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2013.6.30「すべてを益に変える神」

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※本日の礼拝説教は、山形恵みキリスト教会牧師の武藤正信牧師が語ってくださいました。
 武藤先生のプロフィールは、週報をご参照ください。

聖書箇所 ローマ人への手紙8章28節
 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

posted by 近 at 21:38 | Comment(0) | 2013年のメッセージ

高倉徳太郎の説教論(日本基督教史の提出課題より)

 高倉徳太郎は我が国のプロテスタント史において、「組織的に神学をいとなんだ最初の人である(1)」(堀光男)と評価されている。しかし生前の彼を知る人々においては、彼は神学者、教育者、牧会者である以上に、第一級の説教者であったという印象が強い(2)。高倉の師、植村正久もまた説教の人であった。しかも植村は「訥弁の雄弁」という言葉にあるように、天性の雄弁家であったよりは、不断の修練によって雄弁を博すに至った人物であった。一方高倉の説教は、雄弁は雄弁でも、ある意味「デモーニッシュと呼んでもよい(3)」独特の凄みを持っていたと、加藤常昭氏は述べている。そのような評価の背後にある、高倉の説教論とはいったいどのようなものだったのか。

 私事で恐縮だが、筆者は卒業論文に「緊張の説教論」というテーマを選んだ。それは今日の教会において、弟子訓練やセルチャーチといった組織化が説教よりも優先されている傾向がないかという危惧からである。牧会と説教は統体的でなければならない。牧会は説教の応答であり、説教は牧会の目標を指し示す。しかし今や説教と牧会が切り離され、牧会に様々な手法があてがわれている。そこには人々がもはや説教に「教会成長」の答えを見いだせない(渡辺信夫氏の指摘のごとく、この言葉そのものについても聖書的再考が必要であろう)という、説教の衰退がある事実を、見逃すことができない。聖書の内容そのものがもたらす衝迫の前に説教者も聴衆も緊張を強いられるような説教、人に聞かせるためにではなく神の御前において神にささげる説教、アモスが獅子の咆吼に譬えたがごとき恐ろしい神の叫びを、教会の告白として叫ぶ説教が求められている。
 無論このような指摘にある幾多の問題点は十分承知している。しかし今回、この日本基督教史のレポートのために高倉の思想や生涯をひもといたとき、ルターの言葉を剽窃する罪が許されるならば、「私は知らずして高倉(フス)の弟子であった」という思いを抱かざるを得なかった。一神学生としては傲慢すぎる言葉であることは分かっている。しかし牧会の主体として説教に、それこそ「命」を賭けた一人の言葉には、共感する言葉がそれほど満ち溢れていたのである。彼の愛弟子の一人であった石島三郎氏はこのように述べる。
 生前の高倉を知らず、ただその書きのこされた説教をとおして、力を与えられている人びとがある。しかし、他方には、説教集を手にして、どうしてこのような説教がかつてそんなに会衆を動かしたのであろうかと、いぶかる人たちも無いではない・・・(中略)・・・そこ[講壇]には、生身の人間が立っていたのである。おののき、涙し、さけびつつ、巨厳のごとく、ひとりの生きた人間があった。それは、時として、文字どおり、火を吐くようであった。審きのことばが両刃のように飛びかかり、恵みのことばが杯のふちにあふれた。(4)
石島は同じ評伝の別の箇所で「現代に高倉あらばとねがうことは、時の知恵を欠くものと言わねばならぬ(5)」と戒めているが、あえてそのようなことを書かねばならぬほどに、今日の教会もまた「いのちを与える」(椎名麟三)説教に飢えている。聴衆を笑わせ、心地よくさせてくれるメッセージは多いが、神への畏れと審きを真っ直ぐに語る説教に出会うことは稀である。今日の教会が失ってしまっている、高倉の説教の力はどこにあったのだろうか。続きを読む
posted by 近 at 11:26 | Comment(2) | 神学校時代のレポート

2013.6.23「主はすべてを知っておられる」

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聖書箇所 詩篇139篇1-18節
1 【主】よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。
2 あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
3 あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。
4 ことばが私の舌にのぼる前に、なんと【主】よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。
5 あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。
6 そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。
7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、
私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。
9 私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、
10 そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。
11 たとい私が「おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ」と言っても、
12 あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。
13 それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
14 私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。
私のたましいは、それをよく知っています。
15 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。
17 神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。
18 それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。
 私が目ざめるとき、私はなおも、あなたとともにいます。


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posted by 近 at 20:53 | Comment(0) | 2013年のメッセージ

2013.6.16「ナザレ人イエスの御名により」

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聖書箇所 使徒の働き4章1-12節
 1 彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、2 この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、3 彼らに手をかけて捕らえた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。4 しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。5 翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。6 大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな出席した。7 彼らは使徒たちを真ん中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と尋問しだした。8 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。9 私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行った良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、10 皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった』というのはこの方のことです。12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」
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posted by 近 at 16:37 | Comment(0) | 2013年のメッセージ

2013.6.9「主のことばは真実」

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※本日の礼拝説教は、教団支援教師の児玉 幸先生が取り次いでくださいました。

聖書箇所 列王記 第一17章1-24節
 1 ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、【主】は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」2 それから、彼に次のような【主】のことばがあった。3 「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。4 そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」5 それで、彼は行って、【主】のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。6 幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。7 しかし、しばらくすると、その川がかれた。その地方に雨が降らなかったからである。
 8 すると、彼に次のような【主】のことばがあった。9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」10 彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。そこで、彼は彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」11 彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」12 彼女は答えた。「あなたの神、【主】は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。14 イスラエルの神、【主】が、こう仰せられるからです。『【主】が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。16 エリヤを通して言われた【主】のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。
 17 これらのことがあって後、この家の主婦の息子が病気になった。その子の病気は非常に重くなり、ついに息を引き取った。18 彼女はエリヤに言った。「神の人よ。あなたはいったい私にどうしようとなさるのですか。あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」19 彼は彼女に、「あなたの息子を私によこしなさい」と言って、その子を彼女のふところから受け取り、彼が泊まっていた屋上の部屋にかかえて上がり、その子を自分の寝台の上に横たえた。20 彼は【主】に祈って言った。「私の神、【主】よ。私を世話してくれたこのやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。」21 そして、彼は三度、その子の上に身を伏せて、【主】に祈って言った。「私の神、【主】よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返してください。」22 【主】はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。23 そこで、エリヤはその子を抱いて、屋上の部屋から家の中に降りて来て、その子の母親に渡した。そして、エリヤは言った。「ご覧、あなたの息子は生きている。」24 その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある【主】のことばが真実であることを知りました。」

posted by 近 at 16:36 | Comment(0) | 2013年のメッセージ

2013.6.2「無知を知ることが救いの始まり」

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聖書箇所 使徒の働き3章11-26節
 11 この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。12 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、15 いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。17 ですから、兄弟たち。私は知っています。あなたがたは、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたのです。18 しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。19 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。20 それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。21 このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。22 モーセはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。23 その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』24 また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について宣べました。25 あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける』と言って、あなたがたの父祖たちと結ばれたあの契約の子孫です。26 神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」

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posted by 近 at 14:49 | Comment(0) | 2013年のメッセージ