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2016.1.31「苦しんだからこそ」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今日の当教会の礼拝には、K教会のA先生が(メッセンジャーではなく、会衆として)出席してくださいました。
A先生は昨年10月から、新潟福音放送協力会の委員長を務めています。
新潟の各教会がテレビ伝道番組『ライフ・ライン』を支援していくために、このような形での巡回を始めたとのことでした。
当然ながら、単独牧会であるK教会の礼拝はどうしたのだろうかという疑問をみなさんも抱くと思います。
毎月最終週の主日は信徒による「証し礼拝」を行っているので、このように他教会の礼拝に出席することができるとのことでした。
しかし、さらりと言われましたが、そこには牧師にとっても教会員にとっても、大きな決断と犠牲が必要だったはずです。
新潟県下の福音主義教会が、その犠牲を模範として、放送伝道のために一致協力していきたいと願わされています。
週報はこちらです。

聖書箇所 『コリント人への手紙 第二』1章4-6節
 4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。6 もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。」

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posted by 近 at 16:59 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.1.24「伝えてこそ生きるもの」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
日本全国、記録的な寒波が襲っています。豊栄も例外ではなく、三回の礼拝を雪かきと交互で行うような一日でした。
近くの月極駐車場(屋根なし、消雪パイプなし)に止めてある教会の車も雪で埋もれ、みなさんで掘り出してくださいました。
人の目には迷惑な大雪ですが、これも創造主の御手のわざ。豊富な雪どけ水がなければ、この新潟でおいしいお米はできません。
天地の主に感謝したいものです。大雪の中で、雪かきに労してくださった信徒の方々にも感謝。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』8章16-18節
 16 あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。
燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。
17 隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。
18 だから、聞き方に注意しなさい。
というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」

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posted by 近 at 19:00 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.1.17「聞く耳のある友へ」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
昨年、某オリンピックのロゴデザインが外国の既成のロゴを剽窃していたという事件がありました。
説教者も人間ですから、以前どこかで聞いた、人の説教を無意識にパクってしまうことがあり得ないというわけではありません。
今日の聖書箇所は、書き終わってから気づきましたが、二年前に語った礼拝説教と同じ所でした。
人のではなくて自分の説教だったのが幸いですが。
真逆のことを言っていてもつまずくし、同じことを繰り返しているのもまたつまずく。
ドキドキしながら前の説教を読み直しました。基本線は同じですが、細部では微妙に違っており、とりあえず一安心。
半年も経つと、どこから語ったか忘れてしまうことがあります。
説教は心に刻みつけるものですから、それではいけないとは思っているのですが。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』8章4-15節
 4 さて、大ぜいの人の群れが集まり、また方々の町からも人々がみもとにやって来たので、イエスはたとえを用いて話された。5 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。6 また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。7 また、別の種はいばらの真ん中に落ちた。ところが、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。8 また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスは、これらのことを話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれた。
 9 さて、弟子たちは、このたとえがどんな意味かをイエスに尋ねた。10 そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。11 このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。12 道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。13 岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。14 いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。15 しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」

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posted by 近 at 17:52 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.1.10「きょう、信じよう」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。週報はこちらです。

聖書箇所 『使徒の働き』13章13-41節
 13 パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。14 しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂に入って席に着いた。15 律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」16 そこでパウロが立ち上がり、手を振りながら言った。
 「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。よく聞いてください。17 この民イスラエルの神は、私たちの父祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし、御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出してくださいました。18 そして約四十年間、荒野で彼らを耐え忍ばれました。19 それからカナンの地で、七つの民を滅ぼし、その地を相続財産として分配されました。これが、約四百五十年間のことです。20 その後、預言者サムエルの時代までは、さばき人たちをお遣わしになりました。21 それから彼らが王をほしがったので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間お与えになりました。22 それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』23 神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。24 この方がおいでになる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に、前もって悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていました。25 ヨハネは、その一生を終えようとするころ、こう言いました。『あなたがたは、私をだれと思うのですか。私はその方ではありません。ご覧なさい。その方は私のあとからおいでになります。私は、その方のくつのひもを解く値うちもありません。』
 26 兄弟の方々、アブラハムの子孫の方々、ならびに皆さんの中で神を恐れかしこむ方々。この救いのことばは、私たちに送られているのです。27 エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者のことばを理解せず、イエスを罪に定めて、その預言を成就させてしまいました。28 そして、死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、イエスを殺すことをピラトに強要したのです。29 こうして、イエスについて書いてあることを全部成し終えて後、イエスを十字架から取り降ろして墓の中に納めました。30 しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。31 イエスは幾日にもわたり、ご自分といっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たちに、現れました。きょう、その人たちがこの民に対してイエスの証人となっています。32 私たちは、神が父祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。33 神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』と書いてあるとおりです。34 神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、『わたしはダビデに約束した聖なる確かな祝福を、あなたがたに与える』というように言われていました。35 ですから、ほかの所でこう言っておられます。『あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない。』36 ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで父祖たちの仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。37 しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちることがありませんでした。
 38 ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。39 モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。40 ですから、預言者に言われているような事が、あなたがたの上に起こらないように気をつけなさい。41 『見よ。あざける者たち。驚け。そして滅びよ。わたしはおまえたちの時代に一つのことをする。それは、おまえたちに、どんなに説明しても、とうてい信じられないほどのことである。』」

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posted by 近 at 18:21 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.1.3「女たちがささげたもの」

 あけましておめでとうございます。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。今年もよろしくお願いいたします。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』8章1-3節
 1 その後、イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。十二弟子もお供をした。
2 また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、
3 自分の財産をもって彼らに仕えているヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか大ぜいの女たちもいっしょであった。

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posted by 近 at 15:08 | Comment(0) | 2016年のメッセージ