後藤光三は『説教論』の中で、「三千人の悔い改めという、キリスト教会最初の出発を飾る奇跡的な勝利は、実に聖霊降臨の結果として行なわれた大伝道の際の、ペテロ初め11人の使徒たちの説教によるものであった(10)」と述べている。教会の進展の陰には常に説教があった。ペンテコステ然り、宗教改革然り、大覚醒然りである。しかし説教は決して教会と共に生まれたわけではない。後藤の言うとおりペンテコステがキリスト教会の出発だとしたら、説教は明らかにそれ以前にあった。説教の起源は捕囚後のシナゴーグ礼拝に留まるものではなく、旧約の預言者たちのメッセージへと遡及できるものである。
旧約の預言者たちは、王から貴族階級、祭司、民に至るまであらゆる社会階層に警告と悔い改めを説き続けたが、それは決して社会的・宗教的不正の糾弾だけではない。新約聖書の記者たちが証言しているところによれば、それは究極的にはイエス・キリストを啓示する性格を有していたのであり、例として使徒ペテロを通して次のように言われている。
この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。(第一ペテロ1章10,11節)旧約の預言者たちは「主は仰せられる」という定型句をもって民に語り続けた。しかしそれは単なる形式的常套句ではなかった。内住の「キリストの御霊」が彼らに語りかけるという極めて現実的な宗教経験から生まれたものであり、それによって彼らの言葉には極めて現実的な緊迫性が与えられているのである。
その緊迫性は、表現を変えるならば、エゼキエルに代表されるような神の見張り人としての緊張感とも言えよう。アモスにおいて「神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう」(アモス3章8節)と言わしめた緊張感であり、エレミヤをして「うちにしまっておくのに疲れて耐えられません」(エレミヤ20章9節)と語らせた、神が叫んでおられる場に与ることへの緊張であり、その叫びを預かることへの緊張でもある。深田未来生氏は説教の“いのち”の核となるものが「神の働きかけ、語りかけを受けた人間が、すべてを動員してその神の存在を生き生きと提示しようとする業であり、時と場所と形式の規定には強制されない弾力性を、欠くことのできないものとして秘めているのである(11)」と定義するが、それもまた説教の動的性格を端的に言い表している。その意味で、私たちの説教の源流は旧約時代における預言者の説教へと見いだすことができるのではないか。
「私の仕えている万軍の主は生きておられる」。このような言葉は、預言者活動、ひいては神のしもべとしての全生活が生ける神の御前に提示されているという認識をもっていた、彼らならではの発言である。説教学においては説教者がその言葉の通りに生きているかということがしばしば主張されるが、旧約時代において、このような宣言をもって預言がなされていたことは注目すべき事柄であろう。預言者の緊張は決して預言の瞬間だけに限定されているものではなく、それは預言者生活の全領域に及ぶものであった。現代の説教においても緊張は講壇に限られるのではない。生活の全領域において主に仕えているという自覚が預言(説教)にリアリティを与えるのである。R.W.ジェンソンは「聖書の語っていることを語ることに説教者ないし教師が成功しているかどうかが問題なのではない。会衆によって見て取れる説教者の苦闘の跡それ自体が不可欠の解釈原理なのである(傍点著者)(12)」と述べているが、もしその苦闘の跡が、講壇の緊張だけではなく彼の全生活的緊張を想起させるという意味であれば、その指摘は真であると言えるだろう。
新約時代においては、預言者たちが共有していたこの緊張意識を見いだせるだろうか。すべての説教の模範とも言うべきイエス・キリストの教えの特色は律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたことであると、福音書記者は証ししている(cf.マタイ7章29節、マルコ1章22節、ルカ12章5節)。ここで言われている権威とはどういったものなのか。泉田昭氏は、それを「律法と伝統の訓話的解釈にあけくれている律法学者に対比して言われていることば(13)」として捉える。それが意味するものは、人間的解釈ではなく、神ご自身による正しい解釈がイエスによってなされたということである。外的権威への依存ではなく、権威そのものがイエスから現れていた。
無論、説教者はまったくイエスのように語ることはできない。イエスの説教は確かに模範ではあり、そこを目指していくものではあるが、同時に人間には決して到達し得ないものである。しかし群衆がイエスの教えに律法学者とは全く別の権威を感じ取ったということは、そこに一種の独特の緊張を見いだしたということを意味するであろう。それはもちろんイエスが緊張して語っていたという意味ではない。神の言葉が他のいかなる権威にも依存するものでなく、それ自体で権威をもつ、その前に今自分たちがいるという、関係的な緊張意識と言ってよい。イエス・キリストの説教は常にパリサイ人ら体制側との対決という外的緊張関係の中で語られ、同時に神学的弛緩を起こしていた律法解釈がイエスと弟子たちの行動の中で打破されていくという内的緊張の要素も有していた。
使徒たちの説教もまた、その緊張を継承していくこととなる。ペンテコステにおけるペテロの説教は「あなたがたは不法な者の手によって十字架につけて殺しました・・・(中略)・・・神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです」(使徒2章23,36節)と、体制側だけではなく一般聴衆に対しても、第三者に留まることを許さない。この、福音の前に第三者的立場はあり得ないというスタンスはその後の使徒たちの説教を貫くテーマであり、パウロ神学においても明確に主張されていることは明らかである。
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(第一コリント1章18節)これらの箇所においては、全人類が「救い」か「滅び」かに二分される。それは、「十字架のことば」が語られる状況とは福音対世界という緊張関係の中においてであることを示唆する。さらにパウロらが「神の前にかぐわしいキリストのかおり」とされるのは彼らの宣教の言葉が決して人の前に留まるものではなく、神の御前において語られているという意識をも指し示している(この議論に関しては第三章で詳述する)。
私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。(第二コリント2章15節)
この緊張意識は、書簡だけでなく彼の説教にも現れているが、その代表例としていわゆる『アレオパゴスの説教』が挙げられよう。異邦人説教への好例として数えられるこの説教において、パウロはロマ書序盤において展開される一般啓示論を根拠としつつ、「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます」(使徒18章30節)とアテネの人々に説く。ここにも福音の前に第三者を認めない使徒的姿勢が見いだされるが、そこに至るパウロの論調は、偶像崇拝を頭ごなしに否定するよりも彼らの文化的背景に積極的にコミットしようとしている姿勢が濃厚に見いだされることもまた確かである(22,23,28節)。それは彼らの説教が福音対世界という緊張関係がありつつも、そのアプローチは決して「緊張」という語から受けるような、単に攻撃的ないし批難的なものではないことを示す。この事実は今日の教会において、このような緊張意識に基づく説教がなされる場合の模範的意味がある。
脚注
(10) 後藤光三『説教学』、48頁。
(11) 深田未来生「思い切って大胆に物語る業・説教の一面」、『説教者のための聖書講解−説教の課題と現実』、64頁。
(12) R.W..ジェンソン「解釈学と教会の生」、C.E.ブラーテン/R.W.ジェンソン編、芳賀力訳『聖書を取り戻す−教会における聖書の権威と解釈の危機』(教文館、1998年)、156頁。
(13) 泉田昭「聖書の権威と説教−使徒4:1-14−」、JPC編集委員会編『聖書と宣教』(日本プロテスタント聖書信仰同盟、1976)、24頁。