ペラギウスは、アウグスティヌスといわゆるペラギウス論争を闘わせた人物として有名である。しかし同時に彼は“異端者”でありながら、アウグスティヌス以上に後世に影響を与えたといっても過言ではない。ヴァン・ティルによれば、ペラギウスから始まった原罪否定は近代の哲学者たちに好んで受容され、その系譜にはカント、シュライエルマッハー、リッチュルらが名を連ねているという。(1)
一方、放蕩生活から劇的な改心を経て、罪に対する無力さを確信するに至ったアウグスティヌスは、人間が罪を犯さない力も与えられているという、ペラギウスの主張を決して受け入れることはできなかった。彼はペラギウス論駁の著述のみならず、異端審問官の派遣や教会公会議の召集を教皇本庁にたびたび要請するなど、あらゆる政治的活動も駆使してペラギウス個人とその影響の駆逐に力を注いだ(2)。
しかしその努力にも関わらず彼の死後、この異端者は半ペラギウス主義として命脈を保った。そしてその残滓はアルミニウス主義の中に自らを滑り込ませた。ジョナサン・エドワーズが原罪について論じた著作の中で、ペラギウスとアルミニウスを並行して語っていることは注目すべきであろう(3)。宇田進氏は『福音主義キリスト教と福音派』の中で、このアルミニウス主義が、今日のプロテスタント諸派の多くに影響を与えていることを指摘している(4)。すなわち異端者ペラギウスは形を変えながら現代の“福音主義”神学の中に脈々と生き続けているのである。
一般にペラギウスは、パウロから始まりルターによって再発見される「恵みの神学」を否定した者として1500年間、新旧教会双方から異端とみなされ続けてきた。しかし近年[筆者注:1999年当時]、ペラギウスを肯定的に評価する動きが同じくカトリック、プロテスタント双方から出てきたことは注目に値する。上智大学中世思想研究所が、最近出版した教父著作集の中に、テルトゥリアヌスやアウグスティヌスと並んでペラギウス書簡を入れていることはまことに象徴的と言える(5)。そこには異端者ペラギウスではなく牧会者ペラギウスという新しい評価が垣間見えるのである。すなわち、彼は確かに人間が罪を犯さないこともできると説いた。しかしそれは神学的主張というよりは、牧会的配慮と言うべきものである、と。大量入信の時代、放縦の中にとどまり続けているキリスト者があまりにも多い中、罪から離れた生活を人々に警告するための、いわばレトリックであったという新しい分析である(6)。
しかし実のところこのペラギウス主義とはいったいいかなるものであったのか。 ベルカウアーによれば、ペラギウスの強調点は「善悪の選択は[神が人間に与えられた]自由意志の中に残されており、すべての行動は自由意志の発露である(7)」ということであった。すなわち人間は善悪を選ぶ自由意志を神から与えられただけでなく、そのどちらをも行う能力も与えられた。だから全く罪を犯さない生活も可能なのだ、というのが彼の主張であったということであろう。
しかしこのことは、確かに原罪の否定として批判されるべきものであるが、決して自力救済の絶対視もキリストの贖罪の無視も意味してはいないことに注意したい。ペラギウスは処女デメトリアスへの書簡において、次のような奨励を行っている。
私たちに力を与えた方以上に、私たちの力の限界をよく知る者はおりません。私たちに私たちが行いうる能力自体を与えた方以上に、私たちの能力をよく知る者はおりません。公正な方は、不可能なことを命ずることを望みませんでしたし、憐れみ深い方は、避けられないことのために人間を断罪するつもりもなかったのです。(8)ペラギウスにとっての救いは、決して禁欲などの人間的努力によって到達されるものではなかった。むしろ自分の能力の限界を知りながら、神が命じられたことを行うという信仰と生活の一致にこそ目を向けていたことがわかる。そしてその信行一致という命令も肉体的な苦行や禁欲主義を指すのではないことを彼は示唆する。同じ書簡において彼は聖書朗読と祈りに時間を費やすように勧める一方で、それに必要以上に力を注ぎ込むことを次のように戒めている。
過度の断食や禁欲への激情や常軌を逸した無制限な徹夜は、抑制を欠いたものと見なされ、そうした行き過ぎのために、後でこれらの業を中庸をもって行うことができないといったことになるように、過度な読書熱は批判をこうむります。限度をわきまえていれば称讃される事柄も、極端に走ると非難すべきものとなるのです。(9)
ペラギウスは罪とは行いに現れるものであるとし、目に見えない原罪を否定した。その意味で、ペラギウスを異端ではないと言い切ることはできない。しかし彼は人間が罪を犯さないためにはキリストの十字架と信仰が必要であると説いた。多くの福音派の神学校で、教会史の教科書として用いられている『キリスト教史』(ヨルダン社)の著者ウォーカーは、ペラギウスについて「パウロとルターとの間でただ信仰による義認をそれほど強調した人はいない(10)」とまで指摘している。ウルフソンはアウグスティヌスの恵みの神学を「彼個人の経験から来た外的なものであり、本来のキリスト教信仰から自然と生起した内的なものではない(12)」と分析しているが、半ペラギウス主義はまさにアウグスティヌスの同時代人による、そのような批判から興ったものでもあったのだ。
神学には必ず実践がともなう。実践の伴わない神学は死せる神学である。そのことを思うとき、ペラギウスが神の恵みよりも人間的な行いを強調したという批判は決して妥当ではない。行いは恵みがあってこそできるのである。そして恵みは実践によって応答していかなければならない。ペラギウスが「行い」を強調したとしても、それは当時の爛熟し切った帝国社会におけるキリスト者のモラルの低下を考慮に入れなければならない。キリスト者であることがローマ官僚としての出世の前提となり、形式的入信がはびこった信仰の危機的状況が確かに存在した。私たちの生きる現代もまたキリスト教信仰の形骸化が叫ばれて久しい。私たちはペラギウスを今日の視点で見つめるとき、彼の時代を襲っていた信仰と生活の乖離の中で、ペラギウスが何とかして一楔を報いようとしていた点を積極的に評価すべきではないだろうか。
脚注
(1) Cornelius Van Til, “Original Sin, Imputation, and Inability”, “Basic Christian Doctorines”, pp.113-114.
(2) F. J. Foakes Jackson, “The History of the Christian Church: From the earliest times to AD 461” (London: George Allen and Unwin Ltd., 1962), pp. 502-506.
(3) Jonathan Edwards, “Original Sin”, Clyde A. Holbrook eds., “The Works of Jonathan Edwards vol.3” (Yale Universiy Press, 1970), p. 375.
(4) 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』(いのちのことば社、1993)、92-96頁。
(5) 上智大学中世思想研究所編『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』(平凡社、1999)を参照。
(6) 山田望『キリストの模範:ペラギウス神学における神の義とパイディア』(教文館、1997)、第5章「排斥の要因」を参照。
(7) G. C. Berkouwer, “Studies in Dogmatics vol.11: Sin” (Grand Rapids: Eerdmans, 1971), p. 430.
(8) ペラギウス『デメトリアスへの手紙』(上智大学中世思想研究所編、前掲書)、953頁。
(9) 同書、965頁。
(10)W.ウォーカー著、竹内寛監訳『キリスト教史1 古代教会』(ヨルダン社、1984)、340頁。
(11)Harry A. Wolfson, “Philosophical Implications of the Pelagian Controversy”, Everett Ferguson eds., “Studies in Early Christianity vol.10: Doctrines of Human Nature, Sin, and Salvation in the Early Church” (New York: Garland, 1993), p. 562.
(指導教師:ロバート・シェード)