こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
私は新潟生まれの新潟育ちですが、ネイティブの新潟人でさえちょっとした鬱状態に陥ってしまう、今月後半の天候です。
日光にあたることがこんなに大事なんだと、この歳になってようやくかみしめています。
ただ不思議なのが、生粋の関東人である妻が元気なこと。
水道管が凍結してトイレの水が流れないという非常事態の中でも、まるでバイブルキャンプのように柔軟に対応しています。
こっちが苦しいときは向こうが元気で、向こうが苦しいときはこっちが元気だったり。
夫婦は二人ではなくひとりとありますが、シーソーみたいなものですね。神様がバランスをとってくださっているのでしょう。
前半は圧倒的な暖冬だったこの天候も、神様のバランスなのかもしれません。週報はこちらです。
聖書箇所 『ヨハネの福音書』1章43-51節
1.
私は世間話が苦手です。世間話ができる人を尊敬します。だから、もっぱら教会の婦人たちのことを心から尊敬しています。
以前、まじめな気持ちで、古本屋で「世間話ができるようになる本」というのを立ち読みしたことがあります。
それによると、世間話としてとっかかりやすいのは、天気の話、テレビの話、旅行の話。テレビは見ませんし、旅行もしません。
いっぽう世間話に持ち出してはいけないのは、政治の話、宗教の話、死んだ人の話。牧師の得意分野です。
ナタナエルにイエス・キリストを紹介したピリポは、さぞ世間話が得意だったのではないかと思います。
なぜかというと、彼は十二弟子の中で屈指の人脈を持ち、子どもから外国人に至るまであらゆる人をイエス様のところに連れてきたからです。
ここでナタナエルとイエス様を結びつけた後、彼は五つのパンと二匹の魚を持っていた少年をイエス様に紹介しています。
さらにその後はイエス様と会いたがっていたギリシヤ人の一行をイエス様に紹介します。
こういう人が一人いるとたいへん助かります。初対面同士の集まりでも話題に詰まることがありません。
しかしピリポはただ話題が豊富だったわけではないでしょう。人々の心の中に潜んでいる求めに敏感な人だったのです。
その求めとは、自分の持っているもの、あるいは自分の人生そのものを尊いことに用いてほしいという願いです。
神のためにわずかなパンと魚を差し出そうとする少年の願いを知り、それをイエス様に伝えました。
そして、ナタナエルにイエス様を紹介したのも、単に知り合いだったから、ということではありません。
ナタナエルの心の中にある求めをピリポは知っていました。そしてイエス・キリストならばそれに答えてくださるという確信がありました。
だからこそ、「ナザレから何の良いものが出るだろうか」と一度は拒まれても、「来て、そして見なさい」と言うことができたのです。
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最近の記事
(04/20)2025.4.20主日第二礼拝のプレミア公開
(04/18)2025.4.13「主に死に変えられた者たち」(マルコ15:33-47)
(04/11)2025.4.6「十字架以外に救いはない」(マルコ15:16-32)
(04/05)2025.3.30「正しいと知りながら拒んだピラト」(マルコ15:1-15)
(03/28)2025.3.23「悔い改めという希望」(マルコ14:47-54,66-72)
(04/18)2025.4.13「主に死に変えられた者たち」(マルコ15:33-47)
(04/11)2025.4.6「十字架以外に救いはない」(マルコ15:16-32)
(04/05)2025.3.30「正しいと知りながら拒んだピラト」(マルコ15:1-15)
(03/28)2025.3.23「悔い改めという希望」(マルコ14:47-54,66-72)
2018.1.21「みことばだけが勝利の鍵」(マタイ4:1-11)
こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
当教会では毎週水曜夜に祈祷会を開催しておりますが、今晩は祈祷会を中止することにしました。
参加者のほぼ全員が車で通ってくることもあり、夜間の運転には危険が伴うことを考えての判断です。
今晩は牧師夫妻だけで祈祷会を行います。もしこれをご覧になった教会員の方は、ご自宅でお祈りください。
なお約束できませんが、久しぶりにネット中継できるかどうか試してみます。
映らなかったら、試したが頓挫したとご理解ください。今晩19:30〜21:00までこちらです。終了しました
それにしても、先週あれだけ大雪に苦しんだのに、「過去最強の寒波到来」って、先週のは一体何だったんでしょう。
週報はこちらです。
聖書箇所 『マタイの福音書』4章1-11節
今週は、カメラの電源を入れ忘れてしまっていたのでメッセージの録画はありません。ご容赦ください。
序.
市役所勤めをしていたとき、同じ係の先輩が「ああ定年が楽しみだわ」と言ったことがありました。
私が「なんで定年が楽しみなんですか」と聞くと、「だって役所に入ってずっと有給もとれない忙しい生活をしてきたじゃない。
定年になったら、友だちと色々な所を旅して、現地のンマイものをたくさん食べて、ああ楽しみだわ」。今にもよだれを垂らしそうな感じでした。
ところが、その方が定年されたしばらく後に聞きましたら、定年になってからしばらくは旅行も楽しかったけれど、すぐに飽きてしまった、と。
どの観光地に行っても、名物料理なんてだいたい同じだし、結局今は旅行もしないで、ボランティア活動に精を出している、ということでした。
よくある話ですが、これは心理学者マズローが提唱した「欲求の五段階説」に合致しています。
食欲ということに着目して説明すると、人間の欲求は、何でもいいから食べたい、というところから始まる。
それがある程度満たされると、今度はおいしいものを食べたい、となる。
それもある程度満たされると、今度は何を食べるかよりも、家族や友人と一緒にいたい、となる。
それもある程度満たされると、今度は社会に自分の存在を認めてもらいたい、となる。
それもある程度満たされると、今度は人に認めてもらうことよりも、自分にしかできないことをやり遂げたい、となる。

マズローがこれをピラミッド型に描いたのは、高次の欲求はより低次のものに対する不可逆性を有しているからです。
つまり、ひとたび上の段階の欲求を満たしたならば、それより下の欲求に対するモティベーションは持続しない、ということ。
彼女はすでに役所の生活の中で、すでに第四段階の「社会に自分の存在を認めてもらいたい」という欲求の充足をある程度味わっています。
それに対して、おいしいものを食べたいは第二段階、友だちと一緒にいたいは第三段階、と、欲求レベルが下に位置している。
一度上のレベルを味わってしまったら、下のレベルの欲求は、本人が期待するほどの満足は与えられない、となるのです。
だから第四段階の上、第五段階でしか彼女は満足を得られない。第五段階は、自分にしかできないことをやり遂げたい、です。
もしかしたら今頃は、陶芸や生け花といった趣味を見つけて、懸命に精進されているかもしれません。
1.
マズローの欲求の五段階説は1943年、今から75年も前に唱えられたものですが、今も心理学の世界ではよく紹介されます。
「欲求が満たされる」なんて絶対的なものではなくて個人差があるものです。
にもかかわらず、マズローの考えが決して古さを失わないのは、彼が人の心の中にある欲求を冷静に分析しているからです。
食べたい、眠りたい、といった原始的欲求に始まり、所有欲、支配欲。あるいは誰かといっしょにいたいというささやかな欲求。
人から認められたい、愛されたいという叫びに似た欲求、そして自分の本来の力を、あるべき場所で発揮したいという自己実現願望。
しかしマズローが20世紀半ばにようやく発見した、人の欲求の仕組みは、すでに二千年前に聖書は指摘しています。
いや、「聖書は」というよりは「悪魔は」と言うべきでしょうか。悪魔は、イエス様への誘惑を通して、
「俺はお前たち人間の持っている欲求を、誘惑に陥りやすい心を知り尽くしているんだぞ」と言っているかのようです。
現代の多くの人々は、聖書に出て来る悪魔など、当時の迷信が作り出した想像の産物として嘲り、悪魔の実在を否定します。
しかし悪魔は、人間だれしも空腹を満たすことから欲求の第一段階が始まるのだということを知っています。
腹が満たされれば、物がほしくなる。物をいくら手に入れても、誰かに認められなければむなしさを感じるということも知っている。
イエス・キリストが味わった誘惑は、じつに私たちが実際の生活の中で味わう誘惑そのものです。
食べること、手に入れること、支配すること、世に自分を認めさせること、だれかに特別に取り扱ってもらうこと。
もちろん、欲求すなわち罪ではありません。愛し、愛されることも欲求です。
しかし悪魔は、本来善きものである欲求さえも、悪しきものへと駆り立てるほどに、人の心を知り尽くしています。
愛したいという思いを支配欲へと変質させ、愛されたいという思いを依存心へと堕落させることも、悪魔にとってはたやすいことです。
悪魔に私たちはどのようにして抵抗すべきでしょうか。聖書はその原則をこう教えています。ただみことばのみ、と。
石をパンに変えてみよという誘惑に、イエス様はこう答えました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」。
ここから飛び降りよという誘惑には、「あなたの神である主を試みてはならない」と。
そして悪魔を拝めば、この世のすべてを与えるという誘惑に対しても、ただみことばだけを宣言し、悪魔を退かせました。
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当教会では毎週水曜夜に祈祷会を開催しておりますが、今晩は祈祷会を中止することにしました。
参加者のほぼ全員が車で通ってくることもあり、夜間の運転には危険が伴うことを考えての判断です。
今晩は牧師夫妻だけで祈祷会を行います。もしこれをご覧になった教会員の方は、ご自宅でお祈りください。
なお約束できませんが、久しぶりにネット中継できるかどうか試してみます。
映らなかったら、試したが頓挫したとご理解ください。
それにしても、先週あれだけ大雪に苦しんだのに、「過去最強の寒波到来」って、先週のは一体何だったんでしょう。
週報はこちらです。
聖書箇所 『マタイの福音書』4章1-11節
今週は、カメラの電源を入れ忘れてしまっていたのでメッセージの録画はありません。ご容赦ください。
序.
市役所勤めをしていたとき、同じ係の先輩が「ああ定年が楽しみだわ」と言ったことがありました。
私が「なんで定年が楽しみなんですか」と聞くと、「だって役所に入ってずっと有給もとれない忙しい生活をしてきたじゃない。
定年になったら、友だちと色々な所を旅して、現地のンマイものをたくさん食べて、ああ楽しみだわ」。今にもよだれを垂らしそうな感じでした。
ところが、その方が定年されたしばらく後に聞きましたら、定年になってからしばらくは旅行も楽しかったけれど、すぐに飽きてしまった、と。
どの観光地に行っても、名物料理なんてだいたい同じだし、結局今は旅行もしないで、ボランティア活動に精を出している、ということでした。
よくある話ですが、これは心理学者マズローが提唱した「欲求の五段階説」に合致しています。
食欲ということに着目して説明すると、人間の欲求は、何でもいいから食べたい、というところから始まる。
それがある程度満たされると、今度はおいしいものを食べたい、となる。
それもある程度満たされると、今度は何を食べるかよりも、家族や友人と一緒にいたい、となる。
それもある程度満たされると、今度は社会に自分の存在を認めてもらいたい、となる。
それもある程度満たされると、今度は人に認めてもらうことよりも、自分にしかできないことをやり遂げたい、となる。

マズローがこれをピラミッド型に描いたのは、高次の欲求はより低次のものに対する不可逆性を有しているからです。
つまり、ひとたび上の段階の欲求を満たしたならば、それより下の欲求に対するモティベーションは持続しない、ということ。
彼女はすでに役所の生活の中で、すでに第四段階の「社会に自分の存在を認めてもらいたい」という欲求の充足をある程度味わっています。
それに対して、おいしいものを食べたいは第二段階、友だちと一緒にいたいは第三段階、と、欲求レベルが下に位置している。
一度上のレベルを味わってしまったら、下のレベルの欲求は、本人が期待するほどの満足は与えられない、となるのです。
だから第四段階の上、第五段階でしか彼女は満足を得られない。第五段階は、自分にしかできないことをやり遂げたい、です。
もしかしたら今頃は、陶芸や生け花といった趣味を見つけて、懸命に精進されているかもしれません。
1.
マズローの欲求の五段階説は1943年、今から75年も前に唱えられたものですが、今も心理学の世界ではよく紹介されます。
「欲求が満たされる」なんて絶対的なものではなくて個人差があるものです。
にもかかわらず、マズローの考えが決して古さを失わないのは、彼が人の心の中にある欲求を冷静に分析しているからです。
食べたい、眠りたい、といった原始的欲求に始まり、所有欲、支配欲。あるいは誰かといっしょにいたいというささやかな欲求。
人から認められたい、愛されたいという叫びに似た欲求、そして自分の本来の力を、あるべき場所で発揮したいという自己実現願望。
しかしマズローが20世紀半ばにようやく発見した、人の欲求の仕組みは、すでに二千年前に聖書は指摘しています。
いや、「聖書は」というよりは「悪魔は」と言うべきでしょうか。悪魔は、イエス様への誘惑を通して、
「俺はお前たち人間の持っている欲求を、誘惑に陥りやすい心を知り尽くしているんだぞ」と言っているかのようです。
現代の多くの人々は、聖書に出て来る悪魔など、当時の迷信が作り出した想像の産物として嘲り、悪魔の実在を否定します。
しかし悪魔は、人間だれしも空腹を満たすことから欲求の第一段階が始まるのだということを知っています。
腹が満たされれば、物がほしくなる。物をいくら手に入れても、誰かに認められなければむなしさを感じるということも知っている。
イエス・キリストが味わった誘惑は、じつに私たちが実際の生活の中で味わう誘惑そのものです。
食べること、手に入れること、支配すること、世に自分を認めさせること、だれかに特別に取り扱ってもらうこと。
もちろん、欲求すなわち罪ではありません。愛し、愛されることも欲求です。
しかし悪魔は、本来善きものである欲求さえも、悪しきものへと駆り立てるほどに、人の心を知り尽くしています。
愛したいという思いを支配欲へと変質させ、愛されたいという思いを依存心へと堕落させることも、悪魔にとってはたやすいことです。
悪魔に私たちはどのようにして抵抗すべきでしょうか。聖書はその原則をこう教えています。ただみことばのみ、と。
石をパンに変えてみよという誘惑に、イエス様はこう答えました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」。
ここから飛び降りよという誘惑には、「あなたの神である主を試みてはならない」と。
そして悪魔を拝めば、この世のすべてを与えるという誘惑に対しても、ただみことばだけを宣言し、悪魔を退かせました。
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2018.1.14「悔い改めて荒野へ出よ」(マタイ3:1-6)
こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
この冬は初雪こそ例年より早かったもののすぐに溶けてしまい、あとはクリスマスもお正月もほとんど雪が積もりませんでした。
生まれた時から新潟に住んでいますが、こんな雪のない年は初めてだなあと思っていたら、まさかの大寒波。
ふだんは雪が降らない新潟市の中心部では除雪が追いつかず、こんな年は別の意味ではじめてです。
それでも主日礼拝にはいつもと同じようにみなさんが集まってきました。ある人は雪だるまみたいな格好で来られました。
そんな信仰の猛者たちに「悔い改めよ」。これが仕事とはいえ心苦しい限りです。因果な商売ですな。週報はこちらです。
聖書箇所 『マタイの福音書』3章1-6節
序.
昨年は、ルターの宗教改革からちょうど500年にあたり、世界中のキリスト教会で記念行事や講演会が行われました。
いわゆる宗教改革は、1517年にマルティン・ルターが、当時のカトリック教会による免罪符(贖宥状)の販売を告発したことに始まります。
免罪符は何かを語るためには、その前にカトリック教会で今日も採用されている、煉獄という教えを知らなければなりません。
それによると、たとえ人が救われても、死んですぐに天国に行けるわけではなく、天国の住民にふさわしく、完全にきよくされる必要があります。
そのために信者は死んだあと、天国でも地獄でもなく、煉獄という場所で、何百万年という長い長い時間を過ごします。
きよめの炎に焼かれながら、自分の罪を悔い改め、天国に入ることのできる救いを待つのです。
免罪符というのは、それを買うことによって、煉獄の期間が短縮されるというものでした。
マルティン・ルターは神学教授であり、カトリックの修道士でもありました。彼にとって、免罪符はとうてい受け入れることのできないものでした。
聖書は、私たちが救われるためには、罪を悔い改め、イエスを救い主と信じることを教えているのに、それを教会自身がカネで売りさばく。
ルターは教会が間違いを自覚して悔い改めることを願って、教会のトップ、ローマ教皇に向けて『95箇条の論題』という質問状を出しました。
ところがローマ教皇はルターを一方的に破門してしまいました。さらにルターはカトリックに属する王や諸侯から命も付け狙われます。
しかし逃亡中のルターのもとに協力者、支援者たちが続々と集まりました。やがてそこからプロテスタント教会が生まれるのです。
1.
このできごとから教えられることは、宗教改革とは「悔い改めを巡る戦い」であったということです。
「煉獄」というのは私たちプロテスタントから見たらおかしいかもしれません。
しかし軽々しい批判は避けなければなりません。カトリックの教理においては、それは徹底した悔い改めの場所なのです。
この地上では、人は救われても罪を犯し続ける。煉獄という場所で、徹底的に悔い改めてようやく人は天国に凱旋することができる、と。
もちろん私たちプロテスタントは、キリストの十字架は私たちの過去現在未来すべての罪のさばきを完全に贖ったと信じています。
しかしそう信じる者たちが十字架の恵みのうえにあぐらをかき、内実のない悔い改めに陥ってしまっていることはないでしょうか。
ルターの改革は、悔い改めを迂回してカネで救いを売り買いしようとする免罪符を批判したところから始まりました。
ところがローマ教皇をはじめ、当時の教会の指導者たちは、悔い改めるどころか、ルターの告発を握りつぶしてしまったのです。
カトリックであろうがプロテスタントであろうが、教会は常に「悔い改め」を忘れてはなりません。
教会をダメにするのは外からのサタンの攻撃ではなく、内からの現状維持の誘惑です。
そしていつの時代にも、教会の誕生、成長、そして変革はこの言葉から始まります。「悔い改めなさい、天の御国が近づいたから」。
これはバプテスマのヨハネの言葉ですが、やがて現れるイエス・キリストも、同じ言葉をもって宣教活動を始めました。
ルター、カルヴァン、内村鑑三、山室軍平、賀川豊彦、あらゆる神の人のメッセージもまた、決して変わりません。
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」。それは神は愛なりと共に、福音の本質を指している言葉です。
続きを読む
この冬は初雪こそ例年より早かったもののすぐに溶けてしまい、あとはクリスマスもお正月もほとんど雪が積もりませんでした。
生まれた時から新潟に住んでいますが、こんな雪のない年は初めてだなあと思っていたら、まさかの大寒波。
ふだんは雪が降らない新潟市の中心部では除雪が追いつかず、こんな年は別の意味ではじめてです。
それでも主日礼拝にはいつもと同じようにみなさんが集まってきました。ある人は雪だるまみたいな格好で来られました。
そんな信仰の猛者たちに「悔い改めよ」。これが仕事とはいえ心苦しい限りです。因果な商売ですな。週報はこちらです。
聖書箇所 『マタイの福音書』3章1-6節
序.
昨年は、ルターの宗教改革からちょうど500年にあたり、世界中のキリスト教会で記念行事や講演会が行われました。
いわゆる宗教改革は、1517年にマルティン・ルターが、当時のカトリック教会による免罪符(贖宥状)の販売を告発したことに始まります。
免罪符は何かを語るためには、その前にカトリック教会で今日も採用されている、煉獄という教えを知らなければなりません。
それによると、たとえ人が救われても、死んですぐに天国に行けるわけではなく、天国の住民にふさわしく、完全にきよくされる必要があります。
そのために信者は死んだあと、天国でも地獄でもなく、煉獄という場所で、何百万年という長い長い時間を過ごします。
きよめの炎に焼かれながら、自分の罪を悔い改め、天国に入ることのできる救いを待つのです。
免罪符というのは、それを買うことによって、煉獄の期間が短縮されるというものでした。
マルティン・ルターは神学教授であり、カトリックの修道士でもありました。彼にとって、免罪符はとうてい受け入れることのできないものでした。
聖書は、私たちが救われるためには、罪を悔い改め、イエスを救い主と信じることを教えているのに、それを教会自身がカネで売りさばく。
ルターは教会が間違いを自覚して悔い改めることを願って、教会のトップ、ローマ教皇に向けて『95箇条の論題』という質問状を出しました。
ところがローマ教皇はルターを一方的に破門してしまいました。さらにルターはカトリックに属する王や諸侯から命も付け狙われます。
しかし逃亡中のルターのもとに協力者、支援者たちが続々と集まりました。やがてそこからプロテスタント教会が生まれるのです。
1.
このできごとから教えられることは、宗教改革とは「悔い改めを巡る戦い」であったということです。
「煉獄」というのは私たちプロテスタントから見たらおかしいかもしれません。
しかし軽々しい批判は避けなければなりません。カトリックの教理においては、それは徹底した悔い改めの場所なのです。
この地上では、人は救われても罪を犯し続ける。煉獄という場所で、徹底的に悔い改めてようやく人は天国に凱旋することができる、と。
もちろん私たちプロテスタントは、キリストの十字架は私たちの過去現在未来すべての罪のさばきを完全に贖ったと信じています。
しかしそう信じる者たちが十字架の恵みのうえにあぐらをかき、内実のない悔い改めに陥ってしまっていることはないでしょうか。
ルターの改革は、悔い改めを迂回してカネで救いを売り買いしようとする免罪符を批判したところから始まりました。
ところがローマ教皇をはじめ、当時の教会の指導者たちは、悔い改めるどころか、ルターの告発を握りつぶしてしまったのです。
カトリックであろうがプロテスタントであろうが、教会は常に「悔い改め」を忘れてはなりません。
教会をダメにするのは外からのサタンの攻撃ではなく、内からの現状維持の誘惑です。
そしていつの時代にも、教会の誕生、成長、そして変革はこの言葉から始まります。「悔い改めなさい、天の御国が近づいたから」。
これはバプテスマのヨハネの言葉ですが、やがて現れるイエス・キリストも、同じ言葉をもって宣教活動を始めました。
ルター、カルヴァン、内村鑑三、山室軍平、賀川豊彦、あらゆる神の人のメッセージもまた、決して変わりません。
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」。それは神は愛なりと共に、福音の本質を指している言葉です。
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2018.1.7「従順がもたらした救い」(ルカ2:39-52)
こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
先日の礼拝では、当ブログをよくご覧くださっているという県外のご夫妻が出席してくださいました。
新来会者への挨拶に伺ったとき、うちの教会ではもろスベった説教と言われている「ボクはイサク」も三回見たと嬉しいお言葉。
礼拝前なのでポーカーフェイスを装いましたが、説教の間、心の中はちょっと高ぶってしまって大変でした。
振り返ってみると「豊栄の風」なんて、まず検索されそうもないタイトルをつけてしまったがゆえにアクセス数が激減した当ブログですが、
それでも毎週更新を待ってくださっている方もおられるかもしれませんね。いや、いるはずだ。いやいや、いてほしい。お願いします
ところで昨日、妻がこんな名ゼリフを放ちました。「片付けるまでが聖礼典」。
祝日だからとのんびりしてて聖餐式のカップを片付け忘れていたところはありませんか〜。スイマセン、うちの教会です。
週報はこちらです。
聖書箇所 『ルカの福音書』2章39-52節
序.
昔の記憶なので、あやふやなところもあるのですが、もう他の子どもたちがひらがなを書けるのに、私だけ書けないということがありました。
心配した母親が、小さな黒板を買ってきて、私の前で必死になって、チョークで「あ」とか「お」とか書いていました。
「書いていました」などと言うと、まるで他人事(ひとごと)のようですが、その頃の自分の感覚は、何というか、着ぐるみの中のような感じでした。
「あ」とかじつは読めるのです。読めるけれど、口から言葉として出てこない。
言語障がいというわけではなく、年相応の普通の会話はできます。
しかしひらがなが読めても、口から出てこない。書き方も知っているけれども、手が動かない。
着ぐるみの中から外をのぞいている、頭は働くけれどもひらがなを書こうとすると、口も手も動かない。そういう感覚です。
突然それが書けるようになったときの感覚は、幼いながらも昨日のことのように覚えています。
ある日、突然口と手が動くようになって、五十音一気に黒板に書きました。
しばらくの間、神童と呼ばれました。ような気がします。
1.
イエス様の幼少時代について、具体的なエピソードは、今日の箇所以外には聖書に載っておりません。
12歳になるまで、いったいどんなことがあったのか。30歳になって公生涯に乗り出すまでは、どうなのか。
思春期特有の悩みはなかったのか。反抗期は訪れなかったのか。
ひとつだけ確かなことは、イエス様は一生涯、神の子として罪を犯さなかったということです。
しかし罪は確かに犯されませんでしたが、いま私が振り返ったような、まるで自分が自分でないような感覚を知っておられたかもしれません。
というのは、イエス様は30歳になってはじめて神の啓示を受けて自分が救い主だと悟ったのではありません。
少なくてもこの12歳のときには、ご自分が神のひとり子であるという自覚を持っておられました。
しかし、ここが大事なところですが、イエス様はご自分にゆだねられた神の子としての力を、自分の目的のためには一切使わなかったのです。
今日の聖書箇所の中で、イエス様が教師−いわゆる律法学者のことです−教師たちに混じって、話を聞いたり質問したり、とあります。
それは、12歳とは思えないイエス様の知恵を示すものですが、しかし奇跡ではありません。
私は、まるで自分が着ぐるみの中に入っているような感覚、
(もちろん着ぐるみの中に入ったことがあるのは大人になってからですから、あくまでもそんな感覚ということですが)
自分の体が自分ではないような感覚を経験しました。それはもちろん自分で望んだわけではありません。
しかしイエス様はあえてご自分の持っている力を自ら封印し、30歳になるまでは一切力を使わなかったのです。
これが、ピリピ人への手紙2章11節で、イエス様の生涯について言われているみことば、
「神のあり方を棄てることができるとは考えないで、ご自分を無にして、十字架の死にまでも従われた」ということの意味です。
イエス様のなされた最初の奇跡は、宣教を開始した30歳の時に、カナという町での結婚式で水をぶどう酒に変えるというできごとでした。
ヨハネ福音書では、「このことを最初の奇跡として行われた」とはっきりと書いています。
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先日の礼拝では、当ブログをよくご覧くださっているという県外のご夫妻が出席してくださいました。
新来会者への挨拶に伺ったとき、うちの教会ではもろスベった説教と言われている「ボクはイサク」も三回見たと嬉しいお言葉。
礼拝前なのでポーカーフェイスを装いましたが、説教の間、心の中はちょっと高ぶってしまって大変でした。
振り返ってみると「豊栄の風」なんて、まず検索されそうもないタイトルをつけてしまったがゆえにアクセス数が激減した当ブログですが、
それでも毎週更新を待ってくださっている方もおられるかもしれませんね。いや、いるはずだ。いやいや、いてほしい。お願いします
ところで昨日、妻がこんな名ゼリフを放ちました。「片付けるまでが聖礼典」。
祝日だからとのんびりしてて聖餐式のカップを片付け忘れていたところはありませんか〜。スイマセン、うちの教会です。
週報はこちらです。
聖書箇所 『ルカの福音書』2章39-52節
序.
昔の記憶なので、あやふやなところもあるのですが、もう他の子どもたちがひらがなを書けるのに、私だけ書けないということがありました。
心配した母親が、小さな黒板を買ってきて、私の前で必死になって、チョークで「あ」とか「お」とか書いていました。
「書いていました」などと言うと、まるで他人事(ひとごと)のようですが、その頃の自分の感覚は、何というか、着ぐるみの中のような感じでした。
「あ」とかじつは読めるのです。読めるけれど、口から言葉として出てこない。
言語障がいというわけではなく、年相応の普通の会話はできます。
しかしひらがなが読めても、口から出てこない。書き方も知っているけれども、手が動かない。
着ぐるみの中から外をのぞいている、頭は働くけれどもひらがなを書こうとすると、口も手も動かない。そういう感覚です。
突然それが書けるようになったときの感覚は、幼いながらも昨日のことのように覚えています。
ある日、突然口と手が動くようになって、五十音一気に黒板に書きました。
しばらくの間、神童と呼ばれました。ような気がします。
1.
イエス様の幼少時代について、具体的なエピソードは、今日の箇所以外には聖書に載っておりません。
12歳になるまで、いったいどんなことがあったのか。30歳になって公生涯に乗り出すまでは、どうなのか。
思春期特有の悩みはなかったのか。反抗期は訪れなかったのか。
ひとつだけ確かなことは、イエス様は一生涯、神の子として罪を犯さなかったということです。
しかし罪は確かに犯されませんでしたが、いま私が振り返ったような、まるで自分が自分でないような感覚を知っておられたかもしれません。
というのは、イエス様は30歳になってはじめて神の啓示を受けて自分が救い主だと悟ったのではありません。
少なくてもこの12歳のときには、ご自分が神のひとり子であるという自覚を持っておられました。
しかし、ここが大事なところですが、イエス様はご自分にゆだねられた神の子としての力を、自分の目的のためには一切使わなかったのです。
今日の聖書箇所の中で、イエス様が教師−いわゆる律法学者のことです−教師たちに混じって、話を聞いたり質問したり、とあります。
それは、12歳とは思えないイエス様の知恵を示すものですが、しかし奇跡ではありません。
私は、まるで自分が着ぐるみの中に入っているような感覚、
(もちろん着ぐるみの中に入ったことがあるのは大人になってからですから、あくまでもそんな感覚ということですが)
自分の体が自分ではないような感覚を経験しました。それはもちろん自分で望んだわけではありません。
しかしイエス様はあえてご自分の持っている力を自ら封印し、30歳になるまでは一切力を使わなかったのです。
これが、ピリピ人への手紙2章11節で、イエス様の生涯について言われているみことば、
「神のあり方を棄てることができるとは考えないで、ご自分を無にして、十字架の死にまでも従われた」ということの意味です。
イエス様のなされた最初の奇跡は、宣教を開始した30歳の時に、カナという町での結婚式で水をぶどう酒に変えるというできごとでした。
ヨハネ福音書では、「このことを最初の奇跡として行われた」とはっきりと書いています。
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2017.12.31「宮から離れず」
あけましておめでとうございます。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今回の説教の中で、「シメオンやアンナの時代(イエス様の誕生直後)、
すでにエルサレム神殿は30年後にイエス様が宮きよめをする頃と同様の世俗的な様相を呈していた」といったことを述べています。
ヨセフォスによれば、ヘロデ大王が権威発揚のためにエルサレム神殿の大改築工事を始めたのはその治世の第18年(紀元前20年)。
ヘロデは紀元前4年に死去しますが、神殿の改築工事は継続されたようです。
「建てるのに四十六年かかりました」(ヨハネ2:20)との証言から、工事完成はだいたい紀元26年頃になります。
イエス様の誕生はヘロデの死去より前ですので、改築工事はまだ三分の一しか進んでいない頃でした。
しかしヨセフとマリヤの律法遵守が強調されている文脈から、逆にこの頃にはすでに神殿祭儀が世俗化していたことが推測されます。
(イエス様の誕生時点ではなく、ルカ福音書の執筆時点においての形骸化・世俗化という解釈もありますが)
聖書はそれ自体で救いを与える書ですが、このように当時の歴史状況を考察すると一層リアルに読み取れるという好例かもしれません。
週報はこちらです。
聖書箇所 『ルカの福音書』2章21-39節
序.
凱旋門と並んで芸術の都パリのシンボル、エッフェル塔。それが建てられたのは今から約130年前、日本では明治22年のことです。
パリで行われた万博の記念として建てられたものでしたが、その建設計画が公になったとき、大きな反対運動が起こりました。
その急先鋒の一人が、モーパッサンという有名な小説家でした。
彼はこんなグロテスクな鉄塔は美しいパリの町にはまったくふさわしくない、とあらゆる手を尽くして反対運動を繰り広げました。
ところがエッフェル塔が建つと、妙な噂が流れました。あれだけ建設計画に反対していたモーパッサンが毎日エッフェル塔に通っている、と。
そこで彼の友人が、モーパッサンにその噂は本当かいと尋ねました。「ウィ、本当だよ」。じゃあ君はエッフェル塔が好きになったのかい。
「ノン、ノン。大嫌いだよ。あんなものがパリのどこからでも見えるようになってしまって、毎日地獄だよ。
だから毎日ここに来るのさ。この塔の真下だけが、パリで唯一エッフェル塔を見なくてすむところだからね」。
1.
イスラエルの慰められることを待ち望みながら聖霊に示されて宮に入ったシメオン。
また同じくエルサレムの贖いを待ち望みつつ宮を離れなかった女預言者アンナ。
モーパッサンの例を出したのは、じつは彼らにとっても当時のエルサレム神殿は決して喜べる場所ではなかったからです。
えっと驚かれるかもしれません。みなさんは今日の聖書箇所から、「宮」つまり神殿に対して、どのような場所を想像されるでしょうか。
それは決して静かに神を求めることができる場所ではありません。いけにえの動物を売り買いする声で溢れた、騒がしい場所でした。
実際、この時は赤ん坊だったイエス様は、30年後、同じ神殿で動物たちが売り買いされている姿を見て怒り、商売人たちを追い出しました。
しかし30年のあいだに神殿がそうなってしまったわけではないのです。シメオンとアンナの時代に、すでに神殿の堕落は起こっていました。
神殿が堕落してしまったのは、当時イスラエルを支配していたヘロデ大王の政策によるものです。
彼はエルサレム神殿を豪華絢爛たるものとすることで自分の絶対的な権力を誇示しようと、大工事を行いました。
その工事が始まったのは、歴史の資料では紀元前20年、すなわちイエス様が生まれる十数年前ということになります。
このときすでに神殿はヘロデによってきらびやかな建物として変貌し、巡礼の目的は物見遊山に変わりつつありました。
しかし建物が豪華になればなるほど、真実な礼拝はそこから消えていきます。それは二千年前も、現代も変わらない事実です。
ヨセフとマリヤが律法に従っていけにえをささげたことが、今日の聖書箇所では事細かに繰り返し記録されています。
それは裏から返してみれば、それだけ当時、多くのユダヤ人たちが律法を守っていなかったことを示しているのです。
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今回の説教の中で、「シメオンやアンナの時代(イエス様の誕生直後)、
すでにエルサレム神殿は30年後にイエス様が宮きよめをする頃と同様の世俗的な様相を呈していた」といったことを述べています。
ヨセフォスによれば、ヘロデ大王が権威発揚のためにエルサレム神殿の大改築工事を始めたのはその治世の第18年(紀元前20年)。
ヘロデは紀元前4年に死去しますが、神殿の改築工事は継続されたようです。
「建てるのに四十六年かかりました」(ヨハネ2:20)との証言から、工事完成はだいたい紀元26年頃になります。
イエス様の誕生はヘロデの死去より前ですので、改築工事はまだ三分の一しか進んでいない頃でした。
しかしヨセフとマリヤの律法遵守が強調されている文脈から、逆にこの頃にはすでに神殿祭儀が世俗化していたことが推測されます。
(イエス様の誕生時点ではなく、ルカ福音書の執筆時点においての形骸化・世俗化という解釈もありますが)
聖書はそれ自体で救いを与える書ですが、このように当時の歴史状況を考察すると一層リアルに読み取れるという好例かもしれません。
週報はこちらです。
聖書箇所 『ルカの福音書』2章21-39節
序.
凱旋門と並んで芸術の都パリのシンボル、エッフェル塔。それが建てられたのは今から約130年前、日本では明治22年のことです。
パリで行われた万博の記念として建てられたものでしたが、その建設計画が公になったとき、大きな反対運動が起こりました。
その急先鋒の一人が、モーパッサンという有名な小説家でした。
彼はこんなグロテスクな鉄塔は美しいパリの町にはまったくふさわしくない、とあらゆる手を尽くして反対運動を繰り広げました。
ところがエッフェル塔が建つと、妙な噂が流れました。あれだけ建設計画に反対していたモーパッサンが毎日エッフェル塔に通っている、と。
そこで彼の友人が、モーパッサンにその噂は本当かいと尋ねました。「ウィ、本当だよ」。じゃあ君はエッフェル塔が好きになったのかい。
「ノン、ノン。大嫌いだよ。あんなものがパリのどこからでも見えるようになってしまって、毎日地獄だよ。
だから毎日ここに来るのさ。この塔の真下だけが、パリで唯一エッフェル塔を見なくてすむところだからね」。
1.
イスラエルの慰められることを待ち望みながら聖霊に示されて宮に入ったシメオン。
また同じくエルサレムの贖いを待ち望みつつ宮を離れなかった女預言者アンナ。
モーパッサンの例を出したのは、じつは彼らにとっても当時のエルサレム神殿は決して喜べる場所ではなかったからです。
えっと驚かれるかもしれません。みなさんは今日の聖書箇所から、「宮」つまり神殿に対して、どのような場所を想像されるでしょうか。
それは決して静かに神を求めることができる場所ではありません。いけにえの動物を売り買いする声で溢れた、騒がしい場所でした。
実際、この時は赤ん坊だったイエス様は、30年後、同じ神殿で動物たちが売り買いされている姿を見て怒り、商売人たちを追い出しました。
しかし30年のあいだに神殿がそうなってしまったわけではないのです。シメオンとアンナの時代に、すでに神殿の堕落は起こっていました。
神殿が堕落してしまったのは、当時イスラエルを支配していたヘロデ大王の政策によるものです。
彼はエルサレム神殿を豪華絢爛たるものとすることで自分の絶対的な権力を誇示しようと、大工事を行いました。
その工事が始まったのは、歴史の資料では紀元前20年、すなわちイエス様が生まれる十数年前ということになります。
このときすでに神殿はヘロデによってきらびやかな建物として変貌し、巡礼の目的は物見遊山に変わりつつありました。
しかし建物が豪華になればなるほど、真実な礼拝はそこから消えていきます。それは二千年前も、現代も変わらない事実です。
ヨセフとマリヤが律法に従っていけにえをささげたことが、今日の聖書箇所では事細かに繰り返し記録されています。
それは裏から返してみれば、それだけ当時、多くのユダヤ人たちが律法を守っていなかったことを示しているのです。
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