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2019.2.17「救いは真剣勝負」(ルカ5:12-16)

 2月14日(木)、まつい葬祭会館(群馬県渋川市)にて、故・若月誠引退牧師の葬儀・告別式が行われました。
司式は西山勝美牧師(ベテスダホーム白井城代表)、メッセージは高田泰男牧師(シオンの里代表)でした。
JECAの岩井キリスト教会結城福音キリスト教会の信徒の方々(先生ご夫妻が豊栄教会の前に開拓)。
また地元、渋川カベナント教会(日本聖契キリスト教団)の木暮達也先生(若月先生ご夫妻が礼拝出席。気さくな先生でした)。
その他、交わりをいただいていた方々が最後までお付き合いくださり、感謝にたえません。
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式場入口に、たくさんの写真とお花が飾られていました。スライドショー形式でまとめておきます。


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開式30分前の撮影です。式には、上記4教会やシオンの里の方々など、20名くらいの方々が列席くださいました。
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火葬後、遺品の引き取りのために、ベテスダホーム白井城の居室へお邪魔しました。
入口には、2年前に亡くなられた奥様、千鶴先生のお名前もそのまま残っていました。
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調度品にこだわりが感じられる一方で、死に備えておられたのか、きちんと整頓されていました。
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「いろはにほへと」と毎日復唱しておられたのでしょうか。豊栄には、写真入りの額と置き時計を遺品として受け取りました。

高田先生、西山先生、木暮先生、また岩井キリスト教会と結城福音キリスト教会の信徒の皆様、
生前たびたび訪問くださり、帰りも私を新潟まで送ってくださった渡辺兄姉ご夫妻、
皆様の愛に支えられて、豊栄を辞された後の若月先生は、幸せな18年間を過ごすことができたと思います。
私も明日(2/24)の礼拝説教で、若月先生の思い出を少し語らせて頂くことにしております。
「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」(詩116:15)。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』5章12-16節 


1.
 今日の聖書箇所には、「ツァラアト」という言葉が出てきますが、一般にはなじみのない言葉でありましょう。
「ツァラアト」というのは、旧約聖書の言語であるヘブル語そのままの言葉です。かつては「らい病」と訳していました。
らい病、今はらい病という言い方はされず、ハンセン氏病と呼びますが、それは遺伝する病気ではないし、感染力も極めて弱いものです。
しかしハンセン氏病患者は、古来より一般社会から隔離されるという差別のなかに生きてきました。
聖書でいう「ツァラアト」は、らい病に似ていますが、家や革製品にもツァラアトという言葉が使われています。
ですから誤解を防ぐために、らい病という表現をやめて、ツァラアトという発音そのままの言葉とした、という経緯があります。
 ツァラアトがどのようなものであったのか、実態は正確にはわかりません。ただはっきりしているのは、
ツァラアトであると祭司から判断された者は、家族や社会から切り離されて、町や村の外で暮らさなければならなかったということです。
そればかりでなく、もっとひどい偏見も伴いました。この病気にかかったのはその人の罪のためであり、神からのろわれた者として見られたのです。
 12節前半をもう一度お読みします。「さて、イエスがある町におられたとき、全身ツァラアトの人がいた。」
まるでツァラアトの人がその町の中にもともと住んでいたか、何気なく入ってきたかのような印象を受けるかもしれません。
しかし彼らは、例外なく、町の外に追いやられ、人々の前に出ることも許されませんでした。
もし町に入ってきたら、石もて追い出されるか、石をぶつけられて大けがをしても決して文句は言えないのです。
 神のことばなのに、その背後には差別があったのか。それを論じることが今日の説教の目的ではありません。
今日、みなさんに問いたいのは、それでも必死に救いを求め、おそらく町の門でイエスに近づくチャンスをひたすら待っていた、彼の信仰です。
そこにあったのは、ただ信仰だけであり、それはこの言葉に集約されています。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます」。

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posted by 近 at 16:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.2.10「深みに漕ぎ出せ」(ルカ5:1-11)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
2月13日(水)午後0時49分頃、当教会の初代牧師(前任牧師)、若月 誠先生が召天されました。85歳でした。
葬儀は、以下の予定で執り行われます。私も、教会代表として列席させていただく予定です。
日時:2019年2月16日(土)午前10:00より
場所:まつい葬祭会館(〒377-0204 群馬県渋川市白井258 TEL 0279-22-1727)
司式者 西山勝美牧師(ベテスダホーム白井城代表)

報告は、次回の更新の際にさせていただきます。慰めのためにお祈りください。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』5章1-11節 


1.
 今日の説教題は、イエス・キリストが、漁師シモンに語られたことばからとっています。
「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」。しかし彼はまず何と答えたでしょうか。
彼は昨晩の失敗体験から学んだことを思い出して、ついこういう切り口から答えてしまうのです。
「先生。私たちは夜通し働きましたが、 何一つとれませんでした」。
プロの漁師である我々でさえ魚一匹取れなかったのです。どうして元大工であるあなたに漁がわかるのですか。
そんな思いが必ずあったはずです。人は神のことばの前に、まず自分の経験則を持ち出して、やんわりと拒絶します。
私たちを神のことばに逆らわせるのは何でしょうか。それは悪魔でも環境でもありません。私たちの生半可な経験です。
成功体験は、同じことを繰り返せばよいと人にささやきます。失敗体験は、二度と同じことを繰り返してはならないと勧めます。
しかし自分が経験してきたことに頼るならば、神がまったく新しいことをこれからなしてくださるという信仰を心から締め出してしまいます。
 今日、神はあなたに命じられます。「深みにこぎ出せ」。
その「深み」が何を指すのかは人によって違います。しかしそこは、すでにかき回したが、何の結果も生み出さなかったところ。
あなたは言います。「私の経験から言えば、主よ、それは無理です」。シモンの心も最初はそうでした。
しかし経験則を出して神にもの申した彼の人生を変えたのは、その次の言葉です。「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」。
これは信仰というよりは半信半疑の響きがあります。しかしたとえどうあれ、彼は網をおろしたのです。必要なのは行動です。
 あなたの人生の決断は、今まで自分の成功体験、失敗体験、あるいはそのどちらでもない経験の繰り返しで成り立っています。
こうすればうまくいくはず。そんなやり方はうまくいくはずがない。前例がない。聞いたことがない。
しかしシモンがイエス様のおことばどおり網をおろしたとき、奇跡的な大漁が起こりました。
うれしい悲鳴をあげそうなものですが、彼はそうではありませんでした。いっしょの船にいたイエス様の前に彼は突っ伏します。
そしておそらくイエスと目を合わせることもできずに、ただこう叫びました。
「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」。

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posted by 近 at 21:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.2.3「イエスのいちばん長い日」(ルカ4:31-44)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
『新改訳2017』は、それまでの新改訳シリーズから訳語を全面的に見直したということが売りになっています。
たとえば『つぶやく』は悪い意味では使われなくなっているので『不平を言う』に変えた、と説明されています。
しかし昨今のツイッターによる炎上騒ぎは「つぶやく」ことの恐ろしさを物語っているのではないでしょうか。
FBとインスタは一応アカウントだけは登録していますが、ツイッターは口をすべらせるのがこわくて、今なおできません。
日本だけでなく、アメリカでもすごいですね。他の国でも、あまり報道されないけれど、同じような感じなんでしょう。
 しかし炎上するのも、それだけ人に見られているからこそ。
記事数四百を越えているにもかかわらず、10年もの国債並みに何の動きもない当ブログからしたらうらやましいような気もします。
いつか、パリサイ人が歯ぎしりして押し寄せてくるくらいの説教をしたいものですね。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』4章31-44節 
メッセージの録画に失敗しました。今回はご容赦ください。


1.
 今から50年以上も前の映画ですが、「日本のいちばん長い日」という、映画がありました。(数年前にリメークされました)
どのような映画かといいますと、日中戦争および太平洋戦争の最後の24時間について描いた映画です。
昭和20年8月14日の正午、いわゆる御前会議にて、無条件降伏が決定してから、
翌日15日の正午に玉音放送が流されて国民にそれが伝えられるまでの24時間、それを日本のいちばん長い日と名づけたわけです。
 新約聖書の物語のなかで、「イエスの一番長い日」というタイトルで選ぶとしたら、言うまでもなく十字架をめぐる一日が挙げられるでしょう。
しかし今日の聖書箇所もまた、イエスさまの、安息日をめぐる24時間を息もつかせぬタッチで描いているということができます。
まず最初の31節では、「安息日ごとに」とありますので、イエス様はカペナウムを伝道の拠点として、会堂で語り続けていたことがわかります。
そしてある週の安息日の24時間のなかに起こる、四つの出来事が描かれていきます。
最初に、イエスがいつものように安息日で語っておられると、会堂に汚れた霊につかれた人がいて、わめきだし、イエスはその霊を追い出しました。
次に、イエスは立ち上がって会堂を出て、弟子のひとりシモン・ペテロの家に行き、ペテロのしゅうとめの熱をしかりつけて、彼女をいやしました。
三番目に、その日が暮れると、人びとが病人や悪霊につかれた人々をイエスのもとに連れてきます。イエスは彼らもみないやしました。
最後に、休む暇もない夜が明けて、朝になるとイエスはひとりで父なる神との祈りの時を持ちました。
人びとは自分たちから離れないでほしいと引き留めようとしましたが、イエスはそれを拒み、ユダヤの諸会堂をまわりながら福音を伝えました。
 じつはこれは一日のあいだに起きていることなのです。
そしてその中心にあるのは、かたちだけのものになっていた、安息日、すなわち礼拝に、いのちを再び吹き込んでいくイエス・キリストの姿です。
イエスの時代に遡る約1400年前、神はイスラエルの指導者モーセを通して、こう命じられました。
あなたがたは、一週間の最後の土曜日、安息日を聖別して、その日を礼拝のために用いる一日とせよ、
神であるわたしがこの天地を六日間でつくり最後の一日を休んだ、だからあなたがたもその一日を、神をおぼえる聖なる日とせよ、と。
しかしいつのまにか、安息日の礼拝は、ただのしきたりの遵守、儀礼的、義務的なものになってしまっていました。
安息日は、人がすべての仕事から手を離して、ひたすら神のみわざに感謝し、御名をほめたたえる日である、という精神から逸脱し、
安息日は仕事をしてはならない、歩いてもいけない、助けてもいけない、そのような無意味なしきたりに縛られる日となってしまったのです。

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posted by 近 at 23:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ