第3節 ドイツ的キリスト者信仰運動
雑誌『意志と権力』1935年4月15日号の論説「積極的なキリスト教」は、ナチ政府のキリスト教に対する態度について、こう論じている。
しかし、ナチズムはキリスト教を肯定はするが 教会としてにせよ、信仰としてにせよ、またそれが政治的な領域においてであろうと、宗教的な領域においてであろうと、その現象形態に関係なく 無条件に肯定するわけではない。ただキリスト教が積極的である限り、キリスト教が自己と政治権力に対する限界を、指示されたとおりに守る限りにおいてのみ、ナチズムはキリスト教を肯定するのだ。(40)
「積極的」という語から受けるような印象は、ここで理想として語られているキリスト教においては、全く後景に退いているように思われる。「自己と政治権力に対する限界」を「指示されたとおりに」遵守する、すなわちナチ政府に従属する《制度》の一種としての地位しか、そこには与えられていない。この論説の書かれる15年前にナチ党綱領を著した者は、「積極的」という形容詞にどのようなニュアンスを含ませようとしていたのであろうか。エバーハルト・イェッケルは、その著『ヒトラーの世界観』の中で、そのような問いは提起するだけ無益であると指摘している。なぜならば、「
一般に党綱領は、第一次大戦後の時期の小市民的な不平と憧れを列挙したものにすぎなかったからである(41)」。
彼によれば、この綱領はヒトラー個人の明確な世界観に裏付けられ、生み出されたものではなかった。そして「積極的なキリスト教精神」という言葉もまた、敗戦によって「王座と祭壇(Thron und Altar)亅に象徴されるような国家権力との結合を喪失したキリスト教会に対し、ナチ党の存在をアッピールするための方便にすぎない。「
それ故、ヒトラーの世界観を探求するものは、党綱領から何の説明も期待してはならないであろう(42)」。
では、ナチの理想とした宗教が「積極的キリスト教」でないとすれば、いわゆる《ドイツ的キリスト者信仰運動(Glaubensbewegung Deutsche Christen;以下GDCと略す)》はどのようにとらえればよいのであろうか。彼らは自らを「積極的なキリスト教精神」に立つナチズム戦士であると公言し、実際従来の研究においてもGDCは「ナチス的キリスト教」としてナチズムと同質的及び友好的な宗教運動として解釈されてきた。しかし前節で述べたように、ナチの宗教的意図がキリスト教を排除し、総統崇拝を中核とする救済宗教を新たに創出することにあったのならば、GDCのごときグループはナチにとって必要ないどころかむしろ障害となったのではないか。無論、ナチが教会票獲得のために彼らを利用したという反論もあるだろう。だが野田氏によれば、ヒトラーはGDCのような「
ラディカルな勢力にたいしても既成の教会の擁護者としてたちあらわれた(43)」という。果たして彼はこの運動をキリスト教勢力の中で唯一容認できるセクトとしてみていたのか、それとも多くの研究者が指摘するように政治的利用手段に徹したのか。本節では、このように見解が錯綜している感が強いGDCを新たにとらえ直してみたい。
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