ペンテコステに入りました。イースターが「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」というややこしい移動祝日?なので、ペンテコステもそのように見られる場合がありますが、ペンテコステはイースターの七週間後の日曜日とはっきり決まっていますので、迷うことはありません。正確に言えば、過越の祭りの七週間後(当日を含めて50日目)にある五旬節の直後の日曜日ということになるでしょうか。
説教の中でも触れましたが、五旬節は単純な収穫感謝(初穂の祭り)ではなく、出エジプトから二ヶ月後、シナイ山での律法の授与を記念する日という意味づけが与えられています。以前、祈祷会で詩篇の講解を行ったことがありましたが、五旬節の会堂礼拝においては、天地万象を神の声(ことば)として賛美する、詩篇29篇が朗読されるそうです。
4 【主】の声は力強く【主】の声は威厳がある。今日、聖霊の奇跡が、聖書そのものと切り離され、死者の復活や病気のいやしといった文脈のみで語られる傾向がありますが、あくまでも聖霊の諸々の奇跡は、みことばこそ神の主権と栄光の顕現であることを伝えるためにあるという理解にとどまらなければならないでしょう。ですから聖霊の働きを強調していながら、聖書通読も暗唱聖句も実践していないということがあれば猛省が必要です。
5 【主】の声は杉の木を引き裂き【主】はレバノンの杉を打ち砕く。
6 それらの木々を子牛のようにレバノンとシルヨンを若い野牛のように跳ねさせる。
7 【主】の声は炎の穂先をひらめかせる。
8 【主】の声は荒野を揺さぶり【主】はカデシュの荒野を揺さぶる。
9 【主】の声は雌鹿をもだえさせ大森林を裸にする。主の宮ではすべてのものが「栄光」と言う。
ペンテコステについて毎年語ってきたなかで、弟子たちはこの五旬節こそ宣教(証言)の主である聖霊が降臨される日だと確信して祈るようになっていった、というのが私の考えです。それは「いつとか知らなくても良い」というイエスの忠言を否定するものではありません。私たちが毎日、聖書をいのちのことばとしてかみしめていくなかで、神はそのみことばを通して足元を照らし、いま何をすべきかを示してくださいます。いま、出口の見えない戦いの中におられる方は、期待して聖書を開いていただきたいと思います。
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