ってしまい、墓のそばには人の気配もありません。彼女は文字通り途方に暮れてたたずみます。誰かが私の主を取って行ってしまった。どこを捜したらよいのか。誰に頼ったらよいのか。マリヤは泣きながら、ただ墓の前で佇みます。しかし彼女はなぜしゃがみこまなかったのか。そこには主の守りがありました。悲しみの中で泣いてもいい。どれだけ泣いてもいい。しかししゃがみこんで顔を下に向けてしまったら、私たちの心もただ悲しみの中に沈み込んでしまう。マリヤはしゃがみこまなかった。どんなに涙が目から溢れても顔を下に向けず、立ち続けた。そしてその目は、やがて墓の入り口に一抹の光が差していることに気がついたのです。私たちもまた、人生で数え切れない涙を流します。愛する者と死に別れる時、夢や希望がうち砕かれる時、いったいどうすればよいかわからない、ただ涙を流すしかない、そんなときがあります。しかしどれだけ瞳が涙で覆われても、地面を見つめるのではなく天を仰いでいきたい。一度叩いても壊れなかった壁があれば、何度でも何度でも叩いていきたい。彼女が見つめた墓は、愛する主が消えてなくなってしまった場所でした。しかし彼女は心を奮い立たせ、もう一度その墓へと近づいた。泣きながら、涙を流しながら、それでももう一度墓の中をのぞき込んだとき、そこからマリヤへの特別な神のはからいが始まっていったのです。
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2013.3.24「今、目の前にある喜びのゆえに」

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聖書箇所 マタイの福音書27章27-31節
 27 それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めた。28 そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。29 それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」30 また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。31 こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出した。

序.
 先週の火曜日から木曜日まで、この教会が所属する日本同盟基督教団の第64回教団総会が静岡の掛川で行われました。この第64回は教団の歴史を語る上で極めて重要な会議として記録されることになるでしょう。この10年以上、同盟教団は機構改革を進めてきましたが、今回の総会でそれが実現しました。来年度からは、今までのように牧師や信徒が300人以上集まる総会はなくなります。それぞれの宣教区からその都度選ばれる、100人くらいの代表者による総会となります。
 お祈りいただいておりましたが、私は今回、財務審査委員会の委員長を務めました。名前は立派ですが、誰もやりたがらない奉仕です。今までの総会では、ひとつ一つの議題を扱っていては時間が足りません。そこでいくつかの委員会に議題を小分けしています。委員長は委員会の議長を務め、その内容を本会議で報告します。委員長についての奉仕依頼が来たとき、頭に思い浮かべたのは「やりたくない」という6文字でした。委員会では細かすぎる質問にきりきり舞いされ、本会議ではもっと細かい質問に吊し上げられ・・・しかし依頼を断れるほどえらくありません。腹を決めて、何週間も前から祈祷会で祈っていただきました。私自身も前日には会場入りし、用意した原稿を何度も復唱し・・・なのに、緊張して議事のひとつを飛ばしてしまいました。それを指摘されて頭が真っ白、議員が苦笑している姿が目に入ると顔は真っ赤。何とか総会は終了しましたが、身も心も疲れ切って帰りの道に着きました。

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posted by 近 at 19:39 | Comment(0) | 2013年のメッセージ

2013.3.17「十字架の裏側を見よ」

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説教に先立ち、信徒の証しがありました。



聖書箇所 ルカの福音書22章24-34節
 24 また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。25 すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。26 だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。27 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。28 けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。29 わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。30 それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
 31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」33 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」

 今日は、教会員の山ア敬典兄に闘病の証しをしていただきました。兄弟を通して働いてくださった神さまの御名を崇めます。しかしその証しは闘病記というよりは病を通してじつに多くの恵みを得たという告白にあふれています。ある方は「闘病」ではなく「問う病」(この「トウ」は「問いかける」という漢字です)と呼ぶべきだと言います。兄弟のご家族は、最初の手術が成功に終わったはずなのに、どうしてまだ不調が続くのだろうと不安に思ったでしょう。どうして?どうして?ご家族にとって、まさに「問う病」です。しかし兄弟本人は、その中にあっても平安があった。神が必ず私を守り、導いてくださると。それもまた「問う病」です。ただし問いかけた相手は自分です。ちょうど詩篇103篇のように。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」。この病を通して、神様もまた兄弟のたましいに問いかけました。「それでもあなたはわたしに従うか」。彼はその問いかけに強く頷いたと信じます。そして私は病に限定して語ってきましたが、人生のあらゆる問題−−それは厄介ごとのままで終わることは決してありません。その様々な問題を通して、私たちの心の内側にある隠れた思いがあぶり出されていきます。それが試練です。聖書は言います。「訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか」(ヘブル12:7)。

 試練を通して、私たちは成長します。心に隠れたものがあぶり出され、より神に近づこうとする信仰へと導かれます。しかしもしそうだとすると、イエス様も試練を経験されたということはどう考えるべきでしょうか。28節、「けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです」。主が経験された「さまざまの試練」。ある人は、荒野の誘惑を思い起こすでしょう。またある人は、この後のゲツセマネの祈りを連想するかもしれません。しかしそのどちらにも、弟子はおりません。主は一人で悪魔と立ち向かい、父なる神に絶叫しました。いったいここで主が言われる「さまざまの試練」とは何のことなのでしょうか。私はこう思います。さまざまの試練、それはイエスが弟子たちと共に歩まれた三年半の歩みの日々すべてを指しているのだ、と。その三年半の最後に待ち受けるものを、イエスもまた恐れ、怯え、その見えない格闘の中で父なる神から訓練された。それゆえに「試練」と呼んでいるのだ、と。そして三年半の最後に待ち受けるもの、それこそが十字架の苦しみであります。
 今の私の言葉につまずきをおぼえる方もいるかもしれません。イエスが恐れ、怯え、訓練された、だって?救い主、王の王、主の主であるキリストがなぜ恐れるのか。怯えるのか。訓練される必要があるのか。しかし私たちは、イエスが神でありながら人としてお生まれになったという事実を正しく理解しなければなりません。罪は決して犯されませんでしたが、人としてのあらゆる苦しみをなめられた方、それがイエス様なのです。三年半の公生涯どころか、飼い葉桶に寝かされたその時から十字架を背負っておられました。その人生の中で、一瞬たりとも十字架の重荷を忘れることができた日はなかったことでしょう。

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posted by 近 at 20:55 | Comment(0) | 2013年のメッセージ

2013.3.10「いのちより大切なもの」

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聖書箇所 テモテへの手紙 第二4章1-8節
 1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。5 しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

 星野富弘さんという方をみなさんご存じかと思います。体育の先生でしたが、事故で首から下が動かなくなってしまいました。何年も絶望の日々が続くなか、神の愛に触れて信仰を与えられました。口に筆を加えて描かれたその絵と詩の数々は、多くの人の心に励ましを与え続けています。星野さんの作品のひとつに、「いのちより大切なもの」というのがあります。
 命がいちばんだと思っていたころ 生きるのが苦しかった
 いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった
星野さんはこう言っておられます。「命より大切なもの−−この答えは自分で見つけてはじめて意味があると思い、それぞれの答えがあってよいと考えていた。しかしその質問は東日本大震災以降まったくなくなった」。つまり、あの3月11日以来、「命がいちばんだと」言い張る人がいなくなったと言うのです。考えてみると不思議なことです。この二年間で、約16000人の方がなくなられ、行方不明者も約2700人を数えます。「九死に一生を得た」と普通なら考えそうなものです。しかし生き残った人々は、いのちを得た中でむしろ「いのちより大切なものがある」と考えるようになったということです。それは失った家族との繋がりかもしれません。今も被災地に赴き、被災者に寄り添い続けている人々との絆であるかもしれません。しかしこう考えることもできるでしょう。いのちより大切なもの、それはそのいのちを私に与えてくれた存在であると。星野さんを含め多くのクリスチャンにとって、それは救い主イエス・キリストです。願わくは、あの日から明日で二年を迎える中、少しでも多くの人々がイエス・キリストに出会うことができますように。

 今日開きました、新約聖書の「テモテへの手紙 第二」は、パウロが最後に書き残した手紙です。遺言と呼んでもよいでしょう。かつてはクリスチャンを憎んでいたパウロは、復活のイエス・キリストに出会い、残りの人生をこの方にささげて生きてきました。今さら何を怯える必要があるだろうか。パウロは死を覚悟しながらも、その死の前に怯えることはありません。彼もまた、この手紙を通して「命より大切なもの」を手紙の受取人である若き弟子テモテに伝えます。それは何でしょうか。永遠のいのちです。たとえこの地上の命が尽き果てても、決して消えることのない永遠のいのちのともしび。私はこのともしびを人々に伝えることに生きてきたし、これからも変わらない。この地上のいのちが消えるその瞬間まで、私はキリストを宣べ伝えていく。そしてテモテよ、あなたもそのように生きてほしいのだ。
 パウロの懇願の前に、テモテだけでなく私たちもまた、姿勢を正さずにはいられません。1節をもう一度お読みします。「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」。

 今日は、二年間にわたって教会に仕えてくださった田中敬子神学生、伶奈姉を送り出します。伶奈姉は神学生ではありませんが、彼女が来てくれたこの二年間、子供たちも大人たちもどれだけの力と励ましをいただいたかわかりません。本音を言えば、送り出したくないのです。歓送会なんかしたくないのです。もっといてほしいのです。それは私だけの気持ちではなく、豊栄に集っておられるみなさんの思いでしょう。おそらくある方などは、神学生とも気づかず、昔から来ている教会員だと思っていた、という人もいるかもしれません。それほどまでに、お二人は奉仕教会の私たちを心から愛し、交わり、仕えてくださいました。心から感謝をささげたいと思います。

 今日の聖書箇所には、パウロが自分の人生を振り返り、その上でテモテにこれだけは伝えなければならないと考えたことが残されています。それは、「みことばを宣べ伝えなさい」ということでした。「時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」と。最近読んだある方の文章の中に、こういう言葉がありました。パウロは時が良くても、悪くても、と言っている。しかしパウロの宣教において、時が良かったことなど果たしてあったのだろうか、と。
 確かにパウロの人生は迫害と苦しみの連続でした。イエス・キリストを伝えたことによって反対者に袋だたきにあい、死にかけたこともありました。また「このような者は地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない」と群衆から罵倒されたこともありました。ですから私はこう思うのです。「時が良くても悪くても」とは、私たちの言い訳をふさぐための言葉ではないのか、と。人々が耳を傾ければ「良い時」と考え、反対が強ければ「悪い時」と考えてしまう。しかし人々の心を開くのは神ご自身です。人の目にはどのように見えたとしても、私たちがなすべきことはただ語ること。それがパウロの遺言の中心です。


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posted by 近 at 16:43 | Comment(0) | 2013年のメッセージ

2013.3.3「生まれてきてくれてありがとう」

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聖書箇所 マタイの福音書26章20-25節
 20 さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。21 みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」22 すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう」とかわるがわるイエスに言った。23 イエスは答えて言われた。「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。24 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」25 すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ」と言われた。

 先日、敬和学園高校の卒業式があり、関係者のひとりとして出席してきました。校長先生が壇上でひとり一人に卒業証書を手渡していきます。ただ渡すのではなく一言二言、言葉をかけて手渡していくのですね。「敬和大学でもアーチェリーがんばれ」とか「調理師免許とれたらいいな」とか具体的な励ましをいただきながら卒業証書を受け取っていく彼らは本当に晴れがましく見えます。その後、卒業生代表のAくんの答辞がありました。彼はまず「私は、自分を変えたいと思って敬和に来ました」と切り出しました。自分を変えるために、勉強をがんばり、部活をがんばり、学園祭では総合チーフを務めた。そこまではどの高校の卒業式でもよく聞く話です。しかしなぜそこまでがんばろうとしたのか。彼は答辞の終盤で数秒間声を詰まらせて、こう語りました。「それは父親との確執だった。子どもの頃から、何度も父親に手を挙げられたことがあった。自分がなぜ生まれてきたのかわからなかった。父を憎み、自分も生きていても仕方がない、と思っていた。しかし敬和に来た時、ある先生が自分にこう言ってくれた。あなたは私の子どもだ、生まれてきてくれてありがとう、敬和に来てくれてありがとう、と。自分は敬和で変わった。敬和だから変われた」。公の場でここまで語ることのできる勇気に私は敬服しました。同時に、これがまさに敬和の卒業式だと思わされたものです。

 「生まれてきてくれてありがとう」。生まれたばかりの赤ん坊を優しく見つめながら、父母は心の中でそう語りかけることでしょう。「生まれてきてくれてありがとう」。それが敬和学園高校が45年間続けて来た教育方針でもあります。そして神さまも私たちひとり一人にこう語りかけてくださっています。「生まれてきてくれてありがとう」と。しかし今日私たちがイエス様の言葉から受ける印象は逆であるかもしれません。イエス・キリストを裏切り、銀貨30枚で売り渡す約束をしていた弟子、イスカリオテ・ユダについて、イエス様はこう語ります。24節、「確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去っていきます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです」。

 とても冷たく、突き放した言葉のように思えます。しかし本当にそうでしょうか。もしあなたがイエス・キリストの立場であったならば、こう言ったかもしれません。「ユダ、おまえはわざわいだ。ユダ、おまえなんか生まれないほうがよかったのだ」と。しかしイエスはユダという名前を一言も出さないのです。裏切る本人を前にしながら、まるで別人のことを語っているように。これは何を意味しているのでしょうか。イエス・キリストはユダを見離しておられなかったということです。見離したのはむしろユダのほうでした。イエスは、たとえ裏切りが神の計画の中にあったことだったとしても、それでもユダが心から己の罪を悔い改めることを願っておられました。しかしユダの心には届かなかったのです。ユダの心は変わらなかったのです。ユダは厚かましくも、こう聞きました。「先生。まさか私のことではないでしょう」。このとき、イエス様の表情はおそらく、いや、間違いなく、世界で一番打ちのめされた者として顔をゆがめたことでしょう。自分の罪に目をとめようとしないユダに対し、イエス様は悲しみをたたえながらこう告げるしかありませんでした。「いや、そうだ」と。

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posted by 近 at 18:00 | Comment(0) | 2013年のメッセージ