聖書箇所 使徒8:1-8
1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。3 サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。
4 他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。6 群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。7 汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。8 それでその町に大きな喜びが起こった。
※手違いにより、音声が入っておりませんでした。ご容赦ください。
序.
車を運転していると、前の車に貼ってあるステッカーが目に止まります。前は枯葉マークと批判されていた高齢運転者のステッカーは、カラフルな四色になりました。「BABY in the car」というステッカーに気づくと、急いで車間距離をとるようにします。「最大積載量、積めるだけ」というトラックには、さらに車間距離をとるように気をつけています。そして教会以外ではまず見ることのない、魚のステッカーが貼ってある車に出会えたときは、とても嬉しくなります。それはクリスチャンにだけわかる、イエス・キリストのシンボルだからです。魚を意味するギリシャ語は「イクスス」と言いますが、これは一文字変えると「イエスス」になります。迫害の中で、イエスの名を口にできなかったクリスチャンたちは、代わりに魚をイエスの象徴として用いました。しかし今日の聖書箇所を読みながら、私はこう考えたのです。クリスチャンは、魚のマークよりもむしろヒトデをシンボルとして用いたらどうだろうか、と。
1.
あれ、今読んだところにヒトデなんて出てきたっけ、と思われるでしょう。出てきません。しかしまるでヒトデのような生命力は、この教会の姿から感じるに違いないと思うのです。ヒトデの生命力は、トカゲの尻尾とは比べものになりません。真っ二つにされても、それぞれの断片が再生し、二匹になります。またヒトデの中には、自分から足を切り離して、個体を増やしていくものもいるそうです。人間の常識から考えると気持ち悪い限りでしょう。しかし実際、サウロがクリスチャンを迫害したのは、その得体の知れない生命力への恐れでした。3節をご覧ください。「サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた」と。ここで「荒らし」と訳されている言葉は、獣が獲物に襲いかかり、からだを引きちぎっていく、極めて強い言葉です。このサウロこそ、後に救われて新約聖書にいくつも名を残す、大伝道者パウロです。救われる前の彼はこれほど乱暴な人間だったのでしょうか。いいえ、サウロは穏健なパリサイ派であったガマリエルの弟子です。また「生まれながらローマ市民である」と後に語っていますので、育った家庭も、今で言うセレブであったと言えるでしょう。彼の本来の人物像と、この3節の描写は簡単には結びつきません。若きパリサイ人のエリート、サウロを野獣のように突き動かしていたのは、憎しみよりもむしろ、自分の理解できないものに対する恐れでした。サウロは、ステパノの殉教の証人でした。神をあがめながら死んでいったステパノの姿は、確かにサウロの脳裏にはっきりと焼き付けられました。しかし彼は、ステパノを最後まで理解できなかったのです。ステパノだけではない、クリスチャンについて、何も理解できませんでした。人は自分が理解できないものに触れたとき、憎むのではなく、むしろ恐れます。ただ感じたのは、彼らが危険な存在であるということ。この世界に存在してはならないものであるという、言いようのない薄気味悪さ。教会はサウロにとって、浜辺に打ち上げられたヒトデでした。はじめて見るヒトデの姿は、猛獣サウロをおびえさせ、彼は鋭い爪でヒトデを八つ裂きにします。今日も私たち教会はヒトデのようです。人々は奇異な目で、クリスチャンを観察しています。八つ裂きにすることはなくても、自分から近づこうとはしないでしょう。だからこそ私たちは語ります。人々から恐れを取り除くのは、ただ私たちが心を開いて自分をさらし者にする以外にはありません。
2.
サウロらユダヤ人による迫害は、エルサレム教会をばらばらに引き裂きました。数千、数万人いたクリスチャンは、ある者は牢に入れられ、ある者は殺されました。使徒以外の残されたクリスチャンはエルサレムからユダヤ、サマリヤの全地方へと散らされていきました。しかし恐怖に駆られた獣たちがヒトデの体をばらばらにしても、彼らは決して息の根を止めることはできなかったのです。いや、むしろこの大迫害こそが、使徒たちに与えられた約束が実現しているしるしでした。かつてイエス様が使徒たちに言われたことばはこうです。「聖霊があなたがたに臨むとき、あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまでわたしの証人となります」(使徒1:8)。最初の約束、エルサレムは完了しました。そして第二の約束、ユダヤとサマリヤの全土へと、教会は足を踏み出したのです。ピリポをはじめ、ひとりひとりの散らされたクリスチャンは、ばらばらにされたヒトデの体でした。その切れ端から、それぞれ散らされた場所で教会は再生します。神のからだは、どんなにばらばらに引きちぎられても、決して死ぬことはないのです。だからこそ、私たちは間違えてはなりません。高齢化や少子化に伴う信徒の減少、教会に対する批判や攻撃、そういったことは必ず通る道です。恐れるべきことではありません。むしろ恐れるべきは、私たちが、ばらばらにされることをいやがって群れるだけの存在に成り下がることです。散らされることを恐れて、自らの力に頼りきる群れになってしまうことです。1節にある「散らされた」という言葉は、ギリシャ語で「ディアスペイロー」と言います。ここに含まれる「スペイロー」は種を蒔くという意味です。じつに散らされるからこそ、種は蒔かれていくのです。たんぽぽが良い例でしょう。余談ですが、神学校の後輩の母教会が、「たんぽぽ教会」という名前でした。変な名前だなあとずっと思っていたのですが、そのネーミングの奥深さがようやくわかりました。たんぽぽの種が、綿帽子のように身を寄せ合っているあいだは、何も生まれません。しかし風で飛ばされて、散らされたときに、はじめて種は蒔かれていくのです。クリスチャンにとって迫害とは、聖霊が起こしてくださる成長の風です。だからこそ迫害を恐れるべきではありません。
3.
11章19節には、こんな興味深いことばがあります。「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んでいったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった」。この言葉が意味しているのは、当時の教会は、救いはユダヤ人が最優先であり、異邦人は二の次だという考えに縛られていたということです。もし迫害がなければ、彼らはいつまでもエルサレムのユダヤ人にだけ伝道していたでしょう。しかし迫害によって、彼らは自分たちの枠から飛び出したのです。正しく言えば、神が彼らを自分の枠から飛び出させるために、迫害をも宣教の機会として働かせてくださったのです。クリスチャンが心がけることは、人々との軋轢を生み出さないようにひっそりと生きることではありません。イエス様はこれを「山の上にある町は隠れることができない」という言葉で表現されました。そして後に伝道者となるサウロは、晩年に書いた手紙の中でこう書いています。「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」。明治時代にキリスト教が解禁されて以来150年、日本の教会はごく一部を除いて、迫害を避けてきました。今もそうです。しかし風が吹かなければ種は飛ばない。ばらばらに散らされなければ、いつまでも仲良しクラブのまま。聖霊の風よ、吹けと祈る者たちが必要です。たとえ人々から恐れられ、疎まれようとも、ただイエスの御名に自分の人生の基を置く人々が必要です。多くのクリスチャンは、自分たちはウニやアワビのように見られたいと願っています。人々が喜ぶ高級食材。しかしあまりにもデリケートすぎて、いまや養殖に頼る以外生きる術がありません。私はそんなか細いクリスチャンになるよりは、嫌われ者のヒトデになりたいと願います。嫌われることを避けて口をつぐむよりは、嫌われることを恐れないで語り続けたいのです。どんなにばらばらにされても、そこから再生していく生命力が、クリスチャンには与えられています。主に感謝して、歩んでいきましょう。