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2019.11.24「一番大事なものを神様に」(ヨハネ12:1-8)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
この世では、11月のこの時期は七五三のシーズン。神主さん(クリスチャンから見るとすごいネーミング)と呉服屋さんは大忙し。
盆と正月、そしてこの七五三の時期ばかりは、国民の8割が自分は無宗教であると回答している日本人も、やおら宗教的になります。
(ところが逆に何らかの宗教を持っているという人たちの数を合計すると2億人いるという摩訶不思議)

 私たちの教会では、毎月第四主日の礼拝は、ワーシップ形式で行っておりますが、今回は「子ども祝福式」をプログラムに取り入れました。
千歳飴ならぬ「えいえんのいのちあめ」(ドラえもんの道具みたい)でも贈りたいところですが、そういうのはありません。
ただいつもアダルトチックな礼拝説教を、この日だけは紙芝居を援用しつつ、完全に子ども向けにアレンジ。
「ナルドの香油」の箇所から、「一番大事なものを神様に」というタイトルで、メッセージさせていただきました。

 子どもたちに届いたかはさておき、親ごさんたちには好評だったよう。しかし一部の大人たちと当ブログの常連様には物足りず。
そこで早天礼拝では同じ聖書箇所から、いつものようにアダルト向けの説教を語り、教会員の方々にはその説教原稿を配布しました。
これで物足りなさを補完できたでしょうか。まあ原稿を配布しなくても、このブログを見れば全部載っているのですが。
8年間も続けているのに、教会員のほとんどに知られていないこのブログ。なんとか10年続けたいものです。応援してね。
 週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』12章1-8節



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posted by 近 at 22:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.11.17「キリスト者のアイデンティティー」(エペソ2:10)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。

 今回のメッセージは、新潟聖書学院の専任講師である、朴昌洙(パク・チャンス)先生が語ってくださいました。
先生のご厚意により、説教の録音と公開もOKということです。
週報はこちらです。

聖書箇所 『エペソ人への手紙』2章10節


posted by 近 at 23:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.11.10「遣わされた者として歩む」(ルカ10:1-16)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。

 また一人、著名な芸能人が薬物使用によって逮捕されました。そのために大河ドラマを撮り直すという方向へ向かっているそうです。ただ、確かに薬物所持も使用も大きな罪ですが、CDの出荷を止めたり、映像ソフトからその人の登場シーンだけを削除したり、あるいは撮影そのものを撮り直したりする必要はあるのだろうか、と思うのです。音楽にしろ、映像にしろ、それは決して一人で作れるものではありません。そしてその販売の利益によって生活の糧を得ている人もいます。芸能人だけでなく、小説家や漫画家、プロのスポーツ選手なども同様です。著作物、試合の結果、そういったものは決してその人だけの才能や努力で生み出されるものではありません。罪は罪として認めなければなりませんが、だからといって、その人が出演した作品などをそこに連座させて、処分する必要はないと思うのです。CDや従来の著作物が損害賠償に充当されたり、あるいは本人の意思により薬物更正施設や慈善団体への寄付などに用いたらよいのではないでしょうか。もちろん、このような考え方に納得することができない方々も多くいることは承知しております。

 では、牧師がもしこのような罪を犯した場合にはどうでしょうか。説教集や著作物がある牧師だったら、出版差し止めになるかもしれません。しかし牧師に関して言えば、それまでに語られた説教は、彼を通して神が語られたものですから、たとえばその牧師から受洗したり、指導を受けていたりしても、すべてを否定する必要はありません。しかしそのような罪を犯した牧師がいる場合、それまでの数年間の説教や牧会の方向性を見れば、少しおかしいということをまわりの人々が気づくことも多いようです。
 もし牧師が本当に、そのような公の罪を犯したならば、即刻、牧師という職を辞するべきでしょう。今も、日本を含めて世界じゅうで、セクハラや刑事告発を受けながらまだ講壇に立っている人々もいます。しかしそれまでに語られた説教は神のことばとして受け入れることはできても、罪が明らかになりその償いを必要としている者を、それ以上神が用いられることはないと考えます。たとえこの地上では、その犯した罪にかかわらず追従者がある程度存在し、彼(彼女)を引き留めたとしても、やがて神の御前に立ったとき、犯した罪の大きさを主イエスご自身から指摘されることになるのでしょう。
 私も献身者として歩み始めてから約20年、一度だけスピード違反で捕まったことがありました。白バイ警官に牧師だと答えたら「ボクシのボクってどう書くの」と調書作成のときに言われました。「葬儀で急いでいたもので」という言い訳は通用しません。しかしそれ以外にも、牧会の中で傷つけてしまった人々をおぼえます。もう謝ることもできない、遠くへ行ってしまった人たちもいますが、まだ間にあう人々に対しても、謝罪できず、逃げていることもあります。ふがいない自分を見つめつつ、やがて神の前に立ったとき、ただすがることのできるのは、さばき主であると同時に私の代理人であり弁護者であるキリストだけだということを改めて思わされます。

 週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』10章1-16節


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posted by 近 at 21:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.11.3「弟子の覚悟」(ルカ9:57-62)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』9章57-62節



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posted by 近 at 20:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.10.27「たとえ受け入れなくても」(ルカ9:51-56)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
ごめん。ブログのことをすっかり忘れていました。数えたら12日ぶりの更新ですね。
しかも礼拝メッセージも一週間ずれていますが、近いうちに更新します。
ちなみに十日以上過ぎていますが、10/27は私の誕生日です。はっぴば〜すでぇ、お〜れ〜。むなしい。
 忙しすぎて、誕生日アピールも忘れていました。教会員は少ないのになんでこんなに忙しいんだろ。
頼まれると断れない性格だからかな。いや、地方の小さな教会にとっての宣教、それはすなわち人脈作り。
18年間牧会している中で、ナントカ委員という肩書きが山ほどできてしまって、クビが回りません。
 しかしブログは続けますよ!更新は忘れてたけど。7年間でコメント25件だって、めげません。
ええ、めげませんとも。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』9章51-56節



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posted by 近 at 10:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ