福音派に属する日本の多くの教会では、『成長』(いのちのことば社)を教会学校(CS)の教案誌として使っていると思います。
内容が「グレード1」(えい児科)から「グレード5」(中高生・成人科)まで分かれておりますが、この3月をもって
「グレード2」(幼児〜小学1、2年生)の聖書物語の絵を30年以上にわたって担当していた山田彰子さんが勇退されるそうです。
30年以上ということは、私が26年前に救われてCS教師の奉仕を始めた頃から、山田さんの絵を使っていたということですね。
今は『視覚教材』という別冊が販売されているので、スキャンしてパソコンでちょちょいと色を塗ればできあがりますが、
当時は3cm四方くらいの絵を四つ切り画用紙に大きく模写し、『土曜ワイド劇場』を観ながら色を塗っていたことを思い出します。
山田さんの絵は細かい線をほとんど使わないので(服の縦縞模様くらい)、模写するのが楽でした。
とはいえ色を塗るのは時間がかかり、真犯人が崖の上で白状し始めてもまだ色塗り終わらない、ということもよくありました。

山田さん、30年以上の間、お疲れさま&ありがとうございました。週報はこちらです。
聖書箇所 『ヨハネの福音書』18章1-11節
序.
あるテレビ番組で、何組かの夫婦を選んで、あることを実行してもらうという企画がありました。
それは何かというと、二人だけの思い出の場所で待ち合わせをしてください、というものでした。
なんだ、簡単じゃないかと最初は誰もが思うのですが、そこにこんな条件がつきます。ただし、決して打合せや相談はしないでください、と。
つまり、夫、妻それぞれで、「ここが二人の思い出の場所に違いない」と思われるところに行って、相手が来るのを待つというものです。
残念ながら予告篇だけでその結果は見ていないのですが、もし私たち夫婦がそこに選ばれたら、どこで待ち合わせるだろうかと考えました。
そして、たぶん、ふたりそれぞれが選ぶ思い出の場所は、完全に食い違う結果になるのではないかなあと思います。
妻と私が初めて出会った場所は、いまから18年前、1999年の夏に箱根で行われた、同盟教団の宣教大会でした。
私はその頃、将来の伴侶を熱心に探しておりまして、妻と出会ったときに、この人だ、と思いました。
ところが、妻のほうはまったくそのような電撃は受けず、むしろ食事の席なのに、昔足を切断した話とか始める、困った人という印象だった、と。
じゃあ妻と確実に待ち合わせすることができる、思い出の場所はどこだろう?と考えると、なかなか思い浮かびません。
しかし夫婦にとって、これは相手をどれだけ理解しているかを確認する、よいテストではないかなとも思います。
1.
いま、イエス様と弟子たちは、最後の夜を過ごすために「園」へと入って行かれました。そこは彼らがよく会合に使っていた場所でした。
何かあったら、ここで必ず待ち合わせれば、必ずみんなと会える、そんな思い出の詰まった場所であったのかもしれません。
しかし「イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた」という2節の言葉が、心に痛みます。
ユダは紛れもなく弟子のひとりでした。思い出もすべて共有してきたはずの彼が、紛れもなくいまイエスを裏切ろうとしているのです。
ここでは「園」としか書いてありませんが、ほかの福音書と照らし合わせれば、ここは間違いなくゲツセマネの園であることがわかります。
このゲツセマネで、イエスは十字架の苦しみを父なる神に何度も叫びました。
どうかこの杯をわたしからとりのけてくださいと血の汗を流しながら祈りました。
おそらく、イエスはいままでもこのゲツセマネの園を、父なる神と真剣に祈る場所として用いていたのでしょう。
弟子たちもまたこのゲツセマネで、イエスの言葉を聞き、祈りを教えられ、師と弟子の関係を越えた暖かい交わりを受け取っていたはずです。
そこは、イエスと弟子たちとの信仰の原点とも呼べる場所でした。そしてユダもまた、その信仰をここで分かち合った者のひとりでした。
だからこそユダは、イエス様と弟子たちが最後にここで時間を過ごすに違いないと考えて、自らが先頭に立って、兵士たちを連れてきました。
待ち合わせ場所をすれ違えるような関係であったら、どんなによかったことか。
しかし三年半、イエスと弟子たちと生活を共にしてきたユダ本人が、確かにいま裏切り者として、このゲツセマネの園に踏み込んできました。
私たちは、その痛み、悲しみを少しでも理解できる者として、この聖書の記事をおぼえていきたいと思います。続きを読む