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「雨が降っても槍が降っても・・・・」

台風8号が日本を縦断中である。7月に来る台風では、史上最大と言われている。
昨日は、新潟県内も各地で大雨洪水警報が出された。また佐渡市では50年に一度の降水量を記録した。
私の住んでいる、新潟市北区でも河川の氾濫が危惧され、一部の地域では避難準備も発令されていた。
幸い教会員の住んでいる地区は外れていたが、鳴り止まぬ雷鳴、降り止まぬ豪雨は予断を許さない。
私たちも、万一に備えて避難所への持出品を用意しながら、教会員の名前を挙げながら祈り続けた。
昨日は水曜日であり、私たちの教会では夜に祈祷会を行う曜日にあたる。
午後3時を過ぎる頃には、雷雨も収まり、警報も解除され、無事、集会を守ることができた。
散会後、数名の信徒を見送りながら、教会前のぬれた道路を見つめた。
まるで朝の豪雨が幻と思われるかのように、落ち着いた路面になっていた。

だが一日を振り返ると、判断に苦慮したところがあったのも事実である。
午後、警報は解除されないが、しかし天候は落ち着いてきたように見えた時間帯が長く続いた。
夜になる前に、集会を開くべきかどうか判断し、連絡しなければならない。そこで悩んだ。
牧師の中には、「雨が降っても槍が降っても、集会は必ず守りなさい」と指導する人がいる。
そしてそれを「集会を死守する」という立派な信仰だと考える人々がいる。
彼らは、たとえ行政や警察がどれだけ警報を鳴らし、被害を食い止めようとしても、車を走らせて、集まってくる。
それが信仰の戦いだと言うのである。

村上密牧師のブログで、あるアメリカの教会が、暴風雨の中、海岸洗礼式を強行したことが掲載されていた。
http://maranatha.exblog.jp/21855370/
また私の神学校の恩師も、かつて授業の中で同じような事件について語っていたことを思い出す。
集会を守らなくても結構と言っているのではない。
だが、なぜ集会を守るのかを考えてほしい。
警報が発令され、万一の場合に備えて自宅で待機することが求められている中で、
「それでも私は集会出席を守る」というのは信仰ではない。
むしろ自分の外の世界を顧みようとしない、ただの自己満足である。

神が最も喜ばれるのは、どんな悪天候の時でも集会出席を守ることではない。
集会出席そのものが目的化してはならないのである。
そのような非常事態のときに、教会に来て祈り、礼拝することよりも大事なことがある。
おびえる家族や隣近所の人々と共にいてあげて、励ますことである。
そして教会ではなくて、自分の家の中で、取りなしの祈りをささげ、御名をほめたたえよう。
クリスチャンひとり一人が、自分の信仰を冷静に見つめていくことを学んでいけるように。
posted by 近 at 12:08 | Comment(0) | 牧会卓話
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