こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
昨日は多くの教会でクリスマス礼拝や祝会が行われたのではないかと思います。
例年ですと、クリスマス集会の後、年内にもう一度日曜日があって、一年の感謝などをささげるのですが、今年の日曜日は昨日で最後。
来週は元旦となり、何か物足りないような気がします。
今年一年を振り返ってみると、この場では書けないのですが、私にとって大きな出来事がありました。
ある説教で「牧者として留まるために、常に私は自分のやりたいことではなく、二番目の道を選んできた」という証しがありました。
私にとって、二番目の道は何か、いま神様に問うているところです。毎日少しずつ、おぼろげに示されてはいるのですが。
週報はこちらです。
聖書箇所 『ルカの福音書』2章8-20節
1.
タレントの武田鉄矢さんが子どもの頃、お母さんにこう質問したそうです。よそのうちはクリスマスにお祝いするけれどなんでうちはやらないの?
するとお母さんはこう答えました。「うちは浄土真宗だからサンタさんは来られましぇん」。
有名なエピソードですが、実際同じような経験をした方はたくさんおられるようです。
その中のひとりが、どうしてもプレゼントがほしい、教会だったらサンタさんが来るんじゃないか、と思い立ち、クリスマス礼拝に潜り込みました。
どうにも居心地の悪さを感じながら、牧師の説教を最後まで聞きました。
ところが牧師の話では、サンタがプレゼントをくれるどころか、人々はクリスマスをサンタの誕生日だと思っていますが、なんて言い出す始末。
しかしイエス・キリストがユダヤのベツレヘムでお生まれになりました、ということだけは耳に入ってきました。
それまでエスさんはアメリカ人だと親から聞いていたので、ちょっと得をした気分になった、と。
その方もクリスチャンとなられましたが、たとえそんな動機であっても、神様はあらゆる機会を用いて、私たちを招いておられるお方です。
クリスマスに、まず私たちが聖書から教えられることは、神様は招いておられるお方であるということです。
豊栄教会の外に立っているアルミの掲示板には、フレームのところに小さく、次のみことばが印刷されています。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます。」
あれは私が十数年前に赴任してすぐに作っていただいたものですが、もう少しデザインを煮詰めるべきでした。
みことばがちっちゃすぎて、相当近づかないと気がつきません。
だけどもしクリスチャンが、聖書のことばのなかでひとつだけ誰かに伝えるならば、必ずベストテンに入るものでしょう。
イエスさまは、つまりあなたを愛しておられる神様は、こう呼びかけておられます。
「あなた、疲れていますね。重いもの、背負ってますね。わたしのところにおいでなさい。わたしが代わりに背負ってあげましょう」。
疲れていない人はいません。重荷を背負っていない人はいません。だれ一人として、イエス様の助けを必要としていない人などいません。
神は私たちを、あらゆる手段を通して招いてくださっています。続きを読む
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(01/24)2025.1.19「綱は断ち切られた」(詩129:1-8)
(01/17)2025.1.12「祝福の秘訣」(詩128:1-6)
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2016.12.25「あなたは招かれている」
posted by 近 at 17:49
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| 2016年のメッセージ
2016.12.18「みこころが地でも行われるために」
こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。週報はこちらです。
いよいよクリスマスですね。当教会もご多分にもれず、イベント 集会が目白押しです。
23日は近所の福祉施設二か所を訪問、24日はイブ礼拝、25日はクリスマス礼拝およびお祝い会。26日は家庭集会の予定です。
7月から豊栄から40キロ北にある村上の教会を兼牧していますので、25日は豊栄のクリスマス祝会も途中退場です。
村上のクリスマスチラシもラクスルさんで作りました。こちらはお試しということで1000部。ある意味、豊栄のチラシよりも力入っています。
リンク先のオリジナルは1MBありますのでご注意ください。
聖書箇所 『ルカの福音書』2章1-7節
序.
毎年、年末になると流行語大賞や、今年の漢字というものが発表されます。
今年の漢字というのは、その年の特徴的な世相を漢字一文字で表すというものですが、2016年はどんな漢字が選ばれたでしょうか。
「金」でした。なんでも、今年はリオでの金メダルラッシュ、豊洲市場や東京オリンピック会場に関わる金の問題などがあったからだそうです。
ところが、そのニュースを聞いて、私は待てよ、と思いました。
じつは毎年、この時期の説教の導入で「今年の漢字」に触れているので、過去にどんな漢字が選ばれたかというのがだいたいわかるのです。
四年前の2012年に選ばれた「今年の漢字」も「金」でした。
当時の資料を見ると、こう書いてありました。
2012年はロンドンでの金メダル、年金偽装にかかわる金の問題の表面化。四年前とほとんど変わっておりません。
金メダルはともかく、金の問題は、悪いのは国か都か県かというのが変わるだけで、四年経っても同じことを繰り返しているのだなと思います。
来年の「今年の漢字」に何が選ばれるかまではわかりませんが、おそらく四年後の2020年は、また「金」が選ばれるに違いありません。続きを読む
いよいよクリスマスですね。当教会もご多分にもれず、
23日は近所の福祉施設二か所を訪問、24日はイブ礼拝、25日はクリスマス礼拝およびお祝い会。26日は家庭集会の予定です。
7月から豊栄から40キロ北にある村上の教会を兼牧していますので、25日は豊栄のクリスマス祝会も途中退場です。
村上のクリスマスチラシもラクスルさんで作りました。こちらはお試しということで1000部。ある意味、豊栄のチラシよりも力入っています。

聖書箇所 『ルカの福音書』2章1-7節
序.
毎年、年末になると流行語大賞や、今年の漢字というものが発表されます。
今年の漢字というのは、その年の特徴的な世相を漢字一文字で表すというものですが、2016年はどんな漢字が選ばれたでしょうか。
「金」でした。なんでも、今年はリオでの金メダルラッシュ、豊洲市場や東京オリンピック会場に関わる金の問題などがあったからだそうです。
ところが、そのニュースを聞いて、私は待てよ、と思いました。
じつは毎年、この時期の説教の導入で「今年の漢字」に触れているので、過去にどんな漢字が選ばれたかというのがだいたいわかるのです。
四年前の2012年に選ばれた「今年の漢字」も「金」でした。
当時の資料を見ると、こう書いてありました。
2012年はロンドンでの金メダル、年金偽装にかかわる金の問題の表面化。四年前とほとんど変わっておりません。
金メダルはともかく、金の問題は、悪いのは国か都か県かというのが変わるだけで、四年経っても同じことを繰り返しているのだなと思います。
来年の「今年の漢字」に何が選ばれるかまではわかりませんが、おそらく四年後の2020年は、また「金」が選ばれるに違いありません。続きを読む
posted by 近 at 11:15
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| 2016年のメッセージ
2016.12.11「神の赤子は赤心に宿る」
こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。週報はこちらです。
クリスマスの案内チラシを、今年もラクスルさんで6000部発注。
A4両面カラーで一枚2円也。目に触れるかどうかは未知数ですが、教会会計にはたいへん助かります。
クリックすると、PDFが開きます。2MBと重いのでご注意ください。
聖書箇所 『マタイの福音書』1章18-25節
序.
クリスマスの讃美歌の中に、「みどりご」ということばがよく出てきます。
赤ちゃん、つまり「赤子」と同じ意味ですが、なぜみどりごと言うのでしょうか。
辞書で調べたところ、奈良時代の大宝律令という法律で、三歳以下の幼児は「みどりこ」と呼ぶことに決められて、その名残だということです。
幼子の瑞々しい生命力が、新緑の若葉を連想させるから、という説明もありました。
讃美歌としては「赤子」より「みどりご」のほうが情感豊かでよいのですが、
私は赤子ということばから受ける、血管が透き通って、肌が赤みを帯びている、そういうイメージも捨てがたいと思います。
日本語には「赤い心」と書いて「赤心」という言葉があります。嘘偽りない、心の思いという意味です。
「赤」は裸を指します。何も飾らず、何も偽らず、何も取り繕わないのが赤心であり、丸裸の赤子の姿です。
聖書の中で頻繁に出てくる「罪のゆるし」という言葉も、ごんべんの許しではなくて、あかへんの赦しという漢字です。
赦すことも、赦されることも、それは自分の心を丸裸にしてすべてをさらけださなければなりません。
そして今日の聖書箇所には、自分の心を丸裸にして「赦す」ことを問われた、一人の男性の姿が描かれています。
それがヨセフです。まず18節をもう一度お読みします。
「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった」。続きを読む
クリスマスの案内チラシを、今年もラクスルさんで6000部発注。
A4両面カラーで一枚2円也。目に触れるかどうかは未知数ですが、教会会計にはたいへん助かります。

聖書箇所 『マタイの福音書』1章18-25節
序.
クリスマスの讃美歌の中に、「みどりご」ということばがよく出てきます。
赤ちゃん、つまり「赤子」と同じ意味ですが、なぜみどりごと言うのでしょうか。
辞書で調べたところ、奈良時代の大宝律令という法律で、三歳以下の幼児は「みどりこ」と呼ぶことに決められて、その名残だということです。
幼子の瑞々しい生命力が、新緑の若葉を連想させるから、という説明もありました。
讃美歌としては「赤子」より「みどりご」のほうが情感豊かでよいのですが、
私は赤子ということばから受ける、血管が透き通って、肌が赤みを帯びている、そういうイメージも捨てがたいと思います。
日本語には「赤い心」と書いて「赤心」という言葉があります。嘘偽りない、心の思いという意味です。
「赤」は裸を指します。何も飾らず、何も偽らず、何も取り繕わないのが赤心であり、丸裸の赤子の姿です。
聖書の中で頻繁に出てくる「罪のゆるし」という言葉も、ごんべんの許しではなくて、あかへんの赦しという漢字です。
赦すことも、赦されることも、それは自分の心を丸裸にしてすべてをさらけださなければなりません。
そして今日の聖書箇所には、自分の心を丸裸にして「赦す」ことを問われた、一人の男性の姿が描かれています。
それがヨセフです。まず18節をもう一度お読みします。
「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった」。続きを読む
posted by 近 at 15:06
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| 2016年のメッセージ
2016.12.4「まことの光を求めて」
こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。
聖書箇所 『ヨハネの福音書』1章6-13節
序.
小学生の頃、図書館に入るとまず最初に向かったのが、「まんがひみつシリーズ」という本が並んでいる棚でした。
「宇宙のひみつ」、「人体のひみつ」、「恐竜のひみつ」などが、まんがでわかりやすく説明されていて、
シリーズ物なのですが、競争が激しくて全部を読んだ人はなかなかいない、という、人気のある本だったと記憶しています。
その中で、ひとつだけ、今でもはっきりと覚えている話があります。それは「昆虫のひみつ」という本にあった、蛾の物語でした。
まんがですから蛾のキャラクターも擬人化されていて、ほっぺに傷のあるおっさんの顔です。
で、こんな感じで登場するわけです。「おうおう、おれたち蛾っつうのはな、まっくらな裏通りしか歩けねえんだよ。光になんて近づけますかい」。
そう言いながら、暗やみに向かって飛んでいこうとするのですが、なぜか自分の意思に関わりなく光のほうへ向かってしまう。
すると必死で抵抗する蛾のおっさんに、若い女性に描かれたメスの蛾が二、三匹飛んできて、こう話しかける。
「私たち蛾は、光を感じるとどうしても近づくようにできているの。あら、明るいところでみると意外といい男ね」
すると蛾のおっさんも「いやー、明るい方もまんざら悪くないねえ」と。
さすが昭和、いい時代ですね。こんなまんがが、全国PTA協議会推薦と書かれた本の中に、平気で載っておりました。

こちらは2006年に出た最新版。昭和のバージョンはこんなさわやかな感じではなかったです続きを読む
週報はこちらです。
聖書箇所 『ヨハネの福音書』1章6-13節
序.
小学生の頃、図書館に入るとまず最初に向かったのが、「まんがひみつシリーズ」という本が並んでいる棚でした。
「宇宙のひみつ」、「人体のひみつ」、「恐竜のひみつ」などが、まんがでわかりやすく説明されていて、
シリーズ物なのですが、競争が激しくて全部を読んだ人はなかなかいない、という、人気のある本だったと記憶しています。
その中で、ひとつだけ、今でもはっきりと覚えている話があります。それは「昆虫のひみつ」という本にあった、蛾の物語でした。
まんがですから蛾のキャラクターも擬人化されていて、ほっぺに傷のあるおっさんの顔です。
で、こんな感じで登場するわけです。「おうおう、おれたち蛾っつうのはな、まっくらな裏通りしか歩けねえんだよ。光になんて近づけますかい」。
そう言いながら、暗やみに向かって飛んでいこうとするのですが、なぜか自分の意思に関わりなく光のほうへ向かってしまう。
すると必死で抵抗する蛾のおっさんに、若い女性に描かれたメスの蛾が二、三匹飛んできて、こう話しかける。
「私たち蛾は、光を感じるとどうしても近づくようにできているの。あら、明るいところでみると意外といい男ね」
すると蛾のおっさんも「いやー、明るい方もまんざら悪くないねえ」と。
さすが昭和、いい時代ですね。こんなまんがが、全国PTA協議会推薦と書かれた本の中に、平気で載っておりました。
posted by 近 at 22:12
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