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2014.12.28「きよめられることを恐れるな」

 2014年も閉じようとしております。一年間、当ブログを応援してくださりありがとうございました。
今年も様々なことがありましたが、神がすべてを益としてくださることを信じていきたいものです。
今年最後の週報はこちらをご覧ください。

聖書箇所 ヨハネの福音書2:13-22
 13 ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。
14 そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、
15 細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、
16 また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。
18 そこで、ユダヤ人たちが答えて言った。「あなたがこのようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか。」
19 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
20 そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
21 しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。
22 それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。

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posted by 近 at 18:02 | Comment(0) | 2014年のメッセージ

2014.12.21「味わい尽くせ、神のプレゼント」

 今日は待降節第4週、まだイブではありませんが、ほとんどの教会ではクリスマス特別礼拝をささげます。
豊栄も、午後はお祝い会を行いました(当日の模様は後日アップします)が、週報はこちらをご覧ください。
礼拝では、聖歌隊「T-Breeze 豊栄の風」による、特別賛美「In Dulci Jubilo(もろびと声上げ)」がささげられました。



聖書箇所 マタイの福音書2:1-12
 1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」
7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。



※説教の中で、独オットーボック社の義足「Genium x3」のCMを挿入しています。続きを読む
posted by 近 at 18:00 | Comment(0) | 2014年のメッセージ

2014.12.14「神は小さき者として下られた」

 ようやく溶けかけたと思っていた積雪が、この土日で逆戻り。当教会の第一礼拝(8:00〜)も、今日は雪かきのため中止になりました。というか、大雪のためにだれも来られなかったというのが事実ですが。そんなわけで、雪かきで腰を痛めてしまった豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。週報はこちらです。

聖書箇所 ピリピ人への手紙2:6-11
 6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

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posted by 近 at 18:00 | Comment(0) | 2014年のメッセージ

2014.12.7「約束は希望を生み出す」

 新潟山形宣教区では、結婚相談委員会改め「アブラハムのしもべ会」という委員会があり、今日はそこ主催の鍋パーティでした。
参加予定者5人中、豊栄の青年男性が2人。この猛吹雪の中、会場教会へ出かけていきました。
こんな情熱的な男性たちに興味のある方は、当教会までお問い合わせください。週報はこちらです。

聖書箇所 イザヤ40:1-11
 1 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあなたがたの神は仰せられる。
2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。
そのすべての罪に引き替え、二倍のものを【主】の手から受けたと。」
3 荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。
4 すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。
5 このようにして、【主】の栄光が現されると、すべての者が共にこれを見る。【主】の御口が語られたからだ。」

6 「呼ばわれ」と言う者の声がする。私は、「何と呼ばわりましょう」と答えた。「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。
7 【主】のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。
8 草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」

9 シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ。
力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。「見よ。あなたがたの神を。」
10 見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。
11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

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posted by 近 at 18:00 | Comment(0) | 2014年のメッセージ

海老名弾正の説教について(説教学指導:下川友也)

 海老名弾正は、近代における日本の宣教史に大きな影響を与えたいわゆる三大バンドの一つである、熊本バンドの代表的人物として挙げられる。しかしこの海老名、福音派の間ではすこぶる評判が悪い。リベラルと批判されればまだ良い方で、筆者の友人である某同志社大学OBの言葉を借りるならば「同志社を堕落させた張本人」であり、あまつさえ「神道的キリスト者(実際『戦争の美』なる説教も残っている)」などと呼ぶ者もいる。本人はさぞや天国で肩身の狭い思いをしているのではないかと思われるが、では海老名の説教とは果たしていかなるものであったのか。日本の説教者について詳しい加藤常昭氏によれば、海老名の説教は論敵である植村正久でさえ認めるほどの雄弁と洞察を兼ね備えたものであったという(1)。そして植村との福音主義論争に敗れ、福音同盟会から去った後も、彼の牧する本郷教会に集う聴衆は500人以上を数え、植村の聴衆を凌駕するほどであったとも加藤氏は伝えている(2)。一般に海老名の神学においては、キリストの神性が否定されているという。自由主義神学お決まりの「よき教師」としてのイエスのみがそこで強調されているということか。

 では実際に説教の中でどのようにそれが現れているのか。「地の塩、世の光」を聖書箇所として取り上げた彼の説教『中保者』を見てみよう。まず彼は「キリストの信徒は神と人との中保を主キリストにおいて見出しておる別(わけ)で(3)」と切り出し、キリストの二性一人格について現代の私たちの耳にも小気味よく感じる語り口で聴衆を引き込んでいく。
 すなわちキリストをもって天と地とのかけ橋と認めたのである。キリストには真に神たるところがある、これ橋の一端、またキリストには人たるところがある、これまた橋の一端。真実の神、真実の人、天地二界に通じたる人類絶対の中保者である、神は彼に縁りて己れを人に現じ、人は神に縁りて一如実相の彼岸に達す、これ確かにクリスチャンの宗教的実験を言い表わせるものであります。(4)
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posted by 近 at 14:21 | Comment(0) | 神学校時代のレポート