こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
四年に一度の祭典、オリンピックが始まりました。実力は勝っているのに、銀メダルで終わり涙をのむ選手もいるでしょう。
ある人が「銀メダルは恨メダル」と言いました。確かに、「金」を「忄(りっしんべん)」に変えるとそうなります。
国家の看板を背負って大会に出場している場合、惜敗したときには恨みが残ることもあるでしょう。
しかし元女子柔道の谷亮子氏が、「銀という文字にわずかな「、」を加えれば、金よりも良い字になる」と言ったそうです。
「恨」という字も、わずかな「、」を加えることができれば、どんな心よりも良いものになるかもしれません。
「わずかなテン」とは何でしょう。努力か、それとも心構えか。解釈と適用はお任せします。週報はこちらです。
聖書箇所 『出エジプト記』20章1-17節
序.
今日の聖書の箇所は、十の戒めと書いて「十戒」と言われます。
たしかに、安息日と、両親への尊敬の二つを除き、どれも「○○してはならない」の連続ですので、十戒という表現は間違っていません。
しかし、十戒は決してただの禁止命令ではなく、それは、神と人とのあいだに交わされた契約書と言ってよいでしょう。
神様は、イスラエル人に十戒を与え、この十の戒めに集約された神のおきてを守るなら、イスラエルに救いを与えると約束してくださいました。
それが旧約聖書39巻にちりばめられた律法であり、その律法が十の命令に集約されているのが、この十戒なのです。
十戒は、イスラエルだけではなく、私たち信仰者すべてに向けられた、神の契約書です。
最初の第一の戒めから第四の戒めまでは、私たち人間が、神さまに対してどう向き合うべきかが、四つの命令で教えられています。
そして第五の戒めから最後の第十の戒めまでは、今度は私たちがこのまわりの人々とどう向き合うべきかが教えられています。
まず神との関係、それから人との関係。この順番が大切なのです。
この背後の十字架の縦棒が神との関係、横棒が人との関係というのはよく聞く言葉ですが、必ず縦棒のほうが長いのです。
まず神との関係が確かなものとされて、そこではじめて私たちは、人々に流される者ではなくて、しっかりと地面に立つ者になれます。
「自分を変える」とか「私が変わればまわりが変わる」とかよく言いますが、そのために必要なのは、神との関係を変えることです。
かつて、ある政党のキャッチコピーに「生活が第一」というのがありました。あるクリスチャンも、礼拝よりも生活が大事、と言います。
しかし礼拝よりも大事な生活などありません。むしろ礼拝と生活を分けてしまっていることが、そもそもの過ちです。続きを読む
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2016.8.7「十戒という名の保証書」
posted by 近 at 17:13
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