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2019.8.4「慰めの子らとして歩む」(使徒9:23-31)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
さる7月24日(水)にTCUチャペルで行われた故・吉持章先生の合同お別れ会の写真をアップします。
IMG_20190724_121934.jpg 式場入口の案内板です。
IMG_20190724_121759.jpg 在学中は、毎日この中庭を通ってチャペルと食堂を往復しました
IMG_20190724_121745.jpg 二十年のあいだに、根っこがブロックを押上げていました
IMG_20190724_121305.jpg 若かりし頃の吉持章・東京キリスト教学園元理事長。
IMG_20190724_121247.jpg 聖書の裏表紙に書かれた、子どもたちの言葉。
IMG_20190724_121334.jpg 週報の挿絵。上手です
IMG_20190724_121232.jpg 天国にて、安らかにお過ごしください

週報はこちらです。

聖書箇所 『使徒の働き』9章23-31節


1.
 私たち豊栄キリスト教会では、この聖餐式がある週の直前の水曜祈祷会を、ある時期からバルナバ祈祷会と名づけました。
その祈祷会では、とくに教会から離れてしまったクリスチャンが礼拝に復帰できるように、名前を挙げて祈ります。
なぜ聖餐式の前の週に行うかというと、聖餐式が、クリスチャンに対する、神様の尽きることのない恵みを象徴しているからです。
聖餐式では、司式者が必ず次のことばを宣言します。「愛する兄弟姉妹たち、救い主イエス・キリストを信じ、バプテスマを受け、
キリストのしもべとしてふさわしく生きることを願っている者は、すべてこの聖餐に招かれています」と。
すべてこの聖餐に招かれています。
たとえ昨日まで、いや、その日の朝、家を出る直前に夫婦げんかをしてきたようなクリスチャンにさえ、「すべて」招かれています、と。
あるクリスチャンが何十年と教会を離れていたとしても、陪餐停止や除名といった戒規執行中でない限り、その人は聖餐に与ることができます。
実際に四日前のバルナバ祈祷会で、教会に来ている人も来ていない人も合わせた、教会員の名前のリストを参加者で分け合いながら、
私たちは祈りました。次の聖餐礼拝に、どうかこの○○さんが出席することができるように。あなたの前に戻ってくることができるように、と。
この祈り会に対して、私たちは「バルナバ」という名前をつけています。そのバルナバは、まさに今日の箇所に出てくるバルナバその人です。

 今日の聖書箇所の冒頭には、まず迫害者から伝道者に変えられた、サウロの姿が出てきます。
彼は復活のキリストに出会ったことで、それまでの罪を悔い改め、キリストを宣べ伝えるようになりました。
その真実なことば、熱心なる生き様は、まさに昨日までの友であったユダヤ人たちから命を狙われるほどのものでした。
それでもサウロは信仰を捨てません。驚くべき方法でダマスコの町を脱出し、やがてエルサレム教会の門を叩きました。
しかしエルサレム教会のみながサウロを弟子とは信じずに、恐れたとあります。当然かもしれません。
ついこの間まで、このサウロという男はエルサレム教会を破壊し、次々と兄弟姉妹を捕まえては牢に投げ込んだり殺したりしていたのです。
しかし神は、ひとりの人をサウロのために用意してくださっていました。それがバルナバです。27節をお読みします。
「ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコに行く途中で主を見た様子や、
主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した」。

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posted by 近 at 16:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ