聖書箇所 ルカの福音書18章35-43節
35 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。 36 群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。 37 ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、 38 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と言った。 39 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。 40 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。 41 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。 42 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言われると、 43 彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。
数年前、「聖書を読んだサムライたち」という本が話題になったことがありました。新島襄、新渡戸稲造、福澤諭吉のほか、坂本竜馬を斬った今井信郎がその後回心して受洗したことなどが取り上げられていました。しかし実際のところ、明治期の教会の指導者たちは、ほとんどがサムライ出身でした。札幌でクラーク博士の感化を受けた内村鑑三はもともと高崎藩士の子供です。新渡戸稲造は盛岡藩、新島襄は上州安中藩、他にも植村正久、海老名弾正、金森通倫といった明治期の有名なクリスチャンたちは、ほぼみなが士族出身であったのです。いわゆる平民に属するのは、おそらく救世軍の山室軍平と、少し時代が下りますが賀川豊彦くらいではないかと思います。ですからこう言うことさえできるでしょう。日本の教会は、サムライによって作られたのだと。
でもこれは、長い目で見れば悲劇でした。というのは、サムライの宗教であったゆえに、教会の担い手は民衆ではなく、一部のインテリにとどまったからです。比較しても仕方がないことですが、韓国では逆でした。宣教師たちは都市よりも農村へ伝道し、教会の担い手は貴族ではなく農民たちとなりました。日本の教会を指導した人々が元サムライであったことは、戦後も教会の中に「教会はこうあるべき」という空気を作り出したのではないかと思います。
つまり、武士道に影響された教会です。救われた喜びをかみしめる礼拝ではなく、なぜかしかめっ面をして説教を聞く人々。罪人が神の御前(みまえ)に出られることは圧倒的な恵みであるはずですが、むしろ私たちの先輩はこう考えていたのかもしれません。「控え、控えい。神の御前(おんまえ)であるぞ」と。「公の祈り」という教会独特の表現が生まれ、まるでサムライがたしなんだ連歌のように洗練された祈りが要求される。罪は基督者として恥であり、常に礼儀をわきまえるのが基督者でなければならない、と。
もちろん教会には秩序が必要であることは確かです。しかし自由の反対語が秩序ではありません。秩序と自由は共存できるもの、いやむしろお互いに補い合うものです。教会は、秩序の神であるキリストがいるからこそ、大きく口を開けて笑い転げていい所です。神が臨在される聖なる場所であることは事実ですが、それぞれの信者の心にも神は臨在されておられます。だったら今更何をかしこまる必要があるでしょうか。以前、ほんね病という言葉を紹介しましたが、本音もまた秩序の反対語ではありません。本音をぶちまけてまわりを傷つけずとも、神のことばが、私の知らない心の深みの深みまで探ってくれるのが教会なのです。そしてある盲人、他の聖書ではバルテマイという名前が明らかにされています。彼がイエス様に対して叫び続けた姿も、私たちに信仰とは何かと教えてくれます。彼は自分を救ってくれるのは神だけだと知っていた。だから「ナザレのイエスだと聞くと」、大声で叫び始めたのです。
先週、日本を代表する女優、森光子さんの追悼番組がテレビで放送されていました。その番組では、彼女が生前に語っていた「100年後の皆様へ」という若い人へ向けた言葉が紹介されました。その中で、森さんは自分の人生をこう振り返っています。
思いますに、私がここまでお芝居を続けてこられましたのは、私が物ごとをかんたんにあきらめなかったからかもしれません。物ごとには、あきらめていいときと、まだあきらめてはいけないときがございます。私はどんなに苦しくてもなかなかあきらめない性質でした。人生、あきらめたらそこで終わってしまいます。「物ごとには、あきらめていいときと、あきらめてはいけないときがある」。だからこそ彼女は、自分の人生の中で大事なときには、いつも自分の心にこう問いかけてきたと言います。「もうあきらめてもいいか、まだ投げてはいけないか」と。
この盲人は、人々にたしなめられても、叫ぶことをやめませんでした。それは、「まだ投げてはいけない」ときなのだと知っていたからでしょう。確かに、物ごとには「あきらめていいとき」もあります。しかしこの盲人は、この目を見えるようにしてくれるのは、ダビデの子、イエスしかいないという一点にすがりついていた。だから彼はあきらめなかった。イエスの弟子たちからも、彼は招かれざる者として扱われます。しかしここであきらめたら、次はない。今この時、神のあわれみを逃したら次はない、と。
救いへの扉は、まさにそういう人に与えられます。「自分はこのままでいい」ではなく、「私をあわれんでください」と神に貪欲に求めていく人です。聞き分けのいい人は、人には好かれても神には物足りないでしょう。自分の欠け。つまり罪。その罪をいやしてください、取り除いてください、これが取り除かれなければ私は私にはなれないのです。そのように神だけにすがりつき、神だけに叫び求めて行く人を、神は拒むことはありません。
もしあなたが本当に自分自身に絶望し、どんな犠牲を払ってもここから私を解放してほしいと願うならば、この盲人のようにあきらめずに叫び続けることです。まわりの人に対してではなく、イエス・キリストに向かって叫び続けるのです。「ダビデの子よ、私をあわれんでください」。控えめな態度を美徳と教えられてきた武士道教会で育てられたクリスチャンも同じです。神の御前に静まることも大事です。しかし今がその時なのか、と常に自問しましょう。私はもう救われているんだから貪欲に叫ぶ必要もないと、あぐらをかき続けるならば、せっかくいただいた救いの自由を味わっているとは言えません。ダビデほど神に愛された王はいませんでしたが、彼は詩篇を通してあれだけ叫び続けています。救いの確信がないから叫んでいたのではなく、救われていたからこそ彼はどんな苦しみの中でも叫び続けたのです。私たちも叫びましょう。「私をあわれんでください、主よ」と。
イエス様はこの盲人を呼ばれました。そしてこう問いかけました。「わたしに何をしてほしいのか」。何を今さら、と思う方もいるでしょう。しかしイエス様の前に出たこの盲人は、まったく躊躇することなく、はっきりとこう答えます。「主よ。目が見えるようになることです」。すべての病がわざわいではありません。病を通して私たちは神の恵みを知ることがしばしば起こります。しかし一方で、私たちは病や困難の中で、それを武士道精神で控えめに耐えていくことに慣れてしまい、大胆に神に求めていくことを忘れてしまうことがあります。この盲人は、その意味において自分に何が必要なのか、知っていました。だからこそ、イエスは「あなたの信仰があなたを直した」という宣言をされたのです。
たちどころに目が見えるようになったこの盲人は、神をあがめながらイエスについていきました。彼の賛美は、民の心をも賛美で満たしました。信じたとき、私たちは古い自分から新しい自分に生まれ変わります。目の見えない者から目の見える者へ。恨む者から愛する者へ。逃げる者から従う者へと変えられていく。この盲人の信仰が特別なのではありません。私たちは、キリストを信じ受け入れたとき、特別な者になれるのです。