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2021.7.25主日礼拝説教「貧しいのに幸い?」(マタイ5:1-3)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
卓球やりたいなあ。ああ、卓球やりてえ。みまじゅんペアが私の闘争心に火をつけました。新会堂建設の暁には、ボタン一つで床から卓球台がせり上がってくるようなシステムを構築したいと考えていますが、まだ会堂建設準備委員会の話し合いもそこまでたどり着いていません。
ところで先日の第4回準備委員会にて、「会堂建設に関するさらなる議論の発展のためには、ホワイトボードが不可欠である」という結論で一致しました。現在、会堂の隅にホワイトボードはあるのですが、支柱のネジが外れており、無理に動かすと倒れます。

 しかし会堂のキャパシティはもはや臨界点。もし移動式ホワイトボードを設置してしまうと、卓球台を導入する夢はさらに遠のいてしまいます。
そのとき、私の脳裏に、まるで稲妻のように何者かの声が響きました。会議の時にはホワイトボード、会議に疲れたら卓球台。そんな商品を探したらよいのだ、と。そんな便利な商品がこの世界にあるのでしょうか。インターネットで調べてみました。なんと、見つかりました、主よ!しかしまだ商品化はなされておらず、企画段階だそうです。残念。
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以下は、発案者のツイッターからの引用です。
常磐精工主催の新商品企画コンペで提案した「卓球台になるホワイトボード」が267案の中からグランプリを受賞しました。来年商品化予定!
この方、天才ですね。もっとも、私も思いつきましたけどね。
はやく発売されるといいなあ。ただ、白いボードに白い球を使うとよく見えませんが、どうなるのでしょうか。週報はこちらです。





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posted by 近 at 15:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.7.18主日礼拝説教「無者の国」(ルカ18:15-17)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
私が小学生の頃ですので、昭和50年代後半になるでしょうか、題名は忘れましたが、星新一さんの近未来SF小説の中に、登場人物が語る、こんな台詞がありました。

「人間ならば、いつかは忘れるだろう。だが、あいつはいつまで経っても、決して忘れることはない。」

「あいつ」というのは、コンピューターです。まだパソコンが出てくる前ですので、挿し絵を担当する真鍋さん、和田さんらが描いていたコンピューターも、大人より大きな直方体に、目玉のようなコードリール、口のようなスリットから紙を吐き出している、といったものでした。

 星さんが今も存命であれば、「あいつ」をコンピューターではなくインターネットに置き換えたことでしょう。これを書いている今、オリンピック開会式が始まる5分前ですが、この数日間、担当者たちの過去の問題発言が次から次へとネットで掘り返され、批判・糾弾の嵐に見舞われています。障がい者に対する陰惨ないじめ、ホロコーストを揶揄するような表現、確かにオリンピック・パラリンピックという国際的饗宴を提供する側の人間としてはふさわしくないことです。
 しかしどこか気持ち悪さを感じるのは、四半世紀以上前の発言が、直前になって突然、掘り返され、突きつけられていくことです。
それが正義だと言えば、確かに正義なのでしょう。陰湿ないじめや、一民族に対する組織的大量虐殺を決して擁護するつもりはありません。
しかしこの正義は、誰にでも、いつでも、牙をむく正義です。
無名のときに不用意にしてしまった発言が、やがて有名になったときに突然、目の前に突きつけられていきます。インターネットという、世界を覆う蜘蛛の網の底に、あらゆる人間の発言や行動が記録され、ある日突然、公にさらされる、恐ろしさがあります。中国や北朝鮮のような共産主義国家の至る所にひしめいている検閲の目よりも、遥かに執念深い瞳が、私たちの生きる世界全体を取り巻いています。

 もちろん、私たちクリスチャンは、神が私たちのすべてを見ておられることを信じ、告白していますから、自分の言葉や行動に対しても、神と人の前に恥じることがないように生きることを心がけています。しかし神は、罪をあげつらうために私たちを見ておられるのではありません。親鳥が雛を見守るごとくに、この世界を見つめておられるのが、創造主の御姿です。

 今回の開会式に関わる騒動の中で、「あなたがたの中で罪がない者が最初に石を投げよ」というイエスの言葉が、多くの人たちによって紹介されていました。この言葉も、今回の出来事に単純に適用できるものではないように思えます。いつか、この箇所から改めて説教を語ることができたらと願っています。週報はこちらです。





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posted by 近 at 19:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.7.11主日礼拝説教「私をあわれんでください」(ルカ18:9-14)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
説教の映像でお気づきかもしれませんが、先日から講壇設置のアクリルパーティションを新調しました。
今までのものは講壇の前に申し訳程度に置いていただけだったので、マスクを外すことはできませんでした。
しかし早朝から夕方までマスクをつけ続け、そのうち40分近い絶叫型説教が3回。終わる頃にはくったくったです。
表情が見えない説教を一年以上にもわたって聞き続ける会衆もつらかろう、ということで新しいパーティションを発注しました。
しかし講壇の形状が特殊なので、パーティションもオーダーメイドにせざるを得ず、見積もりは約4万円。
ただでさえ厳しい教会会計に請求するのはしのびなく、アクリルの舞台から飛び降りるつもりで、自費で発注しました。
そうなると少しでも安くするために、アクリルの板厚を薄くしたら、なんということでしょう、いきなりたわんでしまいました。
映像でおわかりになるとおり、顔だけははっきりと映っていますが、窓からの光景が映り込んでしまっています。
アクリル用両面テープで補強するつもりですが、宣教にお金を惜しんではならないという教訓になりました。とほほ
当教会は、現在、新会堂建設に向けて話し合っているところですが、現在、コロナ禍のなかで建築木材が高騰しているそうです。
経費をケチって同じような事態にならないように、予算配分には気をつけます。もっとも、全然まだそのレベルまで進んでいないのですが。
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posted by 近 at 16:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.7.4主日礼拝説教「世界が生まれ変わる日のために」(ルカ18:1-8)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
熱海市はじめ、全国の豪雨災害の中で被害を受けられた方々の上に、主の癒しと回復がありますように。
かく言う私も、明日(土曜日)は新発田朝祷会での早天メッセージです。今までは地元のミッション系大学の施設を利用していましたが、一月前に主催者から連絡があり、コロナ対策のために、「新発田城公園の中にある東屋(あずまや=吹きさらしの休憩所)で行います」と連絡がありました。
明日、降水確率90%の上に、新発田市の上に巨大な雨雲があるようなのですが、どうなるのか、未だに連絡がありません。おそらく皆様がこの更新したブログを見ている頃には、もう終わっていると思いますが、主日に喉を痛めていないようにお祈りください。
(7/10追記 朝祷会の時間帯[7:00〜10:00頃]、天候は落ち着き、無事に野外説教を行うことができました。公園のあずまやを朝祷会で一時占拠してしまいましたが、ごめんなさい。城(やぐら)をバックに説教というのも、なかなか新鮮でした。)
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posted by 近 at 22:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ

2021.6.27主日礼拝説教「奇跡の人」(ヨハネ9:1-12)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。
 今回のヨハネ9章は、私にとってとりわけ思い入れの強い聖書箇所です。私は神学校3年生のときに初めて豊栄教会でメッセージをしましたが、2回目に来たときに、自分の救いの証しを含めて、この箇所から説教しました。そしてその翌年、新潟の各教会を講壇交換で回ったときには、必ずこの説教を持って行って、自己紹介の代わりとしました。
 今回の説教は、それから20年近く経って、またはじめから作り直したものです。救いの証しは教会でその後何度も語っているので割愛しましたが、それでも40分という長い説教になってしまいました。
 19年前、新潟のある教会でこのヨハネ9章のメッセージを語ったとき、しばらくしてそこの信徒さんから長い手紙をいただき、「感動した」という賞賛をいただきました。説教でほめられたのは、あれが最初で最後ですね。それがよいと思います。説教者が、この説教でみこころを語ったと思えるときは、だいたい人には不評なことが多いですから。でも、その、一回だけ、説教者人生の中でほめられたことも、20年間の一千篇以上の説教を生み出してきた日々の糧になっていることも確かです。
 ヘレン・ケラーの誕生日に合わせて説教を作ったのではなく、説教を作った後にふさわしい例話がないか探していたら、たまたまヘレン・ケラーの誕生日でした。私ら40代(あと4ヶ月で50歳!)にとって、ヘレンと言えば、『ガラスの仮面』で北島マヤが井戸水をかぶって「ウォーター!」と叫ぶシーンを思い出すのですが、あれは後代の創作だそうです。その時点では、そこまではっきり発音できなかったようで、「w」から始まる奇声を上げたとのこと。それでもすごいと思いますが、「奇跡の人」はヘレンではなく、サリバン先生。
 うんちくも学ぶことができる、豊栄キリスト教会の説教を今後もご期待ください。週報はこちらです。
water.jpegコピーライトマーク美内すずえ・白泉社
よく見たら「ウォーター」って言ってませんね。子どもの頃見たときには、確かはっきりと言っていたような気がしたんですが。修正がかかったのでしょうか



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posted by 近 at 20:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2021年のメッセージ