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旧約聖書緒論「カナン宗教の実態〜現代まで続いているバアル信仰」

 1928年にシリア北西部で一人の農夫が鍬の先端に石を打ち当てた。その偶然の出来事から始まったラス・シャムラ文書発見は、それまで旧約聖書を通して知られていたカナン宗教の実態を暁光のもとへとさらす結果となった。文書はバアルやアシェラといった、聖書の民にとっても悪い意味で馴染みの深い神々の名を再確認させたと共に、カナン人が行い、旧約の民もそれに巻き込まれイスラエル滅亡の原因となった忌むべき習慣が神話の中にすでに堂々と表されていたことを明らかにしたのである。バアルは獣姦、近親相姦をはじめとして貪りを美徳とするような神であった。オリュンポスの人間くさい神々さえ裸足で逃げ出すような、人間の性的盲目さがそのまま具現化したような神々の姿が露わになった。歴史家たちはこの文書の発見を通して、旧約聖書の記述が事実を示していたことをまた一つ確認するに至ったのである。

 このラス・シャムラ文書は紀元前14世紀から13世紀に興隆したウガリト王国の歴史を辿ることを可能にした。ウガリト王国は諸外国との国際貿易で潤い、その位置的及び文化的重要性からヒッタイト、エジプトといった強国に挟まれながらも独立を保ち続けた都市国家であった。フランスの考古学チームが発掘を開始した翌年の1930年には、バウアー、ドルム、ヴィロローといった学者たちによって早くも解読された一部が公表された。それによれば、ラス・シャムラ文書にはウガリト王国からさらに数世紀遡るであろう幾つかの叙事詩も含まれていた。それらはバアルとアナテの物語、英雄アカトの伝説、ケレト王の物語などといった名が暫定的に付けられた。また神々の誕生や結婚を物語る小断片なども見つかったが、これらの中で圧倒的に価値が高かったのはバアルやアナテといった神々が登場する一番最初の書である。それによれば、ウガリト神話から継承されていくカナン宗教は典型的な多神教であった。その神々は最高神エール、その配偶者アシェラ、嵐の神バアル、海の神ヤム、死の神モト、性愛と戦争の女神アナトなどであり、これらは自然界の諸々の力を人格化したものであった。だがその神話体系は必ずしも普遍的なものではなく、登場する神々はその性格や行動において一貫性を欠いていることもまた容易に見いだされた。続きを読む