こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
私はさる4月から、当教団の新潟山形宣教区(12教会)の書記を務めております。来年で当教会に赴任してから20年になりますが、宣教区長は経験しても書記を担当するのは初めてです。私が赴任した20年前、書記といえば紙で文書を作成して諸教会に郵送する、という仕事のイメージでしたが、今は、ほとんどの文書は紙へ印刷ではなく、PDFファイルへの変換になり、メールに添付して送ります。
さて、半年前に前任の書記先生から事務の引き継ぎを受けました。議事録などは残っていますが、それはいわば精選された資料で、いわゆるその下地になるメモのようなものはありません。まあなくてもそれほど困らないのですが、教会の役員会や、宣教区の役務者会で話し合われる本当に大切なことというのは、議事録には出てきません。これは議事録が不完全という意味ではなく、守秘義務の範囲においてゆだねられた事柄の中にこそ、私たちが知恵を尽くし、力を尽くさなければならない真実があるということです。これについてはまたいつか取り上げましょう。では議事録作成のための議事録というメモ的なものはどこにあるのかというと、それがメールという形で積み上げられていくのです。裁判においてもメールは証拠文書として認められるようになりましたが、モリカケ問題の本質を暴くのは役所の黒塗りの議事録に本来何が書かれていたかよりも、破棄されたメールに残されていたことなのかもしれません。
しかし個人や教会のメールアドレスに届けられた数千のメールから、次の書記に引き継ぐべきものを抽出することは膨大な手間がかかります。そこで宣教区の公式メールアドレスを開設したのが7月くらいのこと。それならば書記が代わってもアカウント権を引き継ぐだけで過去の情報にアクセスできます。ここでそのメールアドレスを明かすことはできませんが、Gメール(Google社)を取得して、文書を諸教師に送信していました。
ところがどうもYahooメールとGメールは、それぞれがフリーメール(使い捨て可能)なだけに、迷惑メールとして分類される率が高いようなのです。Yahooメールを使っている、ある先生から「届いていない!」と連絡が来ました。なぜ届いていないことに気づいたのかということについては、ややこしいので省略しますが、何らかの理由で迷惑メールに入れられてしまったのでしょう。そこでふと12教会の先生方のアドレスを見て思いました。
大半がYahooメールかGメールなのです。これは教会として、あまりよろしくなのではないかと思います。大事な問い合わせなどをやりとりするときに信頼性がある(YahooやGoogleのメールサーバーで迷惑メールと判断されない)のは、プロバイダ各社が提供するメールです。数年前ですが、宣教区長をしていたときに、教団理事からのたいへん大切なメールが、なんと迷惑メールに入れられていたことがありました。よく見るとその理事も、Yahooメールでした。
今日、これだけメールが普及しているなかで、メールアドレスにも公的認証制度が必要ではないかと思います。個人情報をやりとりするようなサイトには、ベリサイン社のデジタル証明がありますが、メールにはそれがありません。他人のアドレスを入手さえすれば、それを発信者として送ることも可能です。とくにフリーメールは便利ではありますが、簡単に登録できて、使い捨てられるというのは犯罪の温床にもなっています。今日、教会に問い合わせが来るときは、電話よりもメールのほうが多くなっています。また教会に行くときにはインターネットでサイトやブログを確認し、最終更新がいつかということでその教会を判断するということもあります。教会が信頼のできるプロバイダで、メールアドレスを取得することで、大切なメールを漏らしてしまう機会も少し減るかもしれません。
週報はこちらです。 1それからイエスはエリコに入り、町の中を通っておられた。2するとそこに、ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。3彼はイエスがどんな方かを見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。4それで、先の方に走って行き、イエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからであった。5イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」6ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。7人々はみな、これを見て、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言った。8しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」9イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。10人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」

2017 新日本聖書刊行会
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