外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。
昨日(8/28)、安倍首相が辞意を表明しました。
持病の悪化のためということですが、首相在任最長記録を達成したことでモティベーションも落ちてしまったのかもしれません。
ちょうどその数日前に、以下のような記事を興味深く読ませていただいたところでした。
安倍首相がもう一人の祖父「安倍寛」のことを口にしない理由(外部サイト)
安倍首相が母方の祖父である岸信介を政治的・人間的両面において師と仰いでいたことは有名ですが、
父方の祖父である「安倍寛」については沈黙するのはなぜか
安倍首相の父であり、将来の首相として嘱望されていたが早逝した、故・安倍晋太郎は
「自分は岸信介の娘婿である前に、安倍寛の息子だ」と父を誇りにしていたそうです。
晋太郎はかつて息子に「お前は政治家として最も必要な“情”が足りない」と言ったそうですが、真偽は定かではありません。
しかし政治家の家系には、外からは見えない、さまざまな痛みや軋轢があるのだろうと思います。
世襲政治家の典型のような安倍首相ですが、牧師の世界でも「世襲」と言えるような状況は起こります。
貧しくても教会に献身的に仕える両親の姿を見て牧師になるのであれば世襲ではなく本物ですが、
「でもしか牧師」(牧師でもやるか・牧師しかできない)のような人々もいないわけではありません。
どんなに経験のない牧師でも、教会に赴任すれば、その規模に関係なく、一国一城の主です。
新卒がいきなり支店長クラスで迎えられるようなものですから、高ぶってしまう誘惑が満ちています。
「献身者も少なくなった・・・簡単に辞めてほしくない・・・代わりがいなければ無牧になってしまう」
そんな恐れが甘えになり、民間企業では考えられないほどの愚行さえも許されてしまうようになれば、
そこはもはやみことばを語る教会とはたり得ず、むしろみことばを騙るものとなってしまうことでしょう。
それを避けるために説教者が自らに打ち込むべき楔は、人の喜ぶ言葉ではなく神の喜ぶ言葉を語るということです。
自分の説教が、みことばを語っているのか、それともみことばを騙っているのか、自分には見えなくなることもあります。
だから批判されるのは覚悟のうえで、私は説教の音声だけではなく原稿も公開しています。批判は力であり、宝です。
私の恩師は「非難は人を殺すが、批判は人を生かす」と教えてくれました。安倍首相は「批判は宝」として受け止めていたでしょうか?
週報はこちらです。
聖書箇所 『ルカの福音書』13章18-21節
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