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2015.2.22「生きるために死ぬ」

 今日の午後は、教会総会でした。決して教会員と関係が悪いというわけではありませんが、やはり総会は緊張するものです。
礼拝説教にもすでに緊張がみなぎっているように思えるのは気のせいでしょうか。週報はこちらです。

聖書箇所 ヨハネの福音書12:23-26
 23 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。

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posted by 近 at 18:00 | Comment(0) | 2015年のメッセージ

2015.2.18 ふうけもん準備日記(9)「帰ってきたふうけもん」

 先日、教会に見覚えのある封筒が送られてきた。「ふうけもん」と書いてある。
半年前の、甘酸っぱくも、ほろ苦い思い出がよみがえってくる。そう、あたかも母親からもらったバレンタインチョコのような。
管理人も、新潟での開催を引き受けた手前、全国縦断試写会の成功を祈っていたのだが、
なぜか「ふうけもんfacebook」の更新が9/15の新潟報告を最後に止まっていたので、途中でぽしゃったとばかり思っていた心配していた
再度facebookを開いてみると、何事もなかったかのように12/26から更新が再開している。
いずれにしても、栗山監督や金Pはじめ、スタッフの努力に敬意を表したい。
興行的にペイできたのかどうかわからないが、神が初めから終わりまで導いてくださったのだと思う。
新潟も動員数トップ10の中にさりげなく入っていた(8位)。ちょびっとうれしい。
ただ裏を返せば、どの地域も動員に苦労したということになるのだが。

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posted by 近 at 16:21 | Comment(0) | ふうけもん新潟試写会

2015.2.15「心から進んで」

 風邪を引いてしまいました。朦朧としながらキーボードを叩いています。皆さんもくれぐれもお気をつけください。週報はこちらです。

聖書箇所 出エジプト記35:1-29
 1 モーセはイスラエル人の全会衆を集めて彼らに言った。「これは、【主】が行えと命じられたことばである。2 六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目には、【主】の聖なる全き休みの安息を守らなければならない。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。3 安息の日には、あなたがたのどの住まいのどこででも、火をたいてはならない。」
 4 モーセはイスラエル人の全会衆に告げて言った。「これは、【主】が命じて仰せられたことである。5 あなたがたの中から【主】への奉納物を受け取りなさい。すべて、心から進んでささげる者に、【主】への奉納物を持って来させなさい。すなわち、金、銀、青銅、6 青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、7 赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、8 燈油、そそぎの油とかおりの高い香のための香料、9 エポデや胸当てにはめ込むしまめのうや宝石である。
 10 あなたがたのうちの心に知恵のある者は、みな来て、【主】が命じられたものをすべて造らなければならない。11 幕屋、その天幕と、そのおおい、その留め金とその板、その横木、その柱と、その台座、12 箱と、その棒、『贖いのふた』とおおいの垂れ幕、13 机と、その棒とそのすべての用具と供えのパン、14 燈火のための燭台と、その用器とともしび皿と、燈火用の油、15 香の壇と、その棒とそそぎの油とかおりの高い香と幕屋の入口につける入口の垂れ幕、16 全焼のいけにえの祭壇とそれに付属する青銅の格子、その棒とそのすべての用具、洗盤と、その台、17 庭の掛け幕、その柱とその台座と庭の門の垂れ幕、18 幕屋の釘と庭の釘と、そのひも、19 聖所で仕えるための式服、すなわち、祭司アロンの聖なる装束と、祭司として仕える彼の子らの装束である。」
 20 イスラエル人の全会衆は、モーセの前から立ち去った。21 感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、【主】への奉納物を持って来た。22 すべて心から進んでささげる男女は、飾り輪、耳輪、指輪、首飾り、すべての金の飾り物を持って来た。金の奉献物を【主】にささげた者はみな、そうした。23 また、青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮を持っている者はみな、それを持って来た。24 銀や青銅の奉納物をささげる者はみな、それを【主】への奉納物として持って来た。アカシヤ材を持っている者はみな、奉仕のすべての仕事のため、それを持って来た。25 また、心に知恵のある女もみな、自分の手で紡ぎ、その紡いだ青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を持って来た。26 感動して、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ。27 上に立つ者たちはエポデと胸当てにはめるしまめのうや宝石を持って来た。28 また、燈火、そそぎの油、かおりの高い香のためのバルサム油とオリーブ油とを持って来た。29 イスラエル人は、男も女もみな、【主】がモーセを通して、こうせよと命じられたすべての仕事のために、心から進んでささげたのであって、彼らはそれを進んでささげるささげ物として【主】に持って来た。

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posted by 近 at 18:00 | Comment(0) | 2015年のメッセージ

2015.2.12「いま、この時代に、祈る」

そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」(マタイ26:52)
「小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」(ルカ12:32)

1.
 先日の某全国紙のコラムに、以下のような文章が掲載された。人の死を利用して自説を展開しているとしか思えないものではあるが、あえて全文を紹介する。
 わがことながら日本人は、敗戦から70年という歳月をかけて本当に優しくなった。「イスラム国」という名のならず者集団に空軍パイロットが焼き殺されたヨルダンは、さっそく報復爆撃を始め、指揮官を含む55人以上を殺戮した。▼ヨルダンでは、「なぜ2人も殺された日本がともに戦わないのか」という声が高まっているという。日本には憲法の制約があって云々(うんぬん)、と説明してもまず理解されぬだろう。▼憎しみの連鎖を断たねばならぬ、というご高説は一見もっともらしい。後藤健二さん自身も数年前、「憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。−そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」とつぶやいている。▼だからといって処刑直前も彼はそんな心境だった、とどうしていえようか。助けにいった湯川遥菜さんが斬首されたときの写真を持たされ、家族に脅迫メールを送られ、心ならずも犯人側のメッセージを何度も読まされた後藤さんの心境は想像を絶する。▼仇(かたき)をとってやらねばならぬ、というのは人間として当たり前の話である。第一、「日本にとっての悪夢の始まりだ」と脅すならず者集団を放っておけば、第二、第三の後藤さんが明日にも出てこよう。▼日本国憲法には、「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼して、わが国の「安全と生存を保持しようと決意した」とある。「イスラム国」のみならず、平和を愛していない諸国民がいかに多いことか。この一点だけでも現行憲法の世界観が、薄っぺらく、自主独立の精神から遠く離れていることがよくわかる。護憲信者のみなさんは、テロリストに「憲法を読んでね」とでも言うのだろうか。命の危険にさらされた日本人を救えないような憲法なんて、もういらない。
(2015.2.7『産経抄』)
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2015.2.8「大切なのは、主の教え」

 週報はこちらです。

聖書箇所 使徒の働き13:1-12
 1 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。3 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
 4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。6 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、にせ預言者で、名をバルイエスというユダヤ人の魔術師に出会った。7 この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた。8 ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。9 しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、10 言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。11 見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる」と言った。するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。12 この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入った。

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posted by 近 at 16:00 | Comment(0) | 2015年のメッセージ

2015.2.1「責任とは目を離さないこと」

 イスラム国による日本人拘束事件の犠牲者となられた、お二人のご冥福をお祈りいたします。
残されたご遺族の上に、主の慰めがありますように。ただ、みこころが地の上になされますように。
週報はこちらです。

聖書箇所 マタイの福音書4:12-22
 12 ヨハネが捕らえられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。
13 そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。
14 これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、
15 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。
16 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」
  17 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
  18 イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。
19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
20 彼らはすぐに網を捨てて従った。
21 そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。
22 彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。

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posted by 近 at 20:00 | Comment(0) | 2015年のメッセージ