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緊張の説教論(6)「2-1.聖書にみる、説教者の緊張意識」

第二章 「緊張の説教」の歴史的文脈

 後藤光三は『説教論』の中で、「三千人の悔い改めという、キリスト教会最初の出発を飾る奇跡的な勝利は、実に聖霊降臨の結果として行なわれた大伝道の際の、ペテロ初め11人の使徒たちの説教によるものであった(10)」と述べている。教会の進展の陰には常に説教があった。ペンテコステ然り、宗教改革然り、大覚醒然りである。しかし説教は決して教会と共に生まれたわけではない。後藤の言うとおりペンテコステがキリスト教会の出発だとしたら、説教は明らかにそれ以前にあった。説教の起源は捕囚後のシナゴーグ礼拝に留まるものではなく、旧約の預言者たちのメッセージへと遡及できるものである。
 旧約の預言者たちは、王から貴族階級、祭司、民に至るまであらゆる社会階層に警告と悔い改めを説き続けたが、それは決して社会的・宗教的不正の糾弾だけではない。新約聖書の記者たちが証言しているところによれば、それは究極的にはイエス・キリストを啓示する性格を有していたのであり、例として使徒ペテロを通して次のように言われている。
 この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。(第一ペテロ1章10,11節)
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posted by 近 at 08:52 | Comment(0) | 説教論