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2016.7.17「いのち塗られて」

こんにちは。あなたの心に小さな一票を。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
私が高校時代を過ごした某敬和学園では、毎朝礼拝がありましたが、その日歌う讃美歌の番号が体育館の黒板に書かれていました。
あれから約30年・・・・先日、CBD(キリスト教の通販サイト)からのニュースレターに、あの若かりし頃の記憶を彷彿とさせるものが!
お値段100ドル。これを会堂の壁に掛ければ、讃美歌(新聖歌)もスムーズに開いてもらえるかもしれません。
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しかしよく見ると、「Attendance Today(本日の出席)364」とか書いてあります。
賛美歌の番号じゃなくて、CS出席人数かよ!さすがアメリカ、スケールがでかい。
ただ「先週の出席」はわかりますが、「一年前の出席」ってどうなんでしょう。あまり意味がないような。
日本の教会はCSの出席人数が一桁でも決してめげません。ええ、めげませんとも。週報はこちらです。

聖書箇所 『出エジプト記』12章21-36節 


序.
 二十年近く前のこと、私が四年間勤めた市役所を退職したときのことです。
退職は3月末日でしたが、退職の申し出はその半年前に上司に出しておりました。
しばらくして、課長から、「近さん、部長が部屋に来いってさ」と言われました。
その部長さんは、私も決済を取りに何度か伺ったことがありましたが、強面で、いわゆるこわい人でした。
「三、四年でやめるくらいだったら最初から入ってくるな」と怒鳴られるんじゃないかと、びくびくしながら、部長のところに向かいました。
すると穏やかにこう聞いてきました。「あんた牧師だか神父だかになるためにやめると聞いたけれど、牧師というのはどうやったらなれるんだ」。
私が「神学校という所に行きまして、三年間学びそれから試験を受けます」と答えると、「ふーん、がんばってな」と、ものの五分で終わりました。
 ところがやめるまでの半年間、その部長さんがちょくちょく私を部屋に呼んでくださるのです。
「聖書は何が書いてあるのか」「教会は何をするところなのか」と、ひとつずつ聞いては、私もひとつずつ答えて、五分経ったら「もういいよ」と。
しかし三月の終わりになって、その方が初めて自分自身の話をしてくださいました。
「自分がまだ小さかった頃に、何ヶ月か重い病気にかかって、このまま死ぬのかな、と思うことがあった。
幸い病気は直り、それ以来大病も経験していないのだが、ふとあの時のことを思い出すことがあって、死というものを考えることがある。
でも役所の中でこんなことは人に言えないし、ただあんたはもうやめていく人間だから、付き合ってもらった。今までありがとう」。
その部長さんとは、その後聖書を贈り、今はお付き合いはないのですが、今日の聖書の箇所を学びながら、ふと思い出しました。

 モーセがエジプト王パロに、イスラエルを奴隷から解き放つように語ったとき、パロは決してその言葉を聞こうとしませんでした。
もちろんその強面の部長さんと、かたくななパロが繋がったのではありません。ただ、共通点がありました。
それは、どちらも「死」ということに直面したときに、心が揺れたことです。続きを読む
posted by 近 at 23:14 | Comment(0) | 2016年のメッセージ