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2012.8.12「本当の愛国心」

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聖書箇所 第一テモテ2:1-6
 1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
 
 先週、韓国の李明博大統領が竹島を訪問しました。その政治的評価については、説教で語るべきことではないでしょう。ただその結果、彼は韓国の数多くのクリスチャンを失望させました。日本でにわか韓流ブームが起きる何十年も前から、韓国の教会は日本人を物心両面で支えてきてくれました。韓国人の多くが日本に対する敵意を捨てられない中で、韓国のクリスチャンたちは、自分たちから先に日本人を赦し、キリストの愛をもって日本を愛してきてくれました。しかし大統領の行動によって、両国の外交関係はかつてない危機を迎えています。韓国のオンヌリ教会の故ハ・ヨンジョ牧師は日本全国でラブ・ソナタを開催し、和解を訴えてきましたが、その成果が引き戻されてしまった、そんな印象を受けます。ただ神が両国民の心に自制と寛容を与えてくださるようにと願います。

 このような事件があった影響か、マスコミなどでは「愛国心」という言葉が広く使われています。しかしその「愛国心」という言葉は、中国、韓国の人々をあざ笑い、憲法9条を改正せよといった戦争の匂いがつきまといます。この夏休みの時期、教会には敬和の学生さんが来られますので、私は伝道メッセージを心がけてきました。しかし今日は、本当の「愛国心」とは何かについて語りたいと思います。じつはそれは敬和とは無関係ではないのです。というのは、初代校長であった太田俊雄先生が「敬神愛人」という言葉で掲げた目標の中には、愛国心教育が含まれていたからです。敬和学園は今年創立45周年を迎えますが、その最初の15年間は、入学式・卒業式の壇上には「日の丸」の旗が高校の旗と一緒に掲げられていました。また教職員の反対によって実現しませんでしたが、太田先生は「君が代」を斉唱することも強く望んでいたと言います。

 これを聞いて驚かれる方も少なくないでしょう。私もそうでした。今日、国旗国歌法が成立し、教育現場ではそこに葛藤をおぼえ、必死で戦っているクリスチャン教師が多くおります。この問題について、自分もまた当事者として苦しんだ方がこの中におられるかもしれません。しかし太田先生の言葉を丹念に紐解いていくと、なぜ彼が周囲の誤解を恐れず国旗国歌を尊重していたのかが見えてきます。孫引きになりますが、敬和が太夫浜に開学する数年前の1962年、ヨーロッパで開かれた世界キリスト教教育セミナーで、太田先生はあるクリスチャンの講演を聞きます。講師は黄彰輝。台湾人のクリスチャンであり、世界的な神学博士でもありました。黄博士は「世界の八不思議」として、ある国を痛烈に批判します。
「国民に愛国心を育成しないどころか、愛国心という言葉さえタブーにされている国がある。愛国心を口にすれば、反動主義者だという烙印を押される。・・・・日本は過去の失敗に懲りて、いわばあつものに懲りて、なますを吹き続けている。それが日本の現状であり、こういう国が存在していることは世界の第八の不思議である」。

 太田先生はこの言葉に驚きましたが、驚いたのは先生だけではありませんでした。広報誌「敬和」で、太田先生は当時をこう振り返ります。
「世界82カ国を代表して集まっていた三百数十名の人々は、驚きの表情をもって聞き入っていたが、それは愛国心を育てようというけんめいな努力をしていない国がある、という事実に対する驚きなのである」。

 「愛国心」とは何でしょうか。国を愛する心、そう答えるのは簡単です。では国を愛する心は、その国を戦争へと導いていくおぞましき力なのでしょうか。明治期のクリスチャン内村鑑三は、よく「二つのJ」という言葉を口にしたと言います。「Jesus」と「Japan」です。さらに彼は自分の墓に英文でこういう言葉を刻ませました。「私は日本のために、日本は世界のために、そして世界はキリストのために」。確かに愛国心はエゴイズムと結合しやすいものです。それゆえにかつての日本は、自分の国の利益のためにアジア諸国を踏みつけました。しかしそれは間違った愛国心でしかありません。本当の愛国心は、聖書の教えと矛盾しません。この世界のすべては神が創られた。神が私を愛し、私の国を愛されたように、私も神を愛し、自分の国を愛する。しかしその愛は隣の人や隣の国々を犠牲にするものではない。私を愛してくださった以上に、神は隣人も、隣国の人々も愛してくださっているのだ。本当の愛国心は、戦争ではなく愛を唯一の解決手段として求めます。本当の愛国心は、神が愛してやまないこの国を、自分を愛するように愛します。

 「日の丸」「君が代」は、かつての戦争の被害者であるアジアの人々に傷を与えました。また加害者となった戦中世代の人々の心にもうずきを与えます。終戦から67年経っても、それは容易に消えはしません。ましてや終戦から2,30年しか経っていなかった当時、国旗国歌をミッションスクールの式典に採用するということは到底理解を得られるものではありませんでした。しかし日の丸、君が代がまるで戦争犯罪の象徴のように傷ついてしまったならば、それを回復できるのは日本人のみ、しかも真に神を敬い、人を愛することのできる日本人のみ。誤解を恐れず、信仰をもって太田先生は国旗と校旗を並べて壇上に掲げました。日の丸が、日本の国家的犯罪のシンボルではなく、罪を悔い改め、赦されて世界に仕えていく者たちのシンボルとなってほしい、と。

 今日、国の法律によってあたかも偶像のように国旗掲揚、国歌斉唱を強制される時代となっています。神はイエス・キリストによって私たちに自由を与えてくださいました。キリストが命を引き替えにして与えてくださった自由を、私たちは守るために戦わなければなりません。しかし戦う相手は日の丸、君が代そのものではありません。それを誤った愛国心のシンボルとし、日本人ならばなぜ敬礼しないのかと非難する考え方に対してです。そして日の丸、君が代を悪しきもの、必要なきものとして否定することで、真の問題と格闘することをやめてしまう愚かさとも戦わなければなりません。

 私が大学時代に経験したことを反面教師として聞いてほしいと思います。KGKという全国の大学のクリスチャンが加わっている全国組織があります。大学2年生の時、私が東北地区KGKの春期学校という長期合宿の準備委員長になりました。一番悩んだのが会場でした。東北6県、および新潟から何十名もの学生が集まりますし、貧しい学生もいますのでホテルというわけにもいきません。新潟および近県の公立研修センターを候補に選び、交渉しました。しかし公の施設では、どこも毎朝「国旗掲揚とラジオ体操」というのが条件でした。私はクリスチャンだから国旗掲揚は勘弁してくれ、と頼むと、じゃあ他を当たってください、と言われました。悩んだ末、経費はかさみますが柏崎にある聖ヶ丘バイブルキャンプ場を借りることになりました。しかし後に、KGK東北地区の主事(監督)にこう言われました。「国旗掲揚があるからといって、なぜ会場候補から外すのか。信仰というのは、いやなものを見ないですますことではない。私が学生の頃、やはり同じような施設が会場だったことがあった。国旗掲揚があり、それを経験したことがないクリスチャンの女の子が泣き出してしまったことがあった。でもそういう試練が、信仰を強めていくのだ。信仰と相反する現実に直面しないのと、自分の問題として意識できないんだよ」。

 太田先生が敬和の校長を辞された後、敬和の入学式、卒業式の壇上から日の丸は撤去されました。現在は、入学式、卒業式の「式」という言葉を「礼拝」と変え、入学礼拝、卒業礼拝として今日に至っています。しかし国旗が目の前から除かれたことで、学生も教職員も葛藤をおぼえなくなる結果、どうなるでしょうか。考えることをやめてしまう。意識することから逃げてしまう。そういう危険性もあります。実際に、国旗国歌が取り去られた敬和で学んだ世代が私自身であり、ただ問題から逃げるだけの信仰となってしまったのです。私はそれからも国旗国歌と向き合うのを避けてきたきらいがあります。しかし本当の愛国心とは何か、皆さんと一緒に考えながらこれから歩んでいきたいと願います。聖書の中で、パウロはこう命じています。「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです」。この国の指導者たちが、本当の愛国心を知ることができるように、とりなしの祈りをささげていかなければなりません。67回目の終戦記念日を迎えるこの週も、ひとり一人の祈りがこの国を生き返らせていくことをおぼえて歩んでいきたいと願います。

※説教にあたり、元敬和学園高校教頭であられた鷹澤昭一先生の「太田俊雄の「愛国心」考」(太田俊雄研究会報第4号収録)を参考にいたしました。この場を借りて、お詫びと共に感謝を申し上げます。
posted by 近 at 13:54 | Comment(0) | 2012年のメッセージ
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