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2020.6.7主日礼拝説教「日曜日は別腹」(ルカ11:37-54)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 今回の礼拝説教は、終盤にて原稿にはない、ヘンリー・H・ハーレイ『新聖書ハンドブック』の中の言葉を読み上げています。
 多くのキリスト者にとって、教会は霊的な燃料の補給所になってしまっている。
一週間で燃料を使い果たし、平日にはやらなかったことを埋め合わせるようにして行う。
神のことばを読み、思い巡らすことは、本来なら平日に時間をとってやっておかなければならないのである。
 聖書を読む習慣をないがしろにすると、霊的に枯渇した状態で教会に行くことになる。
教会をからっぽになったたましいを満たす手段と考えるなら、それは失望に終わる。
神のことばを無視することによって生じた霊的な枯渇が、教会に一時間や二時間いただけで癒されるはずがないからである。
 教会へは十分な備えをして行くこと。聖書をしっかり読んでおくこと。
そうすれば祝福を受けることができ、キリストがあがめられることになるのである。
(p.21『礼拝の行為として教会に通う』より)
 いま多くの教会で、さまざまな問題が起こっています。いな、隠れていたものが表れるようになった、ということかもしれません。
それは自戒も含めつつ、牧師の牧会力(=人間力)の衰退であると同時に、聖書(を読むこと)の軽視にも大きな原因があります。
2011年の震災復興活動、2012年からの子ども食堂の流行以降、多くの教会が地域奉仕活動に積極的になりました。
しかしその一方で、そういった活動に対するモチベーションが信仰のバロメーターのように誤解され、
信徒ひとり一人が聖書や説教によって育まれているとは言えない状況が生まれています。
 とくに福音派の教会でそれが顕著です。
かつて福音派は、日本基督教団をはじめとする主流派をリベラルと揶揄し、批判していました。
それらの教派教団では、すでに半世紀前に福音と社会的責任の関係について、まさに教団の存続をかけて戦われていました。
しかし当時の福音派はそれを証しにならないと言って冷笑していました。

 いま福音派ではかつての教会成長の勢いが停滞し、聖書回帰よりも地域や行政に喜ばれる活動に軸足が置かれています。
教会がなし得るどのような活動も、みことばに対して信仰をもって応答した結果であるはずです。
しかし多くの社会活動が聖書から吟味されずに、一方的に導入されている傾向を確かに感じます。
ただそれを声高に言えば「愛がない」と言われ、よきサマリヤ人のたとえを引き合いに批判される空気が漂っています。
そのほうが、日本の教会の中で強くなってきて怖いなあと感じる部分です。
 その意味では、このハーレイや、フォーサイスのように、今から百年以上のものでありながら、
まるで今日の霊的窒息への預言のような良書が、教派問わず、もっと読まれるべきでしょう。
とくにこのハーレイの書籍は、100年以上温められ続けている本であり、非常にわかりやすいものです。
興味のある方はどうぞご購入ください。ことば社の本にしては比較的高価ですが、一生使えます。週報はこちらです。


聖書箇所 『ルカの福音書』11章37-54節



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posted by 近 at 22:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ