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海老名弾正の説教について(説教学指導:下川友也)

 海老名弾正は、近代における日本の宣教史に大きな影響を与えたいわゆる三大バンドの一つである、熊本バンドの代表的人物として挙げられる。しかしこの海老名、福音派の間ではすこぶる評判が悪い。リベラルと批判されればまだ良い方で、筆者の友人である某同志社大学OBの言葉を借りるならば「同志社を堕落させた張本人」であり、あまつさえ「神道的キリスト者(実際『戦争の美』なる説教も残っている)」などと呼ぶ者もいる。本人はさぞや天国で肩身の狭い思いをしているのではないかと思われるが、では海老名の説教とは果たしていかなるものであったのか。日本の説教者について詳しい加藤常昭氏によれば、海老名の説教は論敵である植村正久でさえ認めるほどの雄弁と洞察を兼ね備えたものであったという(1)。そして植村との福音主義論争に敗れ、福音同盟会から去った後も、彼の牧する本郷教会に集う聴衆は500人以上を数え、植村の聴衆を凌駕するほどであったとも加藤氏は伝えている(2)。一般に海老名の神学においては、キリストの神性が否定されているという。自由主義神学お決まりの「よき教師」としてのイエスのみがそこで強調されているということか。

 では実際に説教の中でどのようにそれが現れているのか。「地の塩、世の光」を聖書箇所として取り上げた彼の説教『中保者』を見てみよう。まず彼は「キリストの信徒は神と人との中保を主キリストにおいて見出しておる別(わけ)で(3)」と切り出し、キリストの二性一人格について現代の私たちの耳にも小気味よく感じる語り口で聴衆を引き込んでいく。
 すなわちキリストをもって天と地とのかけ橋と認めたのである。キリストには真に神たるところがある、これ橋の一端、またキリストには人たるところがある、これまた橋の一端。真実の神、真実の人、天地二界に通じたる人類絶対の中保者である、神は彼に縁りて己れを人に現じ、人は神に縁りて一如実相の彼岸に達す、これ確かにクリスチャンの宗教的実験を言い表わせるものであります。(4)
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posted by 近 at 14:21 | Comment(0) | 神学校時代のレポート