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2017.12.10「まことの恐れを抱いて」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
遅ればせながら、恒例のクリスマスチラシをアップします。比較的重いPDFファイル(2MB)なのでご注意ください。
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今年は地元に6千枚程度、新聞折込をします。たくさん来てくれたら良いですね。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』1章26-38節 

1.
 私の家には物心ついた時から仏壇や神棚がありました。それらにご飯を運んだり、水を取り替えたりすることは私の仕事でした。
毎年秋には近くの神社で祭りがありました。
長い階段を上りきると、大中小の社が三つあって、それぞれに五円、十円、五十円、お賽銭を入れることを決まりにしていました。
総額65円でも、こどもが入れるお賽銭としては十分だろうと、子供心に考えていました。神様もきっと喜んでいるはずです。
お盆には茄子で馬を作り、夕方には浴衣を着てお寺に行き、お墓に線香とお花を供えました。ご先祖様も喜んでいるはずです。
これが99%の日本人の姿でしょう。
仏壇、神棚はもとより、神社やお寺も、怖いとか恐ろしいとか思ったことは一度もありません。

 しかし高校に入り、生まれて初めてキリスト教会に行ったときに、ここは怖いと思いました。
教会の牧師先生や信徒の方たちに怖さを感じたのではありません。
教会が初めての私にも親切で、何もわからない私の隣に座り、聖書を開いてくれたり、ことばをかけてくれました。
怖いと思ったのは、人でも、教会の雰囲気でもありません。ことばにうまく説明することはできませんが、恐ろしさを感じました。
今振り返ってみると、その恐ろしさというものの正体は、目には見えないが確かに教会におられる神そのものに対してでした。
もちろん生まれて初めて教会に行って、そこに聖なるものがおわしますなんてことがわかるはずはありません。
しかし、私が今まで体験してきたもの、私が知っているものとはまったく異質な何かが教会にはいるということははっきりと感じました。

 マリヤに対して御使いは開口一番「おめでとう、恵まれた方」と告げた後、今度は「こわがることはない」と呼びかけます。
マリヤは何をこわがっていたのでしょうか。
「何のあいさつかと考え込んでいた」ということばからは、マリヤの恐れはあまり伝わってきません。
しかしマリヤにかぎらず、すべての人間は聖なる方に近づく、あるいは聖なる方のほうから近づかれるとき、恐れが起こります。
なぜなら、すべての人間は罪人だからです。罪のない、まったく聖なる方に対して、罪人は恐れを抱かずにはいられません。
罪とは聖なる方、つまりまことの神がわからなくなることです。だから人は本当に聖なるものに触れたとき、恐れを抱きます。
西行法師が伊勢神宮を訪れたとき、「どなたかがおはしますかは知らねどもただありがたさに涙流るる」と歌いました。
これが日本人の宗教観だと言われます。しかし本当に聖なるものに触れたとき、人はありがたさどころか恐れを抱くのです。
生まれつきまことの神についてまったく知らない、すべての人間は、本能的に近づくのを避けようとするからです。

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posted by 近 at 22:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2017年のメッセージ