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2020.8.23主日礼拝説教「救われてからわかること」(ルカ13:18-21)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。
 
 昨日(8/28)、安倍首相が辞意を表明しました。
持病の悪化のためということですが、首相在任最長記録を達成したことでモティベーションも落ちてしまったのかもしれません。
ちょうどその数日前に、以下のような記事を興味深く読ませていただいたところでした。
安倍首相がもう一人の祖父「安倍寛」のことを口にしない理由(外部サイト)

 安倍首相が母方の祖父である岸信介を政治的・人間的両面において師と仰いでいたことは有名ですが、
父方の祖父である「安倍寛」については沈黙するのはなぜか   この名前を私も初めて知りました。
安倍首相の父であり、将来の首相として嘱望されていたが早逝した、故・安倍晋太郎は
「自分は岸信介の娘婿である前に、安倍寛の息子だ」と父を誇りにしていたそうです。
晋太郎はかつて息子に「お前は政治家として最も必要な“情”が足りない」と言ったそうですが、真偽は定かではありません。
しかし政治家の家系には、外からは見えない、さまざまな痛みや軋轢があるのだろうと思います。

 世襲政治家の典型のような安倍首相ですが、牧師の世界でも「世襲」と言えるような状況は起こります。
貧しくても教会に献身的に仕える両親の姿を見て牧師になるのであれば世襲ではなく本物ですが、
「でもしか牧師」(牧師でもやるか・牧師しかできない)のような人々もいないわけではありません。
どんなに経験のない牧師でも、教会に赴任すれば、その規模に関係なく、一国一城の主です。
新卒がいきなり支店長クラスで迎えられるようなものですから、高ぶってしまう誘惑が満ちています。
「献身者も少なくなった・・・簡単に辞めてほしくない・・・代わりがいなければ無牧になってしまう」
そんな恐れが甘えになり、民間企業では考えられないほどの愚行さえも許されてしまうようになれば、
そこはもはやみことばを語る教会とはたり得ず、むしろみことばを騙るものとなってしまうことでしょう。

 それを避けるために説教者が自らに打ち込むべき楔は、人の喜ぶ言葉ではなく神の喜ぶ言葉を語るということです。
自分の説教が、みことばを語っているのか、それともみことばを騙っているのか、自分には見えなくなることもあります。
だから批判されるのは覚悟のうえで、私は説教の音声だけではなく原稿も公開しています。批判は力であり、宝です。
私の恩師は「非難は人を殺すが、批判は人を生かす」と教えてくれました。安倍首相は「批判は宝」として受け止めていたでしょうか?
週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』13章18-21節


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posted by 近 at 15:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2020.8.16主日礼拝説教「束縛からの解放」(ルカ13:10-17)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 世に教会は数あれど、週報の表紙が毎回変わるという、ウチみたいなところは少ないでしょう。
最近では、礼拝当日が何の記念日にあたるかを調べて、トリビア的なコメントを加えるようなことをよくやっています。
今週(8/16)の表紙は、その日が「女子大生の日」であるということで、ナデシコの画像を用いて控えめにこんな説明をしていました。
2020.8.16_page-0002.jpg 
撫子(大和撫子)は秋の七草の一つ。7〜10月にかけて薄紅色の花を幾何学模様(正五角形)につける。美しさと聡明さを兼ね備えた日本女性の象徴とされるようになった。今から107年前の1913(大正2)年8月16日、東北帝国大学に三名の女性が入学。日本最初の女子大生と言われる。そのうちの一人、黒田チカは日本初の女性理学博士となった。
そしたらなんということでしょう。つい昨日(8/21)のニュースにこんなものが出てきてビックリ。
「女子大生の日」 ホントはきょうなのに・・・ 日付誤認の理由は?
 インターネットで検索すると、「8月16日は女子大生の日」と紹介するサイトが複数ヒットする。1913(大正2)年のこの日、東北帝国大が女性3人の合格を発表した、との記述がある。
 東北大に確認すると、16日は東京朝日新聞が「女性3人が入学を許可され、16日の官報で発表される」との記事を掲載した日だという。ところが実際の官報に掲載されたのは8月21日だった。
 東北大の大隅典子副学長は、8月16日という誤った日付が記事やインターネットで話題になることが気になっていたという。そこで東北大はことし6月、日本記念日協会(長野県佐久市)に8月21日を「女子大生の日」として申請し、7月に登録された。
 しかし、東北大の動きは世間にあまりに認知されなかったようだ。行政文書を管理、保存する国立公文書館は8月16日、「今日は女子大生の日」と誤った情報を会員制交流サイト(SNS)に投稿してしまった。(以下省略、河北新報)
国立公文書館が間違えるくらいだから、ウチの教会が間違えてもまあいいかとも思わないでもありませんが、
一応、週報は、教会にとっては永年保存として扱うものですので、謝るべき・・・だよね。
とはいえ明日の礼拝でわざわざ報告するものでもなし(妻いわく「みんな読んでない」)、この場を借りて謝罪いたします。ごめんね。
いくらネットでそれっぽく書かれていても、よく調べなければいかん、と悔い改めました。な、国立公文書館。
説教で紹介したわけではなかったのがせめてもの救いでした。
もっとも、振り返ってみるともっとひどいうろ覚えの情報をアドリブでポロッと出してしまうこともありましたが。スシ○ーの回転スピードとか。
これからは気をつけます。特に明日の説教。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』13章10-17節


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posted by 近 at 20:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2020.8.9主日礼拝説教「さばきについての三つの誤解」(ルカ13:1-9)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 実際の説教では割愛しましたが。今回の原稿の中で、17世紀の清教徒革命のエピソードが出て来ます。
清教徒革命と言えば革命軍の指導者クロムウェルが有名ですが、彼は軍事的天才でした。
それに対し革命を裏方として支えたジョン・ミルトンは思想的天才であったと言えるでしょう。
高校の世界史の授業で聞いた話ですが、チャールズ一世の処刑の際にミルトンはこう呟いたそうです。
「It's cruel, but necessary」(残酷だ、しかし必要だ)



 しかし革命はその後、内部分裂により瓦解。国外逃亡していた王の息子チャールズ二世が帰国し、王政が復活します。
革命の担い手であった清教徒(ピューリタン)に対する迫害は激化し、彼らの一部は新天地を求めてアメリカへ脱出。
ここからピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)と呼ばれる、アメリカ建国物語が始まっていきます。
イギリス本国では、結局チャールズ二世も時代を見極められず国外に追放、名誉革命が成立しました。

 教会の中にも、時として「Cruel」(ひどい)と言われるような、悲しいことが起こります。
牧師は傷つき、会衆はつまずき、信仰から離れてしまう。そういう例を牧会の事例のなかでいくつも見てきました。
しかしそれも、いつか必ず「necessary」(必要だった)と振り返ることができる時がやってきます。
悪を益と変える聖霊の働きを妨げるのは、見ても学ばず、経験に蓋をする、人間の事なかれ主義にあります。
牧師は祭司であると同時に預言者であり続けなければなりません。そしてさばきは神の家から始まります。
いまキリスト教会の中に世俗化の風潮はないでしょうか。牧師自身が自己批判の視線を失ってはならないと思わされます。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』13章1-9節



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2020.8.2主日礼拝説教「手遅れになる前に」(ルカ12:54-59)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 本日(8/8)のyahoo!ニュースで、「北海道→鹿児島3泊4日」乗り換え駆使した弾丸ツアー、今なぜ爆誕?というのがありました。
たまたまリンク先で読んでみたら、この記者さん(withnews 北林慎也氏)が書かれた、たいへん興味深い記事がありました。

キリスト看板、貼られる瞬間を見た 聖書配布協力会の伝道活動に密着(2019/11/19)
「死後さばきにあう」は廃版だった キリスト看板、制作の裏側に迫る(2019/11/20)
「キリスト看板」聖書配布協力会の今 コロナの中、看板設置に変化(2020/5/7)
bibleoutreach.jpgbibleoutreach2.jpg
そう、田舎の農具小屋から都心のビルディングまで。日本全国の外壁から時代を見つめる、例の黒看板のルポルタージュです。
決してイロモノ的な扱いではなく、好意的な視点で書かれています。非常に励まされました。
ぜひリンク先の記事からご覧ください。放送伝道同様、途絶えさせてはならない働きだと思います。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』12章54-59節



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posted by 近 at 15:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2020.7.26主日礼拝説教「真の平和は分裂の後に」(ルカ12:49-53)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

 毎週、牧師は説教準備という苦行の連続ですが、そこで不可欠なものに「原語釈義」というプロセスがあります。
旧約聖書はヘブル語、新約聖書はギリシャ語で記されていることはよく知られていますが、
それを各国の言葉に翻訳したものが、たとえば日本であれば新改訳や新共同訳にあたります。
そして、いずれの翻訳であれ、わずかながらも翻訳者独自の解釈が含まれることは免れません
たとえば「救う」を意味する、ソーゾーという新約ギリシャ語があります。これは「(病を)直す」という意味もあります。
12年間長血で苦しんでいた女性(マルコ5:34)にイエス様が語られたのは「あなたを救った」か、「あなたを直した」か。
口語訳、新共同訳では「救った」ですが、新改訳第三版では「直訳:救った」という小さな注をつけたうえで「直した」と訳していました。
新改訳2017では「救った」になっています。
 実際に説教を語るとき、その教会が公に用いている聖書の言葉に立って語らないと、会衆が混乱してしまいます。
(神学生の頃は説教の中に「ここは原語では・・・」と頻繁に使いましたが、逆効果であったことを牧師になってから気づきました)
翻訳に依存せず、また翻訳を無視せず、原語が本来語ろうとしていたことを結晶化してゆく営み、それが原語釈義です。

 今回の聖書箇所で登場する「分裂」と訳されたギリシャ語「ディアメリスモス」は、聖書の中でここにしか出てきません。
すべての聖書翻訳で「分裂(division)」と訳されていますが、ここにしか言及がないということは、
それが「分裂」という言葉で正しいのか、比較する対象がないということです。その場合、それが語られている文脈で判断します。
51節で「ディアメリスモス」を語られたあと、52、53節で動詞形「ディアメリゾー」をイエス様は語られます。
この言葉は「分ける」という意味で聖書に11回登場します。それで「分裂」と確定的に訳されているのでしょう。
しかしこのディアメリゾーが新約聖書に登場するのは、福音書と使徒の働きだけです。
「分裂」についてあれほど語られているパウロ書簡で、「ディアメリゾー」は一切使われていません。
つまりこの「分裂」は、私たちが想像するような内部分裂とは少し違うものを意味しているようです。
 さらに言えば、11回のうち4回は「分裂」(ルカ11:17・18、12:52・53)ですが、
残りの4回はイエスの着物を兵士たちが「分けた」こと(マタイ27:35、マルコ15:24、ルカ23:34、ヨハネ19:24)、
残りの3つはそれぞれ、聖餐のときに「分けて」飲みなさいと主が命じたこと(ルカ22:17)、
聖霊が「分かれた」舌のように下ってこられたこと(使徒2:3)、
初期の信者たちが財産を「分けて」生活していたこと(ルカ2:45)と、二つは明らかに積極的な意味で使われています。

 その意味で、ディアメリゾーやディアメリスモスは、単に「分裂」という消極的な意味ではないと解釈されます。
「分裂」と訳されたこの言葉は、言語的には「共有」と紙一重であり、キリスト者や教会にとって、恐れるものではありません。
逆に分裂を恐れて、家庭・職場・教会(教団)のなかで何も言えなくなってしまうとしたら、その方がはるかに問題と言えるでしょう。
「真の平和は分裂の後で」と説教題につけましたが、もしかしたら分裂のように見える事柄そのものが、実際には分裂ではなく、
そこに気づくとき、何ものにも揺るがされることのない平和がすでに生まれているのかもしれません。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』12章49-53節



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posted by 近 at 16:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ