先日の祈祷会メッセージで、「ペンテコステ運動が初めて起こった時期(19世紀中盤)が、教会自ら聖書を捨てた時期と重なるのではないか」という話をしました。そのときに説明が足りなかったので、当時興隆した文書仮説についてのレポートをアップします。今読み返すと、どことなく断定調で言葉もキツいですが、なにしろ福音派の神学校で、しかも〆切に追われて書いたものですので、どうかご勘弁ください。あくまでも参考ということで。十数年前に書いたものなので、質問されても、ちょっと困ります。
「
ヨーロッパを一つの怪物がうろついている 共産主義の怪物が」。『共産党宣言』(1848)の序文でカール・マルクスは当時の政治家の恐怖をこのように代弁してみせている。そしてそれから数年後、正統的な聖書信仰をもつ者たちもまたこのように嘆いていたかもしれない。「
ヨーロッパを一つの怪物がうろついている 進化論の怪物が」。まさに19世紀後半は、神学においても本文研究においても進化論という怪物に人々が魅せられていた時代であった。それは「JEDP」という架空の資料を切り貼りしてモーセ五書の成立を説明した、ヴェルハウゼン学説の発展と支配に象徴される。18世紀の啓蒙主義が聖書を自由に解体する勇気を与え、19世紀の進化論が聖書を自由に構成する悦びを与えた。人類の起源を実証なき推論によって自在に思い描いた進化論は、聖書研究の領域においても、その起源に架空文書の存在をもって良しとしてしまう学問的態度を許したのである。
このように人々を惹きつけたヴェルハウゼン学説とは何なのか。そして福音派を名乗る者はそれに対してどのように反論していけばよいのか。それには、まずこのヴェルハウゼン学説に至る研究史の変遷についてまとめる必要があるだろう。けだし最初に語らなければならないのは、18世紀にアストリュクが提唱した説である。彼は創世記の中に、神を表す言葉としてエロヒームとヤハウェの二つが出てくることに注目した。そしてそこから彼は、創世記はA資料(エロヒーム)とB資料(ヤハウェ)、さらに10の断片から構成されたと結論づける。これがその後200年間の批評的研究の皮切りとなったのである。
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