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2013.12.29「信仰の輪鎖」

 一年間、ありがとうございました。豊栄キリスト教会牧師、近 伸之です。今週の週報はこちらです。

聖書箇所 第二テモテ4:9-22
 9 あなたは、何とかして、早く私のところに来てください。10 デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。11 ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。12 私はテキコをエペソに遣わしました。13 あなたが来るときは、トロアスでカルポのところに残しておいた上着を持って来てください。また、書物を、特に羊皮紙の物を持って来てください。14 銅細工人のアレキサンデルが私をひどく苦しめました。そのしわざに応じて主が彼に報いられます。15 あなたも彼を警戒しなさい。彼は私たちのことばに激しく逆らったからです。16 私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。どうか、彼らがそのためにさばかれることのありませんように。17 しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私は獅子の口から助け出されました。18 主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン。
 19 プリスカとアクラによろしく。また、オネシポロの家族によろしく。20 エラストはコリントにとどまり、トロピモは病気のためにミレトに残して来ました。21 何とかして、冬になる前に来てください。ユブロ、プデス、リノス、クラウデヤ、またすべての兄弟たちが、あなたによろしくと言っています。
 22 主があなたの霊とともにおられますように。恵みが、あなたがたとともにありますように。


1.
 毎年12月、その年の世相を漢字一文字で表す、「今年の漢字」というものが発表されます。すでにご存じの方もおられましょうが、今年は「輪」でした。この漢字が選ばれた理由をきくと、東京での五輪開催が決定されたこと、また被災した東北のプロ野球チーム、楽天の優勝など、チームワークが発揮された出来事が多かった、ということでした。もし「輪」がチームワークを意味するとすれば、まさに今日の聖書箇所を通して、私たちは「輪」を見ることができるでしょう。ここには20人近い、パウロを取り巻いていた人々の名前が挙げられているからです。しかしある人はこう言うでしょう。ここにはパウロを見捨てたデマスや、ひどく苦しめたというアレキサンデルの名前も挙がっている。決して「輪」とは言えないだろう、と。確かにこの世の「輪」は、良いもの、良いことしか認めません。五輪開催地を決める各国のプレゼンテーションでは、開催に不利になる言葉は決して言いません。プロ野球にしても、弱音を吐いたり監督の采配に疑問を投げかける言葉など言えば、チームワークを乱す者と言われます。しかし本当の「輪」とは、悪いもの、いや正しく言うならば悪いもののように見えることさえも、神が与えてくださったものとして受けとめる力です。オリンピックのシンボルである、五つの輪が組み合わさっているマークを思い浮かべてください。なぜ色が異なるのでしょうか。それは個性を表しています。輪とは、個性をもつ者同士だからこそ、違いを乗り越えて結び合うことができることを教えています。
 今日の聖書箇所は、パウロの遺言ともいうべき、生涯最後の手紙の、最後の章です。人が自分の死を予感し、その生涯を振り返り心にわき起こるのは、決して良い思い出だけではないでしょう。裏切られ、見捨てられた、いやな経験などが走馬燈のようによみがえってくることでしょう。しかしパウロは、そのようなものにふたをするのではなく、むしろ手紙に書き残します。恨みつらみではなく、良きに見えること、悪しきに見えること、それらすべては神の御手から出て、自分に与えられたものであると確信しているからです。本当の「輪」とは、プラスもマイナスもひっくるめてすべてを覆い尽くすことのできる力です。そしてパウロは、その輪を最後まで手につかみながら、天に凱旋していったことを私たちはおぼえていきたいと思うのです。

2.
 いつの時代においても、信仰生活は、決して楽な道ではありません。痛み、苦しみ、迫害、さまざまな戦いの連続です。私自身この一年を振り返ってみると、ふとした人の言葉で傷つけられたり、あるいは逆に傷つけてしまったことが思い出されてきます。自己嫌悪に陥ることもありました。素直に謝ることができない自分自身を、また嫌悪することもありました。しかしその繰り返しに見える中でも、まるで螺旋階段のようにひとつの高みへと向かっていることは感じるのです。そしてこう確信しています。ただ神のことばだけが私を、そして私たちの教会をまっすぐに立たせることができる力である、と。パウロはテモテに懇願します。13節、「あなたが来るときは、トロアスでカルポのところに残しておいた上着を持って来てください。また、書物を、特に羊皮紙の物を持って来てください」。ここでいう書物、また羊皮紙の物とは、旧約聖書の写本であると言われています。パウロはこのとき、すでに自分の死を覚悟していました。しかしだからといって、もうやり残したことはない、とは彼は考えません。この命がもし明日消えるとしても、今日私はやるべきことがある。ではやるべきこととは何か。それは神のことばを伝えること。そして正しく伝えるために、学び続けること。そのために彼はテモテに書物、羊皮紙の物を急いで持ってくるようにと願ったのです。パウロにとって最も大事だったのは、人々との輪そのものではなく、その輪を通して与えられている、神のことばを伝える使命でした。テモテやルカのような援助者は、神のことばを伝えるために神が与えてくれた人々。しかしデマスやアレキサンデルのような敵対者もまた、ただ神のことばにだけしがみつくために、神が与えてくれた人々。だから私はみことばを伝えることをあきらめない。みことばを正しく伝えるために学び続けることをあきらめない。そんなパウロの決意を、私たちは自分自身の使命につながるものとして受けとめていきましょう。
 関ヶ原の戦いで敗れた、西軍の総大将、石田三成についてこんな逸話が残っています。三成が生け捕りになり、京都の六条河原の処刑場に連れられていくとき、三成はひどく喉がかわき、警護の者に湯を所望した。あいにくその辺に湯がなかったので、警護の者はかわりに干し柿を与えようとした。すると三成は、干し柿は痰の毒だからいらぬ、と断った。警護の者は、いまにも首を打たれようとする者が今さら痰の毒を気にしてどうすると言ってあざ笑った。しかし三成はこう答えた。「大義を思う者は、たとえ首をはねられる瞬間まで命を大切にして、何とか本意を達したいと思うものだ」と(角川書店『世界人物逸話大辞典』より一部要約)。
 パウロもまた、たとえ自分が明日殺されるとしても、学ぶことをやめはしない。牢に鎖でつながれていても、決して語ることをあきらめはしない。人に頼るのではなく、ただ神だけに依存したパウロ。だからこそ自分を見捨てた人々を恨むことなく、かえって彼らのために祈ることができました。同じ神の言葉に生きる者として、私たちは彼の生き方に倣うものでありたいのです。彼が掴んでいたものは、永遠の、そして本物の平安でした。18節にはこうあるとおりです。「主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン」

3.
 パウロをとりまき、支えていた「信仰の輪」は、今を生きる私たちにも与えられている力です。その信仰の輪は、決して目には見えません。しかしパウロが一人で裁判に立たなければならなかったその時にも、その輪は鎖のように彼をとりまいていた。その祈りの鎖は途中で切れかけてしまうように見えることもある。しかし切れかけることはあっても、決して切れることはない。それは、人々がお互いの手首をつかんでいる輪のようなものです。だれかがその手を離したときでも、他の誰かがその人の手首をしっかりとつかんでいる。その人がその手を離したときには、また別の誰かがつかんでいる。その祈りの輪鎖は、2000年前から決して途切れることなく続いてきました。パウロを励まし、テモテを慰め、無名のキリスト者たちを整え、教会を作り上げてきました。そしてますますその鎖は大きく広がり、すべての教会をひとつにつなげています。私たちもその輪の鎖の中に入れられているのです。祈っても手応えがないように感じられるときにも、その瞬間、どこかであなたのために祈っている人々がいます。パウロが祈られていたように、私たちも祈られています。パウロが祝福したように、私たちも同じ神の家族を祝福することができます。「恵みが、あなたがたとともにありますように」と。この一年も、私たちは祈りの輪に取り囲まれて歩んできました。そして来年も。心から感謝しつつ、自らがとりなしの祈りをささげる者として、歩んでいきたいと願います。

posted by 近 at 19:21 | Comment(0) | 2013年のメッセージ
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