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2017.4.23「シーソーは終わった」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
私は今もう一つの教会の代務をしておりますが、先日そちらの物品整理をしていたときに、一本のビデオが出てきました。
現代ぷろだくしょん制作、長編アニメ映画『キムの十字架』(1990)。80分の大作です。ジャケットにもシワが入っています。
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しかし何気なく箱を裏返して、驚愕の事実を発見。
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声優界の重鎮たちがこれでもかというくらいに名を連ねております。山田監督の人脈恐るべし。
1990年というと、『ドラゴンボールZ』が一番輝いていた、ベジータ>>>フリーザ様の全盛期。
ナメック星での激闘の背後で、孫悟空とヤムチャがまさかこんな所で共演を果たしていたとは。
ちなみにピッコロ役の古川登志夫さんはご夫妻共にクリスチャン(カトリック)だそうです。うれしいですね。
週報はこちらです。
<追記>声優陣にある「三浦清志」はどうやら「三浦雅子」氏の誤植のようです。参考サイト:MovieWalker

聖書箇所 『ルカの福音書』24章13-35節 

1.
 13節、「ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった」。
「ちょうどこの日」とは、イエス・キリストがよみがえられたその日のことです。
ふたりの弟子は、そのうちのひとり、クレオパという名前しかわかっていません。
しかし「話し合ったり、論じ合ったり」という言葉から、彼らの話題が、結論の出ない堂々巡りのものであったことがわかります。
それは、イエスは本当によみがえったのかどうか、ということでした。彼らは、仲間の女たちの証言を信じようとしなかったのでしょうか。
じつはその時代のユダヤでは、現代社会では考えられないほどに、女性に対するすさまじい偏見がありました。
当時の格言には、「女たちに律法の教えを伝えるくらいならば、道に捨ててしまったほうがましだ」という言葉さえあるほどです。
 クレオパたちも、女性に対する偏見から完全に解放されていなかったのかもしれません。
イエス様がよみがえったという女性たち、しかもその中にはクレオパの妻が含まれていた可能性も、聖書の別の箇所から推測されます。
しかし女性たちの復活の証言は、男たちには喜びを与えませんでした。「暗い顔つきで立ち止まった」ということばにあるとおりです。
彼らは、主がよみがえったというすばらしい知らせを受け入れることができません。
死んだ者がよみがえるはずがない、あるいは女性たちの証言など信用できないという社会的常識にとらわれています。
彼らは確かにキリストの弟子です。信仰を持っていなかったわけではありません。
しかし信仰が、常識や偏見とのシーソーゲームを繰り返しているために、いつまでもどっちつかずの議論を繰り返していたのです。
 勝負のつかないシーソーゲームを終わらせるためには、こちら側にもう一人、できれば重くて強い人を座らせなければなりません。
そのために、イエス・キリストは彼らのそばに近づいてくださったのです。
もし私たちが、信仰をとるか、この世の基準をとるかで悩むとき、まず静まってイエス・キリストは今、どこにおられるだろうかと考えましょう。
もし私のそばにおられるのであれば、シーソーゲームではなくて、私たちは信仰の勝利をいただくはずです。
しかしそれが浮いたり沈んだりのシーソー状態になっているのは、こちら側の重みが足りないからです。
イエス様が私のそばにおられないのです。この弟子たちは復活を信じ切れないゆえに、イエスを呼び求めることはできませんでした。
だからイエス様のほうから近づいてくださいました。でも私たちは、イエス様を自ら呼び求めることができます。
今自分がシーソーの片方に座っていると思われるならば、「主イエスよ来てください」と、叫ぼうではありませんか。続きを読む
posted by 近 at 17:14 | Comment(0) | 2017年のメッセージ

2017.4.16「亜麻布から始まった奇跡」

 イースターおめでとうございます。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
当教会ではCSメッセージ(紙芝居)の担当が三週間に一回のペースで牧師にまわってきます。
今回はRon Kenolyの“Jesus is Alive”を延々と聞きながら色を塗りまくりました。
さて教案誌『成長』の原画担当者が変わりましたので、許可は一切受けていませんが、絵柄を比較してみました。

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今まではイエス様も弟子たちも町の人もみんなひげ面でしたので、ちょっと新鮮です。ヨハネ?のあごひげのアクセントがおしゃれです。
ただ今回の絵に関しては、「だれも手を触れた形跡がないのに、それに包まれていたイエスの死体がすっぽり抜けたままになっている
(村瀬俊夫「ヨハネの福音書」、『新聖書注解 新約1』、いのちのことば社、539頁)
という「亜麻布の奇跡」のディテールがもう少しはっきりと描いてあるとさらに良かったですね。これからに期待です。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』20章1-10節 

1.
 私は移動の際にはもっぱら車を使う人間ですが、先日たまたま、新潟駅から白新線に乗って豊栄駅まで帰ってくるということがありました。
会議などで上京することもあり、首都圏の電車に乗るのは慣れているのですが、白新線は久しぶりだったので戸惑いました。
まず出入口のドアが自動ではなくて力を入れて開け閉めしなければなりません。
それから、次は何駅に停まりますというアナウンスがちっちゃくて聞こえないこと。たぶん固定客ばかりなので、アナウンスもいらないのでしょう。
でもほとんど利用しない私のような人間には困ります。乗っている間、窓を見つめながら、いまどのあたりかということに注意して過ごしました。
するとあるところで不思議な光景に出会いました。
線路の目の前に広がる住宅地の中に、壁の色から建物の形に至るまで、まったく同じ形をした住宅が数軒、並んでいます。
その家のお父さんがほろ酔い気分で帰って来たときに、隣の家とまちがえたりしないだろうか、とくだらないことを思い浮かべました。
しかし今くだらないと言いましたが、イエス・キリストの復活を信じない人々の中には、おおまじめで同じことを主張する学者もいるのです。
イエスの弟子たちは、もともと隣にあった空っぽの墓をイエスの墓と間違えてしまったのだ。
まだ誰も収められていない墓に何もないのは当たり前なのに、早とちりして、イエスはよみがえったと言い広めたのだ、と。

 ゴスペル界の中尾彬、Ron Kenoly。どちらも大御所です
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posted by 近 at 21:46 | Comment(0) | 2017年のメッセージ

2017.4.9「十字架からの三つの言葉」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』19章23-30節 

1.
 私が洗礼を受けたのは高校三年生、1990年のクリスマス礼拝の時でした。その日、家に帰った私は、父親に向かってこう言ったそうです。
「お父さん、今日からぼくはお父さんの子どもではありません。生まれ変わって神様の子どもになりました」。
父親はよっぽど寂しい思いをしたのでしょう、毎年正月になると親戚の前でこの話を披露して、私が動揺するのを楽しんでいるようです。
私の記憶によれば、「今日からぼくは神様の子どもになったよ」とは確かに言いました。
しかしいくら何でも、「お父さんの子どもではありません」なんてひどいことは絶対に言っていないはずなのですが。
父親はともかく、親戚がキリスト教に悪い印象を持たないかどうか、心配しています。
 イエス・キリストが十字架の上から母マリヤにこう呼びかけたとき、彼女はどう思ったでしょうか。「女の方。そこに、あなたの息子がいます」。
これが、この地上で息子から母親に送った最後の言葉となりました。
目の前で、手足を太い釘で十字架に打ち付けられ、息も絶え絶えのわが子から「お母さん」と呼びかけられるのではなく、「女の方」と。
太平洋戦争で九死に一生を得たというあるお年寄りがこう語っていました。
戦地で死んでいく仲間たちが最後に口にしたのは「天皇陛下万歳」ではなくて「お母さん」というたったひと言の言葉だった、と。
「女の方」という呼びかけは、いま母の前で死の苦しみにもだえている息子の言葉にしては、あまりにもよそよそしすぎるように思えます。
しかし息子イエスが十字架に打ち付けられていたとき、母マリヤもまた自分の十字架を背負っていました。
マリヤは、聖霊によってイエス様をお腹に宿して以来、イエス・キリストがすべての人の罪を背負いながら歩んでいる姿を見つめ続けてきました。
そしてこの最後の十字架の時に至っても、イエス様の口から出て来たのは「お母さん」ではなく、「女の方」という遠い言葉でした。
しかしそれでも彼女はひと言も叫ぶことなく、ひたすら食い入るように十字架のわが子を見つめていたに違いありません。続きを読む
posted by 近 at 10:33 | Comment(0) | 2017年のメッセージ

2017.4.2「たとえピラトであっても」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
神学生の頃に通っていた教会の主任牧師であったキム先生は面白い方でした。
思いついたことはすぐに始めてしまう、韓国人の典型みたいな人でした。(悪口ではありませんよ)
ある週のこと。「今日は教会史から人物説教をします」と、アイルランドからヨーロッパ各地へ宣教した聖コルンバヌスについて語り始めました。
しかし40分過ぎてもコルンバヌス、なかなかアイルランドから出て行きません。
そろそろ会衆の集中力も限界に達したかと思われたその頃、「では、続きは来週」と、適用のかけらもないまま説教を閉じてしまいました。
私を含めて三人いた神学生はみな唖然。現在それぞれが同じ教団で牧会していますが、集まるたびにこの話が出てきます。
そして翌週、キム先生は何事もなかったかのように、講解説教に戻っていました。
あれから17年。「続きは来週」こそありませんが、長い聖書箇所を強引に区切って、説教が不鮮明になってしまうことはよくあります。
今回の説教も、人間的にはそんな反省しきりです。しかし神が欠けを満たしてくださることを信じて、次も語ります。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』18章28-40節 

1.
 「主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」。
ご存じ、『使徒信条』の一節です。
私たちを含めて、多くの教会の、毎週の礼拝で唱えられている『使徒信条』。
その中で、イエスの母マリヤとともに名前をあげて唱和されているのが、一番弟子ペテロでも、使徒パウロでもなく。
よりによって、このポンテオ・ピラトであることは皮肉と言えるかもしれません。
使徒信条でポンテオ・ピラトという名前が唱えられるのは、イエス様の誕生、受難、そしてよみがえりが、
決してクリスチャンが作ったおとぎ話ではなく、人類の歴史の中で確かに起こった出来事であることを示すためだと言われています。
ポンテオ・ピラトは、紀元26年から36年までの10年間、ユダヤ総督として実際に赴任していたことがわかっています。
この聖書箇所、ピラトがイエス様に対面した時期は、その10年間のちょうど真ん中くらいではなかったかと推測されます。

 イエス様を処刑しようとする大祭司カヤパは、夜中に不正な裁判を開き、偽の証言を使ってイエス様を死罪にあたるとしました。
しかしローマの属州であったユダヤでは、たとえ犯罪人といえども、処刑するためにはローマ総督の承認が必要でした。
できるだけ早くローマの裁判を受けさせて処刑するため、彼らは夜が明けきらぬうちに総督ピラトのところへとイエス様を連行しました。
ところが外に出て来たピラトが、「あなたがたはこの人のために何を告発するのか」とユダヤ人に尋ねても、彼らは正面から答えようとしません。
「もしこの人が悪いことをしていなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡しはしなかったでしょう」。
ピラトはこの言葉を聞き、ピンと来たはずです。これはただの内輪もめではなく、裏に何かが隠れている、と。
ちょうどその時は、過越の祭りの直前でした。過越の祭りは決してただの宗教行事ではありません。
ユダヤ国内だけでなく、世界中に散らされたユダヤ人数十万人がエルサレムに集まってきます。
このとき、普段はカイザリヤというローマ風の町に常駐しているローマ総督は、エルサレムの総督府に滞在します。
そしてエルサレムに派遣されているローマ兵の数も一時的に増員されます。
過越の祭は、ユダヤ人は神に選ばれた民で、ローマに従うことなどあり得ないという民族的不満が一気に爆発しかねない一週間でもありました。
その過越の祭の直前に、訳ありの犯罪人がわざわざ明け方に連れてこられる。それはピラトにもことの重大さを意識させたに違いありません。続きを読む
posted by 近 at 14:42 | Comment(0) | 2017年のメッセージ