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緊張の説教論(13)「4-2.バルト説教論の問題点と第二スイス信条」

 「人間の言葉を通してなされる説教がどうして神の言葉になるのか」。説教論の焦眉となる命題は恐らくこれに尽きるだろう。しかし福音派においてこの命題が真剣に取り扱われてこなかったのはなぜだろうか。自明の理として片づけられてしまっているのだろうか。それとも宗教改革の時にその問題は既に決着を見たと考えているのか。あるいはバルト神学の二の轍を踏むまいという危惧がこの問題に対する神学作業を先送りにしてきたのだろうか。バルトの神学においてはこの命題が極めて重要な意味を持つ。バルトの初期の著作である『教会教義学』の中においてその思想は既に見られるが、むしろここでは彼の神学的熟成期の言葉に目を留めてみよう。畏友トゥルナイゼンとの共著である『神の言葉の神学』において、バルトは以下のように述べている。続きを読む
posted by 近 at 12:57 | Comment(0) | 説教論