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2020.7.5主日礼拝説教「何はともあれ求めるものは」(ルカ12:22-34)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 今回、説教原稿には含んでいませんが、第二礼拝の説教(アップロードしているもの)でだけ話したことがありました。
戦後の日本の、福音宣教が「25年周期」で区切られるのではないか、という私の分析です。(20:10〜)
1.欧米の宣教師による揺籃期(1945〜1970)
2.日本人牧師による成長期(1970〜1995)
3.オウム真理教の影響から、信徒伝道に対する啓発期(1995〜2020)
4.家庭伝道に対する再認識(2020〜)
 なんといっても一番のターニングポイントは、「地下鉄サリン事件」(1995年3月)です。
ひとつの宗教結社がこれを計画・実行したということが判明するにつれて、世間が震撼したのは、
毒ガスによる無差別テロということだけでなく、その宗教の中核が、大学や企業のエリートであったということです。
オウム事件の結果、それまで比較的、宗教に寛容であった日本人の中に、宗教に対する忌避と恐怖感を作り出しました。
 ざっくりとした俯瞰ですが、それからの四半世紀、教会はそれまでの伝道姿勢を顧みながら「信徒による伝道」を改めて目指してきました。
その中で、今回の新型コロナウイルスの世界的流行が起こりました。
会堂での集会が自粛され、家庭でのオンライン礼拝が定着し始めています。
この新型ウイルスは、確かに社会にとっても大きな脅威です。しかしそれだけで終わるものでもないと考えています。

 信徒伝道を目指してきたとはいえ、「礼拝に出席していればよい」という教会依存はいまなお健在です。
しかし礼拝を通して神が求めておられるのは、出席しているという事実ではなく、ひとり一人の心です。
求道者に対しても関心を持たず、まるで指定席のようにいつも決まった場所に座り、おざなりに一時間を過ごすなら、何のための礼拝か。
礼拝の自粛は、不幸な出来事であると同時に、「霊とまことによる礼拝」とは何かを問いかけています。
これからの25年はどうなるか、と大上段に構えて論じられるほど勉強していませんが、
教会でも家庭でも表裏がないクリスチャンの姿が、これからの宣教の鍵になるのだろうと漠然と考えています。
「25年周期」の最初の二つについては、次回以降に改めて書きたいと思います。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』12章22-34節



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posted by 近 at 22:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ