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2018.10.14「神のやり方に従う」(ヨシュア6:1-21)

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
来週日曜は、毎年恒例の教会バザーの日。普段はネコの子一匹寄りつかない教会もこの日だけは近所の人で大わらわ(オイ)
今回のチラシも貧乏教会の救世主、ラクスルさんにお願いしましたが、オンラインデザインなるものを初利用。
すでに用意されているテンプレートをちょこちょこ直していくというものです。
面倒くさいことはイヤだけどWORDで作ったような素人っぽいチラシはもっとイヤというどこぞの牧師先生には最適です。
修正前(左)と修正後(中央)を並べるとこんな感じになります。結局、リスと背景以外はほとんど変えていますが。
OnLineDesign-preview-001.jpg 2018bazaar1.jpg 2018bazaar2.jpg
また今回のチラシの裏面(右)は、ショートメッセージではなく、私(牧師)の救いの証しを入れました。
牧師プロフィールにある出来事を、少し詳しく書き直しました。
県内の方は、よろしければおいでください。県外の方は、来会者が礼拝に繋がりますようにお祈りください。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨシュア記』6章1-21節 


1.
 「下手の考え休むに似たり」ということわざがあります。
広辞苑によれば、「よい知恵もないのにいくら考えても、 時間がたつばかりで何の効果もない」という意味です。
私たちにとって、人生に起こるほとんどの問題は未経験なものばかりで、このことわざを本当に痛感することしきりです。
 ところでクリスチャンは、こんなことを経験したことはないでしょうか。
祈祷会で、役員会で、家庭集会で、一つの課題を分かちあい、何人かで心を合わせて祈る。
そのとき、その問題を神にゆだねて祈った。確かにそのように祈り、平安を得た。
しかしお祈りが終わって世間話のような時間のなかで、ふたたびあーだこーだと素人の考えでそれを繰り返してしまうということが。
一度神に祈ったものを再び人の考えの上で蒸し返し、祈りの時間と経験をだいなしにしてしまうということはないでしょうか。
 エリコの戦いは、そんな私たちに対して教えてくれます。
エリコの門を打ち破るという、極めて現実的な問題に対して、イスラエルは神のやり方に従うことで勝利しました。
神のやり方とは、ここでは六日間にわたって神の箱と祭司たちが町を回る、ということです。
そして私たちにとっては、自分の考えややり方であーだこーだではなく、神の御手に完全にゆだねるということです。
私たちは、しょっちゅう神にゆだねます。しかし完全にゆだねることはめったにありません。
一度ゆだねたはずのことを再び自分の手に取り返し、あーだこーだと蒸し返します。
そのような私たちのことを、ヤコブは手紙の中で「二心の人たち」と呼びました。
神にゆだねると言いながら、自分でナントカしようとすることも一応試みる。二心の私たちは、その繰り返しです。
しかし、ゆだねるということは、完全に自分の手から離すこと。それがエリコの戦いです。
みことば、信仰、祈り、この世の人が聞いたらぷっと吹き出されそうなものだとしても、私たちはただそこにだけ従います。
神の手段に徹する者にのみ、門を破るどころか、城壁そのものが崩れ去るという圧倒的勝利が与えられます。
あなたはいかがでしょうか。

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posted by 近 at 09:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2018年のメッセージ