こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。
聖書箇所 『ヨブ記』1章1-12節
1.
自分が最も信頼していた友人が、誰かから自分の悪評、中傷を吹き込まれて、信頼関係を失ってしまう。
私が初めてそれを経験したのは、中学生の時でした。
夏休みが終わると、親友が私をあからさまに避けるようになっていたので、おかしいなと思いました。
別の友人からその理由を明かされるまで、私はなぜ親友の態度がここまで変わってしまったのか、見当もつきませんでした。
もう一度話しをして関係を修復できたらよかったのですが、
その前に私が病気にかかってそのまま転校してしまったので、誤解を受けたままです。
『ヨブ記』を読みながら、そんな30年以上前のことを思い出しました。
悪魔が天の会議で、神にヨブのことを吹き込んでいることは、読者は知っていますが、当のヨブにはいっさい知らされません。
この後、ヨブには次から次へと、筆舌に尽くしがたいほどの災厄が起こります。
そして友人たちは、ヨブに罪があるから、神がさばきとしてこのような目に会わせているのだ、悔い改めれば解決する、と諭します。
しかしヨブは決して悔い改めません。
なぜなら、ヨブにとって神とは、まさに永遠の親友、あるいは戦友ともいうべき存在だったからです。
もし私に罪があれば、友である神は、無言で罰を与えるのではなく、ことばによって教えてくださる。
それがこのヨブ記を貫く、信仰の神髄です。
ヨブは、不幸には必ず原因があるというこの世の原理と闘っていました。
この原理は、「因果応報」ということばでよく知られています。
正しいことを行えば幸福があり、悪いことを行えば不幸がある、という考え方です。
わかりやすいがゆえに、人々を納得させる力があります。
年端もいかぬ保育園児でさえ、転んでしまったときに「やーい、バチが当たったんだ」とはやし立てられます。
それほどまでに、この因果応報という原理は、人々の心を支配しています。
この後に登場するヨブの友人たちも、この因果応報の原理にとりつかれていました。
ヨブ、君は自分では気づいていないかも知れないけれども、罪を犯しているのだ。だからそれが何か思い出して、すぐに悔い改めなさい。
そうすれば、神はあなたのすべてをまた元に戻してくれるにちがいない、と。
しかしヨブはそのような原理を決して認めません。友人たちに向き合う代わりに、天に向かってこう叫びます。
神よ、あなたは決して私に隠しごとをなさらないお方です。もし私に罪があるのなら、どうかことばを与えてください。
彼はひたすらそれだけを求めます。
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