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2017.2.5「ソロモン王の光と影」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
昨年から、礼拝説教とCSメッセージは、同じ聖書箇所から語るという試みを続けています。
同じ箇所から語っても内容がだいぶ変わるということも時々あり、今回もまたそうでした。
CSメッセージではソロモンに知恵が与えられ、それを用いて本当の母親を見分けた(「大岡裁き」のモデル?)できごとが語られました。
しかし礼拝説教ではいわゆる「大岡裁き」には触れず、知恵が与えられたソロモンがその知恵を生かし切れなかったのはなぜか、でした。
子どもたちはCSと礼拝の二回、同じ箇所から聞いているので、混乱しないだろうかという心配もないわけではありません。
しかし一つの聖書箇所を異なる切り口から見つめることで、みことばの芳醇さを味わってほしいとも思います。
いやあ、聖書って本当におもしろいですね(故・水野晴郎風に)。週報はこちらです。

聖書箇所 『列王記 第一』3章1-15節 

序.
 今から420年前のちょうど今日にあたる1597年2月5日、長崎で26人のカトリック信者が十字架刑に処せられました。
その中で最も最年少にあたるルドビコ茨木という少年は、わずか12歳でした。
処刑を担当していた役人は、まだ幼いルドビコをあわれに思い、「もしキリシタンの教えを捨てれば命を助けてやる」と言ったそうです。
しかし彼は「御奉行様、この世の束の間の命と天国の永遠の命を取り替えるわけにはまいりません」と毅然と答えた、と書き残されています。
彼ら26人が十字架の上で殉教したのと同じ日、キリストのために地上の命を捨てた先達をおぼえながら、信仰を学んでいきましょう。
 先ほどお読みしたソロモンがイスラエルの王として即位したのは、12歳とは言いませんが、まだ若かったことは間違いありません。
彼の父ダビデは王国の礎を築いた、偉大な王でした。
まだ若いソロモンが父ダビデの後を引き継ぐのはどれだけの重荷であっただろうか、想像に難くありません。
自分と父を比較して批判する者たちを黙らせるだけの富、力、栄光を求めてもおかしくはありません。
しかしソロモンは、主を愛し、父ダビデを尊敬していました。
そして自分が父に及ばない小さな者であることを認める謙遜さを持ち合わせていました。
だから彼は、夢の中で一つの願いを許されたとき、こう願いました。
このしもべのような小さい子どもが、数え切れないあなたの民の声を聞き取り、正しいさばきを行えるように、知恵と判断力をください、と。
それは、神のみこころと一致したと聖書は記しています。
さらに神は、知恵だけではなく、ソロモンが願わなかった富と誉れをも与える、と約束してくださった、とも。

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posted by 近 at 08:49 | Comment(0) | 2017年のメッセージ