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2016.5.29「必要なのはヒト」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今日は「ライフラインDAY礼拝」でした。
福音放送番組「ライフ・ライン」の働きをおぼえるために、新潟県内に30以上ある支援教会で始めた、特別礼拝日です。
今回は、私も準備が間に合わず、説教の最後にとってつけたようなアピールになってしまい、反省しています。
週報はこちらです。

聖書箇所 『使徒の働き』11章19-30節 


序.
 先々週のことでしたが、この近所をキリスト教の街宣車がまわっていました。
「イエス・キリスト」「十字架」という言葉が聞こえましたので、決して異端のグループではありません。
しかし遠くから聞こえるその街宣車のメッセージ、というか、つぶやきと言ってもよいのですが、それを聞きながら、こう思いました。
「彼らのしていることは尊敬に値するが、これを聞いたこの町々の人々が、これで福音に興味を持ってくださるのは難しいだろう」と。
厳しいようですが、なぜならその伝道は、人々の生活、過ごしている時間に関わりなく、強引にねじ込んでくるものだからです。
そのキリスト教の街宣車のあとに、民進党や共産党の選挙カーも来て、やはり彼らも一生懸命叫んでいましたが、よく似ています。

 確かに彼らは伝えたいモノを持っています。しかしその伝えたいモノが、人々に受け取られるために、どうしてもあいだに必要なものがあります。
それは「ヒト」です。生身の「ヒト」です。
いきなりやってきて、勝手に人々の生活に上がり込んでいく、その場限りの人間関係ではありません。
自分の弱さや欠点を含めながら、十字架の救いとは何か、キリストにある喜びは何か、時間をかけながら伝えていく、否、伝わっていくのです。続きを読む
posted by 近 at 15:37 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.5.15「教会がはじけた日」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。ペンテコステおめでとうございます。(?)
先週の水曜日から木曜日まで、わが同盟教団の特別会議で長野の松原湖バイブルキャンプ場(MBC)に行ってきました。
新潟を出たときはどしゃぶりでしたが、二日目の朝は信じられないほどの快晴。一枚、湖畔の風景を撮ってきました。

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しかしMBCの難点はとにかく遠いこと。新潟から高速道路を使っても、車で片道5時間かかります。
しかし良い場所なので、わが教団の経営安定化のためにどうぞご利用ください。週報はこちらです。

聖書箇所 『使徒の働き』2章1-24、36-42節 

1.
 今日、世界中の多くの教会で、この聖書箇所が礼拝説教として取り上げられていることでしょう。
今日はキリスト教会の暦でペンテコステ、聖霊降臨日と呼ばれる日です。
ペンテコステ、はじめてこの言葉を聞いた人はみんなが「ヘンテコ」な名前だなあと思います。
ペンテコステという言葉は、「五旬節」というユダヤ教のお祭りを意味するギリシャ語です。
しかし、キリスト教にとっては、この五旬節は単なるお祭り以上の意味があります。ある人は「教会の誕生日」とも言います。
2000年前のこのペンテコステの日、イエス様が約束しておられたとおり、聖霊なる神が弟子たちひとり一人の上にお下りになりました。
そこから、教会ははじけるのです。
120人の小さな群   それでも、平均30人の日本の教会から見たら、ちょっとした人数です   
彼らがこの日を出発点として、世界中に飛び出していくのです。

 しかしペンテコステに聖霊がお下りになって教会が生まれた、というのは、何もないところに突然何かができた、ということではありません。
朝、学校に行くときには何もなかった隣の原っぱに、夕方帰って来たら家が建っていた、ということではないのです。
生まれるというのは、突然その日にぽん、ということではなくて、何ヶ月かけてお腹が膨らみ、今か今かというカウントダウンの中で生まれます。
120人のクリスチャンたちは、みながひとつの場所に集まって、おそらく祈りをささげていました。
あなたがたに聖霊を送る、というイエス様の約束を信じて、ユダヤ人の迫害を恐れず、いっしょに集まることをやめませんでした。
祈りを積み重ねていく一日一日を繰り返しながら、今日がその日だろうか、主よ、来てくださいと励ましあっていました。
その中で、二千年前の今日、ペンテコステの出来事が起こったのです。

 今日、二千年前のようなペンテコステが起きれば、日本にもリバイバルが起きると言われることがあります。確かにそうでしょう。
しかしそのためには準備が必要です。準備とは、私たちが基本の信仰生活をなおざりにしないことです。
一緒に集まることをやめたりせず、神のみこころは何か、そのために自分は何を生活の中で優先すべきかを考える。
自分のことを優先するのではなく、神に仕えるように人に仕えることを忘れない。
そのような生き方をもって備えていくときに、神さまは私たちを聖霊によって満たしてくださり、語るべきことばを与えてくださるのです。続きを読む
posted by 近 at 17:23 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.5.8「信仰の高みへとよじ登れ」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。

聖書箇所 『マタイの福音書』15章21-28節 

序.
 尊敬する人が、いわゆる裏表のある人だったということに気づくとき、人はそれまでのあこがれが冷めて、失望を覚えることでしょう。
今日のイエス・キリストの姿を見て、それこそ、裏の部分を見て失望する人がいても不思議ではありません。
自分の娘が悪霊にとりつかれて、助けを求めてきたツロ・フェニキアの女に対して、こう言いました。
「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされてはいません」、
つまりユダヤ人じゃないやつは、おととい来やがれ、ということです。
それでも必死で食い下がる、この母親に対して、さらに追い打ち。
「子どもたちのパン種を取り上げて、子犬に投げてやるのはよくないことです」。
「子どもたち」はユダヤ人のことです。では子犬とはだれでしょうか。それは今、悪霊に苦しめられている、彼女の娘のことです。
当時のユダヤで「犬」とは最も汚らしいもの、ならば「子犬」が意味するのは、言わなくてもわかりますね。
私たちが、この母親だったら、自分の娘を子犬と呼ばれて、どんな表情をするでしょうか。
何が救い主だ、何が罪人の友だ、と悔しさで顔を真っ赤にし、イエスにつかみかかるのではないでしょうか。
弟子たちから邪魔げにされるのならば、いくらでも我慢できる。でもイエス様にここまで言われたら、いったいどうすればよいのか。
怒りと、混乱と、絶望が入り交じった瞳をイエス様に向けながら、ただ立ち尽くすしかありません。続きを読む
posted by 近 at 19:26 | Comment(0) | 2016年のメッセージ

2016.5.1「人生を取り戻した日」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』19章1-10節 

序.
 「トラトラトラ、われ奇襲に成功せり」。歴史に興味のある方は、この暗号電文をご存じかと思います。
1941年12月8日、日本軍がハワイの真珠湾を先制攻撃したときに、その攻撃隊の隊長であった、淵田美津雄大佐が送った暗号です。
日本人にとっても、世界史においても、忘れようとも決して忘れることのできない悲惨な戦争がここから始まりました。
敗戦後、彼は人生の意味を失い、何度も自問しました。何のために戦ったのか。何のための人生だったのか。
しかし、ある一冊の本との出会いが、彼の人生を変えました。その本のタイトルは、「私は日本の捕虜だった」。
作戦に失敗して日本軍の捕虜となりながらも、終戦後日本人に福音を伝えるために宣教師になった、元アメリカ軍人が書いたものでした。
そこに書かれていたイエス・キリストを知ったとき、過去に縛られていた彼の心は、解放されました。
そして淵田大佐もまた、その宣教師と同じように、伝道者の道を選びました。
彼は終戦後、罪悪感から自分が真珠湾攻撃隊の隊長であったことを隠していたそうです。
しかしキリストの御名があがめられるために、そしてあの宣教師への敬意も込めて、こんなタイトルの本を書きました。
「私は真珠湾攻撃の隊長だった」。その本を片手に、彼は日本全国を回り、なんとアメリカまでも伝道旅行に行きました。
「ジャップ、リメンバー・パールハーバー」、たくさんのアメリカ人にそんな罵声を投げつけられても、キリストを語り続けました。
そして亡くなるまでのあいだ、キリストのしもべとして歩み続けました。
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posted by 近 at 19:24 | Comment(0) | 2016年のメッセージ