こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今週から、USTREAMを使ってリアルタイムに礼拝を中継する試みを始めたのですが、途中で映像が止まったり、あまりうまくいきません。
何よりストレスがたまるのは、見ようとするたびに長めの広告が流れること。
かといって広告を外すために有料にすると月何千円もかかるようで、なかなか頭の痛いところです。
週報はこちらです。
聖書箇所 『使徒の働き』27章1-44節
序.
二年前に起きた、韓国の旅客船セウォル号沈没事故は、まだ私たちの記憶にも残っていることでしょう。
乗員乗客のうち、約300名が亡くなり、そのうちの250人が修学旅行で乗っていた高校生でした。
そして遺族の怒りを最も駆り立てたのが、船長はじめ乗員のほとんどが、事故発生後に船から真っ先に逃げ出していたということでした。
しかし韓国の社会だけが特別ということではないでしょう。
今日の聖書箇所に出てくる船員たちも、やはり乗客を見捨てて逃げ出そうとしました。
ある評論家が、こんなことばを残しています。「苦しみが人を作るのではない。だが苦しみはその人の本当の姿をあぶり出す」。
ベストセラーになった自己啓発本のタイトルに、「ピンチはチャンス」というのがありました。危機のときこそ、その人が成長する機会である、と。
しかし危機を通して人は成長するのではありません。危機のときに、その人が平時の時に粛々と培ってきた成長が試されるのです。続きを読む
最近の記事
(02/02)2025.2.2主日第二礼拝のプレミア公開
(01/31)2025.1.26「一つになってともに生きる」(詩133-134)
(01/24)2025.1.19「綱は断ち切られた」(詩129:1-8)
(01/17)2025.1.12「祝福の秘訣」(詩128:1-6)
(01/10)2025.1.5「終わりの時代は恵みの時代」(ルカ21:1-19)
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2016.6.26「困難を分け合う人生」
posted by 近 at 17:23
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| 2016年のメッセージ
2016.6.19「信じたとき、聖霊を受けましたか」
こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。
聖書箇所 『使徒の働き』19章1-20節
序.
今、アメリカでは第45代大統領を選ぶための激しい戦いが続いております。
共和党はすでにトランプ氏に一本化、対する民主党も、ヒラリー氏でいよいよ決まりかという状況ですが、そこからがようやく本番です。
新しく選ばれた大統領が、聖書の前で宣誓を行うのは来年の1月20日、まだ半年以上、アメリカではお祭りが続きそうです。
さて、アメリカの歴代大統領の中で、あなたの最も尊敬する人物は誰ですかと聞くと、多くの人がリンカーン大統領と答えます。
彼の偉業のなかで最も有名なのは、なんといっても奴隷解放宣言でしょう。
しかしある本で読みましたが、奴隷解放宣言が出されても、黒人奴隷の中には自分たちが自由にされたことを信じない者もいたそうです。
彼らはあまりにも長いあいだ奴隷として苦しんできたがゆえに、こんな自分たちが自由になれるはずがない、と決めつけてしまっていたのです。
今日の多くのクリスチャンも、「信じたときに聖霊を受ける」ということについて、彼らと同じようにはじめから決めつけてしまっています。
もちろん自分が初めてイエスを救い主として信じたときのことは覚えています。そのときの感動は、決して忘れはしないでしょう。
しかし「信じたときに聖霊を受けましたか」と聞かれたら、「はい、確かに受けました!」と答えることができるでしょうか。
むしろ、聖書は信じたときに聖霊を受けると約束しているのに、自分は例外のように受け止めてしまっています。続きを読む
週報はこちらです。
聖書箇所 『使徒の働き』19章1-20節
序.
今、アメリカでは第45代大統領を選ぶための激しい戦いが続いております。
共和党はすでにトランプ氏に一本化、対する民主党も、ヒラリー氏でいよいよ決まりかという状況ですが、そこからがようやく本番です。
新しく選ばれた大統領が、聖書の前で宣誓を行うのは来年の1月20日、まだ半年以上、アメリカではお祭りが続きそうです。
さて、アメリカの歴代大統領の中で、あなたの最も尊敬する人物は誰ですかと聞くと、多くの人がリンカーン大統領と答えます。
彼の偉業のなかで最も有名なのは、なんといっても奴隷解放宣言でしょう。
しかしある本で読みましたが、奴隷解放宣言が出されても、黒人奴隷の中には自分たちが自由にされたことを信じない者もいたそうです。
彼らはあまりにも長いあいだ奴隷として苦しんできたがゆえに、こんな自分たちが自由になれるはずがない、と決めつけてしまっていたのです。
今日の多くのクリスチャンも、「信じたときに聖霊を受ける」ということについて、彼らと同じようにはじめから決めつけてしまっています。
もちろん自分が初めてイエスを救い主として信じたときのことは覚えています。そのときの感動は、決して忘れはしないでしょう。
しかし「信じたときに聖霊を受けましたか」と聞かれたら、「はい、確かに受けました!」と答えることができるでしょうか。
むしろ、聖書は信じたときに聖霊を受けると約束しているのに、自分は例外のように受け止めてしまっています。続きを読む
posted by 近 at 17:27
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| 2016年のメッセージ
2016.6.12「拝まずにはいられない」
こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
牧師は説教のタイトルを先に決める派と後で決める派に分けられますが、私は後者のタイプです。
毎回、説教のタイトルを考えるのはたいへん苦労します。しかし、今回の説教題は、本文を書き上げる前に浮かびました。
どんなに優れた説教者でも、本当に満足できる説教は生涯でも二、三回あるかどうかと言われます。
まさに今日のメッセージは、私にとってそのような説教そのものとなるでしょう。
罪人なるすべての人間が無意識に支配されている偶像礼拝の桎梏!
同時にキリスト者による、救い主イエスに対する絶えざる歓喜の礼拝!
まったく相反する二重の意味を込めて「拝まずにはいられない」という説教題が与えられました。主よ感謝。
しかし妙にすんなり決まったと思ったら、どうも昔聞いた「愛さずにはいられない」というフレ−ズをパクっていたことに気づきました。
どこかの国のオリンピックのロゴマークで酷評された某デザイナーも、こんな感じだったのでしょうか。
ちなみに、ウィキペディアで「愛さずにはいられない」を調べると、こうなります。

みなさん、パクりすぎです。私も人のことは言えませんが。週報はこちらです。
聖書箇所 『使徒の働き』17章16-34節
序.
先月、長野県の松原湖バイブルキャンプ場というところに行ってきました。隣の県なのに、おそろしく時間がかかるところにありまして、
いつもは最短距離をまっすぐ行くのですが、今年はなぜか諏訪湖を見たくなり、ちょっと早めに出発しました。
そして諏訪湖から隣の茅野市というところに入ったのですが、そこで不思議なものを発見しました。
写真を取り損ねたので、帰って来てからインターネットで調べて印刷したのですが、わかりますかね?
茅野駅前のビルの真ん前に、しめ縄を張った、でっかいジャガイモがどんと置いてあるのです。
じつはジャガイモに見えるのは、大きな石でありまして、駅前再開発の工事中に掘り出されたものだそうです。
あまりにも見事な大石だったので、何かいわれがあるはずと思って慎重に掘り出したけれども、
後で調べたらこの場所にそれらしい言い伝えとか、何もなかった、と。
しかし横にある説明文にこう書いてあるのです。「悠々の時を経た巨大岩石が、突然、地上に出現したことは単なる偶然とは思えない。
我々を守る神の磐座(いわくら)であると信じ、シンボルとして、駅前縄文公園隣接に永久保存することにした」。
この国では、神が人を造られたとは語られず、人が神を造る、ということが常態化しています。
現代でさえ、工事現場で発見された、何のいわれもない石を神の宿る石とするくらいです。
縄文時代からの何千年のあいだ、日本人はいったいどれだけの神を造り出してきたことでしょうか。
キリスト教を外国の宗教だと批判する人々は、日本には古来から八百万の神が生きておられると言います。
しかしその神々とは、私たちの祖先が自由勝手に作り出し、しめ縄をはって、拝んできた神そのものです。
造られたものは、それを造った存在を越えることはできません。人間によって造られた神々は、造った人間を守ることはできません。
そしてそんなものは神ではありません。偶像です。偽物です。私たちの時間を奪い、真理への目を曇らせ、滅びへと至らせるものです。続きを読む
牧師は説教のタイトルを先に決める派と後で決める派に分けられますが、私は後者のタイプです。
毎回、説教のタイトルを考えるのはたいへん苦労します。しかし、今回の説教題は、本文を書き上げる前に浮かびました。
どんなに優れた説教者でも、本当に満足できる説教は生涯でも二、三回あるかどうかと言われます。
まさに今日のメッセージは、私にとってそのような説教そのものとなるでしょう。
罪人なるすべての人間が無意識に支配されている偶像礼拝の桎梏!
同時にキリスト者による、救い主イエスに対する絶えざる歓喜の礼拝!
まったく相反する二重の意味を込めて「拝まずにはいられない」という説教題が与えられました。主よ感謝。
しかし妙にすんなり決まったと思ったら、どうも昔聞いた「愛さずにはいられない」というフレ−ズをパクっていたことに気づきました。
どこかの国のオリンピックのロゴマークで酷評された某デザイナーも、こんな感じだったのでしょうか。
ちなみに、ウィキペディアで「愛さずにはいられない」を調べると、こうなります。

みなさん、パクりすぎです。私も人のことは言えませんが。週報はこちらです。
聖書箇所 『使徒の働き』17章16-34節
序.
先月、長野県の松原湖バイブルキャンプ場というところに行ってきました。隣の県なのに、おそろしく時間がかかるところにありまして、
いつもは最短距離をまっすぐ行くのですが、今年はなぜか諏訪湖を見たくなり、ちょっと早めに出発しました。
そして諏訪湖から隣の茅野市というところに入ったのですが、そこで不思議なものを発見しました。
写真を取り損ねたので、帰って来てからインターネットで調べて印刷したのですが、わかりますかね?
茅野駅前のビルの真ん前に、しめ縄を張った、でっかいジャガイモがどんと置いてあるのです。
じつはジャガイモに見えるのは、大きな石でありまして、駅前再開発の工事中に掘り出されたものだそうです。
あまりにも見事な大石だったので、何かいわれがあるはずと思って慎重に掘り出したけれども、
後で調べたらこの場所にそれらしい言い伝えとか、何もなかった、と。
しかし横にある説明文にこう書いてあるのです。「悠々の時を経た巨大岩石が、突然、地上に出現したことは単なる偶然とは思えない。
我々を守る神の磐座(いわくら)であると信じ、シンボルとして、駅前縄文公園隣接に永久保存することにした」。
この国では、神が人を造られたとは語られず、人が神を造る、ということが常態化しています。
現代でさえ、工事現場で発見された、何のいわれもない石を神の宿る石とするくらいです。
縄文時代からの何千年のあいだ、日本人はいったいどれだけの神を造り出してきたことでしょうか。
キリスト教を外国の宗教だと批判する人々は、日本には古来から八百万の神が生きておられると言います。
しかしその神々とは、私たちの祖先が自由勝手に作り出し、しめ縄をはって、拝んできた神そのものです。
造られたものは、それを造った存在を越えることはできません。人間によって造られた神々は、造った人間を守ることはできません。
そしてそんなものは神ではありません。偶像です。偽物です。私たちの時間を奪い、真理への目を曇らせ、滅びへと至らせるものです。続きを読む
posted by 近 at 18:35
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| 2016年のメッセージ
2016.6.5「四コマ人生」
こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
日曜午後から月曜夜まで、教団事務所に用事があって、泊まりがけで上京しておりました。
週一回しかブログ更新しないのに、それも遅れてしまい、心待ちにしてくださっていた方々、もしいれば、申し訳ありません。
白新線、上越新幹線、山手線、小田急線、東急バスと乗り継ぎましたが、とうぎょうのひとのはぢわりはすまほばっか見てんね。
(拙訳:「都内では、車内でご一緒した方々の8割はスマホから目を離されませんでしたね」)
自分がスマホを持っていないゆえのひがみかもしれませんが、なんか殺伐とした感じです。
新潟駅に着いて白新線に乗り換えたら、ほろ酔いのじいちゃん二人組が向かいの高校生二人にいきなり昔話を始めました。
高校生たちも最初はスマホをいじりながら無視していましたが、豊栄で降りる前にちらっと見たら、四人すっかり打ち解けていました。
新潟はやっぱり平和ですね。こんなほっとする新潟が私は大好きです。
ちなみに白新線は車両ドアが手動で、乗った最後の客が自分で開け閉めします。平和というか、単にイナカなだけかも。
週報はこちらです。
聖書箇所 『使徒の働き』16章6-34節
序.
朝、新聞を開いて最初に読むのは四コマ漫画、という人は、真面目なクリスチャンにはあまりいないようですが、
今日の聖書の物語は、それこそ四コママンガにたとえることができるかもしれません。
四コママンガでは、よく起承転結ということが言われます。一コマ目で始まり、二コマ目で展開、三コマ目で逆転、そして四コマ目でオチ。
今日の箇所でいう「起」は、まず神がパウロに「マケドニアの叫び」の幻を与えられるところでしょう。
そして「承」は、マケドニアで船で向かった最初の港町ピリピで、紫布の商人ルデヤに出会い、神が彼女の心を開いてくださったこと。
しかし三コマ目の「転」、順調な滑り出しに見えたピリピ伝道が、あろうことか占いの霊につきまとわれ、さらには牢に捕らえられてしまう。
しかし神のオチは、挫折では終わらない。真夜中の賛美、奇跡的な地震、そして看守とその家族みながイエス・キリストを信じるのです。
今日の物語を四コママンガに例えたのには、はっきりとした根拠があります。どんなマンガでも、必ず作者が必要です。
では、ここに書かれている作者はだれでしょうか。言うまでもなく、すべてを働かせて益としてくださる、主なる神です。
パウロの行こうとしていた道を次々にとうせんぼして、トロアスでマケドニア人の夢を見させたのは神でした。
彼らに確信を与えてただちにマケドニアへ向かわせたのも神です。ルデヤの心を開いてバプテスマを受けさせたのも神。
占いの霊にとりつかれた若い女奴隷を通して、叫ばせたのも神。霊を追い出された儲ける術を失った主人たちの心を頑なにしたのも神。
真夜中の牢の中で、パウロとシラスの唇に賛美を与えたのも神。囚人たちの心を整えて、その賛美に耳を傾けさせたのも神。
牢屋の土台が揺れ動くほどの地震を起こし、しかし不思議なことに扉と足かせだけうまいこと外してくださったのも神。
しかも囚人たちをひとりも逃げ出させなかったのも神。看守の心を開いて、一家すべて信仰へと導いてくださったのも神。
人の目にはラッキーと見えることも、アンラッキーと見えることも、すべては神の永遠のご計画の中に描かれた、必要な伏線です。
すべてが必要なものとして用意されており、それらが織り交ぜられて、神の作品となっているのが、私たちの人生そのものなのです。続きを読む
日曜午後から月曜夜まで、教団事務所に用事があって、泊まりがけで上京しておりました。
週一回しかブログ更新しないのに、それも遅れてしまい、心待ちにしてくださっていた方々
白新線、上越新幹線、山手線、小田急線、東急バスと乗り継ぎましたが、とうぎょうのひとのはぢわりはすまほばっか見てんね。
(拙訳:「都内では、車内でご一緒した方々の8割はスマホから目を離されませんでしたね」)
自分がスマホを持っていないゆえのひがみかもしれませんが、なんか殺伐とした感じです。
新潟駅に着いて白新線に乗り換えたら、ほろ酔いのじいちゃん二人組が向かいの高校生二人にいきなり昔話を始めました。
高校生たちも最初はスマホをいじりながら無視していましたが、豊栄で降りる前にちらっと見たら、四人すっかり打ち解けていました。
新潟はやっぱり平和ですね。こんなほっとする新潟が私は大好きです。
ちなみに白新線は車両ドアが手動で、乗った最後の客が自分で開け閉めします。平和というか、単にイナカなだけかも。
週報はこちらです。
聖書箇所 『使徒の働き』16章6-34節
序.
朝、新聞を開いて最初に読むのは四コマ漫画、という人は、真面目なクリスチャンにはあまりいないようですが、
今日の聖書の物語は、それこそ四コママンガにたとえることができるかもしれません。
四コママンガでは、よく起承転結ということが言われます。一コマ目で始まり、二コマ目で展開、三コマ目で逆転、そして四コマ目でオチ。
今日の箇所でいう「起」は、まず神がパウロに「マケドニアの叫び」の幻を与えられるところでしょう。
そして「承」は、マケドニアで船で向かった最初の港町ピリピで、紫布の商人ルデヤに出会い、神が彼女の心を開いてくださったこと。
しかし三コマ目の「転」、順調な滑り出しに見えたピリピ伝道が、あろうことか占いの霊につきまとわれ、さらには牢に捕らえられてしまう。
しかし神のオチは、挫折では終わらない。真夜中の賛美、奇跡的な地震、そして看守とその家族みながイエス・キリストを信じるのです。
今日の物語を四コママンガに例えたのには、はっきりとした根拠があります。どんなマンガでも、必ず作者が必要です。
では、ここに書かれている作者はだれでしょうか。言うまでもなく、すべてを働かせて益としてくださる、主なる神です。
パウロの行こうとしていた道を次々にとうせんぼして、トロアスでマケドニア人の夢を見させたのは神でした。
彼らに確信を与えてただちにマケドニアへ向かわせたのも神です。ルデヤの心を開いてバプテスマを受けさせたのも神。
占いの霊にとりつかれた若い女奴隷を通して、叫ばせたのも神。霊を追い出された儲ける術を失った主人たちの心を頑なにしたのも神。
真夜中の牢の中で、パウロとシラスの唇に賛美を与えたのも神。囚人たちの心を整えて、その賛美に耳を傾けさせたのも神。
牢屋の土台が揺れ動くほどの地震を起こし、しかし不思議なことに扉と足かせだけうまいこと外してくださったのも神。
しかも囚人たちをひとりも逃げ出させなかったのも神。看守の心を開いて、一家すべて信仰へと導いてくださったのも神。
人の目にはラッキーと見えることも、アンラッキーと見えることも、すべては神の永遠のご計画の中に描かれた、必要な伏線です。
すべてが必要なものとして用意されており、それらが織り交ぜられて、神の作品となっているのが、私たちの人生そのものなのです。続きを読む
posted by 近 at 16:48
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| 2016年のメッセージ