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2016.7.31「感謝は誰がために」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
つい昨日のことですが、ある牧師の葬儀に参列してきました。まだ40歳。これからという年齢です。
格別親しかったということではありませんが、教会のある町が私の母の生まれ故郷でもあり、いつかじっくり話したいと思っていました。
こんなかたちで、昨年亡くなった母の故郷を35年ぶりに訪問することになろうとは考えてもいませんでした。
私に何かできることはなかったのだろうか。おそらく参列した方々みなが、そう思いながらあの場に駆けつけたのでしょう。
しかしそれでも、天国で再会できるという希望が、私たちには残されています。残されたご遺族と教会の上に、天来の慰めを求めます。
週報はこちらです。

聖書箇所 『出エジプト記』16章1-36節 

メッセージの録画ボタンを押し忘れました。撮り直す気力もありませんので、今週はご勘弁ください。

序.
 先日亡くなられた、永六輔さんが、夫婦の成長について語っていたこんな言葉がありました。
結婚して十年間は、愛の夫婦。次の十年間は、努力の夫婦。さらに次の十年間は、忍耐の夫婦。ここまでで三十年ですね。
そして忍耐の次の十年間は、あきらめの夫婦。しかしその後の十年間、そこでようやく、感謝の夫婦になれる、と。
この感謝の十年間が、いつまでも続いていけば最高なのでしょうが、およそ人間のもつ感情の中で、感謝ほど長く続かないものはありません。
イスラエルの民の歴史を挙げずとも、自らの人生を顧みてみればそのことがわかりますが、あえて聖書の実例を見てみましょう。
神が紅海をふたつに割って、イスラエルの民二百万を全員救い出し、エジプト軍を全滅させた出来事を先週学びました。
しかしそのわずか一ヶ月後には、彼らは神への感謝を忘れ、神とモーセにぶうぶう不平を漏らしている姿が、ここに描かれています。
感謝することは難しくありませんが、その間者を保ち続けることはなんと難しいことでしょうか。
一方で、人間がもっともたやすく持ってしまう負の感情は、不信です。
感謝が心の中から忘れられると、不信がそのすき間に入り込んできます。
イスラエル人は、エジプトで自分たちがどれだけ惨めな状態で暮らしていたかをすっかり忘れ、昔のほうが幸せだったと言い始めました。
そして自分たちを奴隷から解放してくださった神を、あろうことか自分たちを荒野で殺すためにここまで連れてきたとまで叫んだのです。続きを読む
posted by 近 at 17:28 | Comment(0) | 2016年のメッセージ