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2017.4.30「ここから世界へ」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
この数年間、当教会では新会堂について祈り求めておりまして、私も時折インターネットで不動産情報をチェックしております。
すると教会から10キロほど離れた「月岡温泉」に廃業した温泉旅館を発見。なんと破格の980万円です。
「おすすめコメント」に「月岡温泉街の通り沿い」としか書いていないところに、なんともやる気のなさ哀愁を感じます。
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大広間で礼拝をささげた後は温泉にゆっくり浸かり、その後は各客室に分かれて分かち合い。ああ夢は広がります。
あるいは大浴場でメッセージとか。説教が終わるまで30分、語る方も聞く方も湯船から出られません。これは冗談です。
温泉が引けるかどうかはわかりませんが、とりあえず維持管理が大変ですね。しかし魅力的なのはこの価格。
クリスチャンの方は、セカンドハウスとしていかがでしょうか。その際はときどき当教会にも貸してください。週報はこちらです。

聖書箇所 『使徒の働き』1章3-14節 

1.
 もう10年以上前ですが、礼拝説教の奉仕である教会を訪問したときのことです。
礼拝が終わって、それぞれと挨拶を交わしていたとき、ある姉妹から、「先生に話を聞いてもらいたい」と言われたことがありました。
その教会は、その直前にある事情で教会が二つに割れ、そして新しい牧師が来てまたひとつになったという教会でした。
相談がありますと言ったひとは、一度教会を去り、そしてまた戻ってきた姉妹でした。彼女は言葉を選びながら、こう言いました。
「戻ってはきたものの、一度は教会を出たという事実は消えません。また元通りになるまでには時間がかかります。
今の教会に私の居場所はありません」。私が何と答えればよいか言葉を探していると、彼女はこう言いました。
「でも居場所なんかいりません。この教会にイエス様さえいてくだされば」。
 彼女は何を相談したかったのでしょうか。確かに彼女は苦しんでいました。でも悩んではいません。なぜなら答えをすでに持っていたからです。
あれは彼女の信仰告白だったのだ、と思います。そしてあんな力強い信仰告白は、それまでも、あれからも聞いたことがありません。
この教会に自分の居場所はいらない。ただ神がいてくだされば、私の居場所などいらない、と。

 今日の聖書をかみしめているなかで、このできごとがなぜか鮮明に思い出されてきました。
復活したイエス様は四十日後、天へと上られるとき、弟子たちに次のように命じられました。
エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」。
それはこのエルサレムで、やがて弟子たちに聖霊がくだるからでした。しかしすぐにイエス様はこう言います。
聖霊を受けるとき、あなたがたはエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」と。
確かにエルサレムにて聖霊はくだる。しかしその恵みはエルサレムにとどまらず、エルサレムを飛び出してユダヤとサマリヤ、地の果てにまで。
これが、私たちに与えられている信仰です。たしかに私たちは教会にその地名をつけます。
豊栄キリスト教会、新発田キリスト教会、村上福音キリスト教会、といった具合に。
しかし教会が名前に地名をつける目的は、その町の人たちが救われることだけではありません。地名は縄張りではなく、出発点です。
どんなに偶像にあふれた町であろうとも、そこに教会があるならば、福音はその町から出発し、地の果てにまで宣べ伝えられます。
教会は、私たちがそこに居心地の良さを感じながら閉じこもる、私の居場所ではありません。隠れ家ではなく、発射台です。
私たちは聖霊を受けて、救いをもたらす福音をここから地の果てにまで持っていきます。あの姉妹が、私に教えてくれたことです。続きを読む
posted by 近 at 14:55 | Comment(0) | 2017年のメッセージ