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2020.6.21主日礼拝説教「貪欲に気をつけよ」(ルカ12:13-21)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 現在、当教会では主日礼拝が一日3回、さらに水曜午前に礼拝形式そのままの事前録画を行っていますので、同じ説教を4回語ります。
同じ説教と言っても、原稿はあってもアドリブ聖霊様のお導きで、語るたびに内容が変わっていきます。
今回の原稿の中に入っている「引っ越し大名(松平直矩公)」ですが、そんなわけで、以下の録画には出てきません。
語らなかった理由は、そこに向かう前に時間と体力が尽きた聖霊様のお導きですが、せっかくなので画像を挙げておきます。

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 以下はウィキペディアからの引用。
 当時越前国大野藩主であった松平直基の長男として誕生。直基は出羽国山形藩、さらに播磨国姫路藩に国替を命じられるが、姫路の封地に赴く途上で死去した。直矩は慶安元年(1648年)8月17日、5歳で家督を相続したが、姫路は幕府にとって西国の抑えとなる要地であったため、幼少の直矩には不適当と判断され、翌慶安2年(1649年)6月9日に越後国村上藩に国替となる。成人後の寛文7年(1667年)8月19日、転封により姫路に復帰した。
 親族の越後高田藩(藩主松平光長とは従兄弟の関係)の御家騒動(越後騒動)に際し、出雲国広瀬藩主・松平近栄と共に一族を代表して騒動の調整を行うが、両名共に不手際を指摘され、直矩は領地を半分以下の7万石に減らされ、閉門の上で天和2年(1682年)2月7日に豊後国日田藩に国替を命じられた。
 4年後の貞享3年(1686年)7月、3万石加増の上で出羽山形藩、さらに6年後の元禄5年(1692年)7月27日には5万石加増の上で陸奥国白河藩へ移され、格式の上では従前の15万石に復帰したが、生涯で幾度も国替を重ねた結果、家中は多大な借財を負うことになり、「引越し大名」なるあだ名をつけられた。元禄8年(1695年)死去、享年54。
 相当の苦労人だったようで、新潟とも縁の深いお殿様です。地元の村上では、知名度はいまいちのようですが。
この小説(映画)ももう少し村上時代に触れていただけると、地域おこしになったのですが、残念です。
いっそのこと、転々とした自治体の首長同士で協力して「引っ越し大名を大河ドラマにする会」とか立ち上げたらよいかもしれません。

 それはさておき、牧師の場合も、頻繁に異動するよりも、一つの所に長くいたほうが好まれる傾向があるようです。
ただややもするとキリスト教会ならぬ「○○先生の教会」になってしまうこともあり、短い・長いのどちらがよいとは一概には言えません。
いずれにしても、数の要素を自己評価に含めてはならない職業です。それはまさに貪欲への誘惑となります。
授洗した数、礼拝出席者数、教会予算の規模、牧師以外の名誉職の個数、そして何よりも在職年数。
ブログのアクセス数も気にしてはいけませんし、8年継続してコメントはたった28かよ、とかにこだわるのもダメです。
ええ、全然気にしてませんとも。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』12章13-21節



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posted by 近 at 19:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2020.6.14主日礼拝説教「人を恐れず、神を恐れよ」(ルカ12:1-12)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』12章1-12節



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posted by 近 at 16:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2020.6.7主日礼拝説教「日曜日は別腹」(ルカ11:37-54)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 今回の礼拝説教は、終盤にて原稿にはない、ヘンリー・H・ハーレイ『新聖書ハンドブック』の中の言葉を読み上げています。
 多くのキリスト者にとって、教会は霊的な燃料の補給所になってしまっている。
一週間で燃料を使い果たし、平日にはやらなかったことを埋め合わせるようにして行う。
神のことばを読み、思い巡らすことは、本来なら平日に時間をとってやっておかなければならないのである。
 聖書を読む習慣をないがしろにすると、霊的に枯渇した状態で教会に行くことになる。
教会をからっぽになったたましいを満たす手段と考えるなら、それは失望に終わる。
神のことばを無視することによって生じた霊的な枯渇が、教会に一時間や二時間いただけで癒されるはずがないからである。
 教会へは十分な備えをして行くこと。聖書をしっかり読んでおくこと。
そうすれば祝福を受けることができ、キリストがあがめられることになるのである。
(p.21『礼拝の行為として教会に通う』より)
 いま多くの教会で、さまざまな問題が起こっています。いな、隠れていたものが表れるようになった、ということかもしれません。
それは自戒も含めつつ、牧師の牧会力(=人間力)の衰退であると同時に、聖書(を読むこと)の軽視にも大きな原因があります。
2011年の震災復興活動、2012年からの子ども食堂の流行以降、多くの教会が地域奉仕活動に積極的になりました。
しかしその一方で、そういった活動に対するモチベーションが信仰のバロメーターのように誤解され、
信徒ひとり一人が聖書や説教によって育まれているとは言えない状況が生まれています。
 とくに福音派の教会でそれが顕著です。
かつて福音派は、日本基督教団をはじめとする主流派をリベラルと揶揄し、批判していました。
それらの教派教団では、すでに半世紀前に福音と社会的責任の関係について、まさに教団の存続をかけて戦われていました。
しかし当時の福音派はそれを証しにならないと言って冷笑していました。

 いま福音派ではかつての教会成長の勢いが停滞し、聖書回帰よりも地域や行政に喜ばれる活動に軸足が置かれています。
教会がなし得るどのような活動も、みことばに対して信仰をもって応答した結果であるはずです。
しかし多くの社会活動が聖書から吟味されずに、一方的に導入されている傾向を確かに感じます。
ただそれを声高に言えば「愛がない」と言われ、よきサマリヤ人のたとえを引き合いに批判される空気が漂っています。
そのほうが、日本の教会の中で強くなってきて怖いなあと感じる部分です。
 その意味では、このハーレイや、フォーサイスのように、今から百年以上のものでありながら、
まるで今日の霊的窒息への預言のような良書が、教派問わず、もっと読まれるべきでしょう。
とくにこのハーレイの書籍は、100年以上温められ続けている本であり、非常にわかりやすいものです。
興味のある方はどうぞご購入ください。ことば社の本にしては比較的高価ですが、一生使えます。週報はこちらです。


聖書箇所 『ルカの福音書』11章37-54節



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posted by 近 at 22:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2020.5.31主日礼拝説教「神が定めた恵みの日」(使徒2:1-11)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 6月に入り、多くの教会が少しずつ活動を再開しているようです。
当教会でも、いわゆる三密状態にならないように、会堂の椅子を含めて調度品のレイアウトなどを見直しております。
そんななか、キリスト教用品の通販業者「CBD」からセルフ聖餐セットのダイレクトメールが届きました。
97444_5_adv.jpg形が似ていますが、褐色の恋人「スジャータ」ではありません。紫色だから間違えることはありませんが。
97444_7_adv.jpgまず上の薄いビニールを剥がすとウェハースが入っています。これがパンですね。もちろん食べるためのものです。
97444_8_adv.jpgその後、プラスチックのフタを剥がしてぶどう液をダイレクトにいただきます。
ただウェハースをそのまま置いているこの写真は衛生的に無意味ではないかとツッコミたくなります。

当教会でも、聖餐式が当分再開できる見通しはありません。
牧師または役員が準備しているのですが、平熱や無症状であっても感染している場合もあるからです。
この聖餐セットだと、本人しか触れることはありませんので安心ですが、届くまで一ヶ月かかりますし、送料が商品価格の3割くらいかかります。
500個セットで75ドル×1.3=単価25円くらいでしょうか。消費期限は一年くらいのようです。
御教会でも検討してみたらいかがでしょうか。週報はこちらです。

聖書箇所 『使徒の働き』2章1-11節



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posted by 近 at 21:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ