最近の記事

緊張の説教論(4)「1-2.見える慰めではなく見えない恐れを」

 ドイツの神学者H.J.クラウスは「おそれとおののきの中で生きることが恵みの最高のしるしである」というルターの言葉をひきながら、今日の「説教者は、生ける神の前でおそれとおののきの代わりに、安心感と不遜のとりことなっており、ひとたび少しでも突風が吹きつけると、彼はもう一方の奈落である絶望へと吹き飛ばされてしまう(6)」と告発する。私たちはこのようなクラウスの指摘を聞くとき、それがドイツの教会だけではなく日本の福音主義教会にも広がっている現実を見る。「この聖書の言葉を語る者が、緊張せずにはいられようか」という、ごく単純な反語的問いは今や講壇からも会衆席からもほとんど忘れ去られてしまっている。現実への慰めと安心を求めるあまり、説教者も会衆も忘れてしまっているのだ。今私たちは己を顧みてこう問わなければならない。安心を説くことが会衆を慰めることであると短絡的に考え、文脈を逸脱した慰めを語っているということはないか、と。続きを読む
posted by 近 at 16:18 | Comment(0) | 説教論